一致に必要なこと

「一致に必要なこと」 七月第二主日礼拝  宣教要旨  2014年7月13日

エペソ人への手紙4章25〜5章2節      牧師 河野信一郎

 わたしたちは、キリスト者として日々歩みを続け、また教会を建て上げてゆく時、励ましの言葉、動機付け・モーティベーションが絶えず必要です。そうでないと、すぐにキリストに導かれた道から離れてしまいます。色々なことで迷ったり、疑ったり、クリスチャンになる前の生活に戻ってしまうことがあります。使徒パウロは、「滅びゆく古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とを備えた神にかたどって造られた新しき人を着るべき」と24節まででエペソ教会の兄弟姉妹たちに言っていますが、25節以降にどのように歩めば良いかを具体的に示し、動機付けを与え、キリストのからだと言われる教会・信仰のコミュニティーを破壊し得ることは何であり、反対に建て上げるものは何であるかを丁寧に教えてくれます。

 教会が一致して教会を建て上げてゆくために第一に重要なのは、「あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい」と25節にあることです。しかし、それではわたしたちの「偽り」、「真実」とは何でしょうか。これは、あなたがたの「建前」を捨て、「本音」を語りなさいと置き換えて言っても良いかもしれません。では、「偽り」とは何なのか。

 例えば、あなたにとって苦手なことを教会で奉仕として頼まれたとしましょう。責任感の強いあなたは頼まれたら断れない性分なので「任せてください」と言って引き受けてしまう。しかし、それは自分に嘘をつくことになり、その後に大きなストレスとなってあなたの心と体力を消耗させ、あなたの信仰が弱り果ててしまうことにつながるかもしれません。

 また、こういうことはどうでしょうか。ある時、あなたの教会でボランティアを募っていて、あなたは自分が得意な分野のこととしりつつ、「誰かが手を挙げてくれるだろう」、「自分がしゃしゃり出るのは恥ずかしい」と思って手を挙げないでいると、そのことにまったく不得意な人がその奉仕をする事になって、その人がストレスを感じて苦しむことになってしまった。

 苦手な人が「自分にはできません」と正直に言い、得意な人が「わたしがやります」と素直に申し出て担ってくださると教会は一つとされ、健康になり、多くの実を結ぶことができます。

 ここで大切なのは一人ひとりの「誠実さ」です。自分に正直な人が「真実」を語ることができると思います。使徒パウロは、「わたしたちは、お互いに肢体なのです」、「わたしたちはみんな神の家族なのだから、何でも正直に愛をもって語り合おうよ」と兄弟姉妹を励ますのです。

 パウロは、あなたがたは「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」と26節で言います。社会の中だけでなく、教会の中でも怒ること、不満に思うこともあるでしょう。しかし、キリストのからだである教会であるからこそ愛をもって真実を語り、和解をしてゆく重要性をパウロは語ります。その理由・動機付けは、27節にある「悪魔に機会を与えてはいけない」ということです。悪魔はキリストのからだである教会を分裂させるチャンスを、わたしたちの心の隙間をいつも狙っています。

 「盗んだ者は、今後、盗んではならない。自分の手で正当な働きをしなさい」と28節にありますが、教会内で「盗む」とは一体どういうことでしょうか。例えばですが、神と教会と人々に仕えるために神からいただいているそれぞれの賜物(健康、時間、富み、才能など)を主のために、福音を伝えるために、教会を建て上げることに用いないで、自分の祝福のためだけに使っていることは「盗む」ということにならないでしょうか。誰か他の兄弟姉妹に自分がなすべき働きを負わせて、自分はただ何もしないで傍観しているのは、正当な働きでしょうか。教会で自分のなすべきことをしっかり担い合うことが働きを「分ける・シェア」することでしょう。

 「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。人の徳を高めるのに役立つような言葉を語りなさい」と29節にあります。教会を破壊し得るのは「人の言葉」、すなわち自分を守るための嘘、正しくない怒りから出てくる言葉、根拠のないうわさ話などです。教会を建て上げるのは、神の言葉であるイエス・キリストの言葉であり、その主イエスの言葉に忠実に生きる人の真実な言葉だと思います。このことへの動機付けとしてパウロは「人の徳を高める、益になる言葉を語りなさい」、それが人を建て上げ、教会を建て上げると言っています。「役立つような言葉」というギリシャ語は「恵みを与える言葉」と直訳することができます。

 31節には、教会だけでなく、すべての人間関係を破壊する「無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、悪意」が記され、それらをすべて捨て去りなさいと命じられています。

 32節には、教会を、そして人間関係を建て上げる者として「互に情深く、あわれみ深い者となりなさい」と命じられています。これらの動機付けとして「神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったようにしなさい」とパウロは言い、互に許し合う必要性を語ります。キリストによって罪赦されたわたしたちですから、古い罪人のままでいることはできないはずで、主の憐れみと赦しとお導きの中で日々新しくされてゆき、行いをとおして、生き様の中で神の喜ばれる実を結んでゆくことが主イエスによって救われ生かされている証明になります。

 ですから、パウロは5章1節で「神にならう者になりなさい」と強く迫ります。その理由・動機付けは「あなたがたは、神に愛されている子ども」だからです。神に愛されている子として生きるためには、古い自分を捨て去り、真の義と聖とを備えた神にかたどって造られた新しき人を着続けねばなりません。しかしその中で苦しみ続けるわたしたちを神はイエス・キリストという真実をもって「わたしはあなたがたを愛している」と宣言し続けてくださいます。

 ゆえに2節で「(神の)愛のうちを歩きなさい。神はあなたを愛しているから」と神を信じ、そしてキリストを見上げて主に従ってゆくことを促します。神の愛のうちに生きることへの励ましの言葉は、「キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられた」という言葉です。

 神の御心であり、神が最も喜ばれることは、わたしたちがキリスト・イエスにあって新しい人として生き続け、キリストのからだなる教会を建て上げてゆくために互いに愛し合い、許し合い、支え合い、祈り合い、仕え合ってゆくことなのです。これがわたしたちの結ぶ実です。

 最初の25節から29節までに記されていることは、わたしたちが教会という神の家族の中でなすべき重要なことで、3つの動機付けが記されてあります。次の31節から5章2節までに記されていることは、教会内だけでなく全ての人間関係の中で大切にすべきことで、ここにも3つの動機付けが記されてあります。この全てのことへの最大の動機付けが、中間にある30節の言葉です。「神の聖霊を悲しませてはいけない」です。神と主イエスとご聖霊を悲しませてはいけないということで、これがエペソ教会の兄弟姉妹たちに使徒パウロが伝え、守って欲しかったことです。聖霊がわたしたちを一つにしてくださいますが、わたしたちが不一致であるならば、聖霊の働きに逆らっていることになります。わたしたちキリスト者は、イエス・キリストによって救われ、その保証である証印を聖霊から受けている存在です。その驚くべき恵みに感謝し、喜んで、心一つに主の恵みに応えて生き、仕える者とされていきましょう。