ラブ・ストーリーは突然に

「ラブ・ストーリーは突然に」 クリスマスイブ礼拝 宣教 2022年12月24日

 ルカによる福音書 2章10〜11節     牧師 河野信一郎

皆さん、メリークリスマス!2022年のクリスマス前の夜をこのような礼拝を通して皆さんと過ごすことが出来て感謝です。さて、今年のイブ礼拝のメッセージタイトルを、「ラブ・ストーリーは突然に」としました。「あれっ、どこかで聞いたことがあるタイトルだなぁ」と思われる方もおられるでしょう。40年来、私がずっと好きなOKという歌手の最も売れた曲のタイトルからインスパイアされていないと言ったら嘘になりますが、今夜のイブ礼拝で、皆さんにお伝えしたいことすべてが凝縮されたタイトルとなっています。

 クリスマス物語は、神様から開始されたわたしたちへのラブ・ストーリーです。そして、その愛の物語は、わたしたちの予期していなかった形で、時と場所、環境の中で突然始まります。しかし、必ずしも、このクリスマス物語は突然起こったことではなく、ずっと昔から神様が計画されていたことであり、予告もされていたことで、時が熟して始まった必然的なことであったのです。今夜は、短く、そのことを皆さんと分かち合えたら嬉しく思います。

 クリスマス物語は、神様の愛がわたしたちの目と耳と鼻と口と肌で感じられる形で表されたストーリーです。そして神様がわたしたち一人ひとりを愛しておられるという愛を表した愛の物語です。しかし、このクリスマス物語はイエス様が生まれる600年も前から約束されていたことで、ユダヤの人々はずっとこの約束が実現することを待ち続けていました。

 皆さんにも、誰かと交わした約束があるかもしれません。ずっと待ち続けている約束があるかもしれませんし、その約束が現実になることを待ち焦がれているかもしれません。もしかしたら、もうすでに忘れてしまっている約束があるかもしれません。しかし、その約束が果たされると、わたしたちは大きな感動と喜びで心が満たされるのではないでしょうか。

 クリスマス物語は、突然の出来事で溢れています。御使ガブリエルがマリアに現れて彼女が神の御子を宿したという知らせも、彼女のいいなずけのヨセフが夢の中でマリアが妊娠したことを告げられたこともすべて突然の出来事でした。今夜のお話のメインである羊飼いたちに闇の中で御使が現れ、神様の栄光が周囲のものすべてを照らすのも、天の大軍が現れて神様を賛美することもすべて突然の出来事で、ある人にとっては心臓によくないことです。

 しかし、今夜、あるいは明日のクリスマス、突然あなたの心に神様の愛が与えられて、あなたの人生はまったく変えられるかもしれない。わたしは心から、そのように願っていますし、祈りながらお話ししています。確かに心臓には悪いかもしれませんが、神様があなたと親しく関わってくださるのです。神様の愛は、神様が全知を尽くしてわたしたちのために備えられた唯一無二の素晴らしいプレゼントです。その愛が突然与えられる、与えられるかもしれない。大切なのは、その愛をいつでも受けられるように、心を柔らかくして、神様に向けて全開にしておくこと、どこから来ても良いように全方向に向けて開いておくことです。

 この福音書を記録したルカという人物がクリスマス物語の中で伝えたいこと、それは神の御子イエス・キリストを救い主として受け入れる心を持つすべての人に神様の平和があり、救い主を信じる人たちが地上で一人でも多く生まれる度に天では大きな喜びがあるということです。すべての人とは、人種や国籍、性別や年齢、社会的地位や富など関係ない人という意味です。御子イエス・キリストについては、明日のクリスマス礼拝でお話しします。

 さて、8節に「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」とありますように、ベツレヘムの郊外で野宿しながら、夜を徹して羊の群れの番をしていた羊飼いたちがいます。彼らは、「きつい、汚い、危険」な仕事を負っている人たちでした。飼っていた羊は自分たちのものではなく、富のある人たちから預かっていたもので、神殿で犠牲として捧げられる羊の世話をし、盗賊や野獣から守る危険な仕事をしていました。

 つまり、彼らは、ユダヤ社会の中で非常に重要であるにも関わらず、誰もしたがらない仕事をしていた人たちでした。その上、いつも郊外にいて、律法を守れない生活環境にあったので、宗教的にも汚れた者とされ、住民登録も必要とされないような理不尽な扱いを受けていた人たち、社会の中に小さくされていた人々であったのです。しかし、神様の目はそのような社会から顧みられない人々に注がれ、彼らに救い主の誕生が最初に知らされてゆきます。

 9節に「すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」とあります。闇の中で、何の前触れもなく、天使が突然彼らに近づき、神様の栄光が彼らの周りを照らします。腰を抜かすほど、心臓が止まるほど驚いたでしょう。「主の栄光が周りを照らした」というのは、これから天使が告げることは、神様からの特別な啓示であるということを示す現象です。

 しかし、彼らをもっと驚かせたのは、天使の口から発せられた耳を疑うような言葉です。10節と11節、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」とあります。「恐れるな」という言葉の後に「民全体に与えられる大きな喜びを告げる」とあります。この「民全体」という言葉は、ユダヤ人だけでなく、わたしたちも含まれていますが、すべての人に平等にという意味で、分け隔てなくすべての人に与えられる良き知らせです。

 「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった」とあります。昨日でもなく、明日でもなく、あなたがたのために「今日」救い主がお生まれになられた。「今日」というのはもう待つ必要はないということです。ですから、救い主を信じて、今日、恐れや不安から解放されなさい、神様から平安を得なさいという招きの言葉がクリスマス物語の核心です。

 13節と14節に「すると突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、 地には平和、御心に適う人にあれ。』」とあります。また突然です。しかし、救い主を与えてくださる神様を賛美する以外に喜びを表せないのです。

 15節と16節に「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた」とあります。小さな町であっても赤ちゃんをベツレヘム中で探し当てるのも大変であったでしょう。しかし、探し出す価値のあるお方、自分たちの救い主であると彼らは感じたのでしょう。救い主を探し出し、クリスマスの最初の礼拝者とされ、神様に愛されていることを確信し、喜ぶ者たちとされました。

 さぁ、どうでしょうか。あなたにとって、イエス・キリストは、あなたの心に招き入れる価値のある方でしょうか。はい、そうです。すべてをなげうってでも心に招き入れる価値のある救い主、あなたを愛する神です。今年のクリスマス、神様の祝福があなたに豊かにありますように祈ります!メリークリスマス!