『主の家に住まう』 一月第三主日礼拝 宣教要旨 2014年1月19日
エペソの信徒への手紙2章19-22節 副牧師 石垣茂夫
『そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。』(エペソ2:22)
この朝の礼拝では、わたしたちひとり一人が教会につなげられて、今あることの恵みを覚え、神に感謝しましょう。
わたしたちの中で、自分から求めて教会に来られたという方は、稀であり、ほとんどの方が、どなたかの導きで教会に来られ、信仰を与えられたと言っても、過言ではないでしょう。それだけに、ここに、教会の伝道の基本があるともいえるのはないでしょうか。
「教会」と訳されています新約聖書原典のことば(ギリシャ語)は、「エクレシア」であって、使徒行伝以下のパウロなどの書簡に頻出し、「呼び集められた人びと」という意味の言葉です。この「エクレシア」の主語は神であって、教会は初め「神が呼び集められた人びと」と呼ばれていたのです。その言葉が間もなく、建物を含めた「教会」という概念になっていったという経緯があります。
エペソ2:22に『そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。』とあります。
「あなたがた」とは、手紙に於いて直接は”異邦人キリスト者“を指し、彼らと”ユダヤ人キリスト者”との間にあった厳しい対立を、克服しようではないかと戒め、真の望みをキリストに置いて、教会を成長させていただこうと、この手紙で、パウロは言葉をつくして語っています。
そのためには、主に在るわたしたちの、あらゆる祈り、あらゆる生活、あらゆる会話の根拠をキリストに置こうと、この手紙全体を通して呼び掛けているのです。
「霊なる神のすまいとなる」。この「霊なる」とは神の働きによってということです。教会は、わたしたちの希望によって出来たのではなく、神が働き、神の望みによって、神が集められた集いであることをここから教えられます。
次に教会(あなたがた)は「神のすまい」であると、パウロは言います。この「すまい」は「見守られる住い」という、極めて特別な言葉であり、わたしたちは、神の見守る住いにいるということになるのです。
エペソ2章でパウロは、教会とわたしたちに向けて、あなたがたは「神の作品である」、あなたがたは「神の家族」である、あなたがたは「神のすまい」であると、明解な言葉をもって、信仰生活の目標を示し、励ましの言葉を送っています。
招詞では、詩篇27篇4節(口語訳)が朗読されました。
『 わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。』
わたしたちは、主の家に住み、神の住まいに憩うことによって、信仰を強くされ、新しくされて、与えられた人生を歩んで参りましょう。