宣教「主よ、今こそ来てください」大久保バプテスト教会副牧師石垣茂夫 2023/12/17
聖書:ルカによる福音書17章20~21節(p143) 招詞:イザヤ書55章6節
「はじめに」
宣教の前に、アドベントの賛美156番「いざ来りませ」を皆さんで声を合わせて歌いました。今朝は特別に応答賛美でも同じ曲を賛美します。
新生讃美歌の「いざ来りませ」との題は、とても古い日本語でしたので、他の讃美歌集に付けられている題から、「主よ、今こそ来てください」と、今朝の宣教の題をいただきました。
「主よ、今こそ来てください!」。
多くの皆さまが、今、この叫びと同じ思いになっておられると思います。今こそ、心の底から皆さんでこの賛美に声を合わせなけらばならない、そのような事態が、世界各地に起きているのではないでしょうか。
多くの国が、武器を手に取ることしか、手段がないかのように振舞っています。全世界が、暗く濃い灰色の時代に突き進んでいます。わたしたちの希望を、どこに向けたなら良いのでしょうか。このわたしたちの時代の有様は、子どもたちの将来に、どのような人生を残していくことになるのでしょうか。
今朝はそのような問いかけをしつつ、御言葉に導かれたいと願っています。
「ガザに住むキリスト者の祈り」
戦闘が長引くウクライナでは、来年二月には戦闘開始から三年目に入ります。今人々は、二度目のクリスマスを前にどのような思いでいるのでしょうか。ツリーの周りに大勢集まってくる人々は、口々に「平和を」と、訴えていました。
一方で、パレスチナ人にはキリスト者が多いと言われていますが、閉ざされた地域で逃げまどうガザに住む人たちは、今、神さまの存在をどのように感じているでしょうか。
同じように、命の危険が待ち構えている中に飛び込んでいく、イスラエルの兵士たちは、どのような心の痛みを抱えて戦っているのでしょうか。
10月の宣教の時には、〔ガザに住むキリスト者の祈り〕を紹介しました。ここでもう一度お伝えします。
この祈りは、10月7日、戦闘が始まって間もなくなされた祈りです。
〔ガザに住むキリスト者の祈り〕
Prayers of Christians living in Gaza
わたしたちは、神の国を待ち望みます。
We long for the Kingdom of God.
わたしたちは、あなたの真理を問い続けます。
We continue to question Your truth.
わたしたちは、あなたを信頼します。
We trust in You.
わたしたちは、あなたのみ言葉を待ちます。
We wait for Your Word.
ひと月前のガザの、この方の祈りは、お伝えした言葉でしたが、二か月以上たった今、祈りの言葉にどのようになっているでしょうか。
これはニュース番組で知ったことですが、現在、ガザで得られる水は、人が生きるための最低限、一人一日5リットル(ペットボトル2,3本)だそうです。体を洗えるのはひと月に一度だと訴える男性の姿も映つされていました。
そのニュースを見ていた日に、丁度、水道検針のペーパーがポストに入っていましたので、我が家の水道料を調べてみました。我が家は夫婦二人の生活ですが、11月の水道使用量は14立方メートル(㎥)でした。1立方メートル(㎥)は1,000リットルですから、ひと月に、実に14,000リットル使ったのです。二人で一日あたり466リットルです。一人では、一日233リットルも使っているのです。2リットル入りのペットボトル116本を一人で使ったことになります。実に、ガザの人一人の50倍近い水を使っています。何という違いでしょうか。
こうした、過酷な生活を余儀なくされているガザの人の祈りは、今、どのように変わっているのでしょうか、わたしは次のような言葉になっていると思いました。
「今こそ来てください!救い主よ」。或いはもっと切迫して、「救い主よ、あなたはどこに留どまっておられるのですか。今すぐに、来てください!」と祈っているのではないか。そのようにさえ思えてなりません。
その日も、爆撃から逃げまどうガザの人たちは、やり場のない怒りを、崩れた壁を叩たたきながら、「助けてください!世界中の人たちよ!」と叫んでいました。
一方で、イスラエルが占領するエルサレム旧市街には多様な人たちが住んでいます。彼らの現在の心境が12月初めの新聞に掲載されていました。
若い学生で、ユダヤ系イスラエル人女性サラさんは、軍隊に招集された親戚が、ガザとの国境近くで戦死したことを知りました。「とてもつらい。ユダヤ人とアラブ人が共存できるかどうかは、難しい問題だが、一刻も早く戦闘が終わり、しっかりとした国になりたい。」と言っていました。
アラブ系イスラエル人女性マリャムさんは、「発言によっては嫌がらせを受けるため、今は話したくない。ただ、平和を望むだけです。」と語っていました。
40代のユダヤ人男性アブラハムさんは、「イスラエル人は、パレスチナ人と手をつないで生きようと努力してきたが、その見返りは何もない。共存について疑問を持ち始めている。」と語っていました。
この他、「女性や子供たちが死んでいく光景に心が痛む。誰もこの戦争を望んでいない。パレスチナ人とユダヤ人の、共存についての答えは持っていないが、今、わたしたちが望んでいるのは、停戦と平和だけだ。」と語っていました。
さて、わたしたちの救い主は、人々が「平和と停戦だけを望んでいるだけだ」と、そのように祈り呼びかけても、中々来ることのできない遠い彼方かなたに住んでいるお方なのでしょうか。人々の声が聞こえないほど、遠くに居られるのでしょうか。
聖書朗読で「(55:6 )主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。」と読まれました。皆さんが苦しい中で祈っているのに、預言者が伝える主なる神は、今はどのあたりに居られるのでしょうか。直ぐには来られないほど、遠くに居られるのでしょうか。
「鹿児島にて」
話が本題から少しはずれますが、今月の初めの事です。わたしたちは夫婦で初めて、鹿児島に行き、四日間を過ごしました。目的の一つは、妻の正子の50歳になる甥の家を訪ねることでした。甥は大学生になって鹿児島に行き、それ以来、鹿児島で所帯を持って三十年になろうとしています。訪ねたとき家族の人たちは、「遠い所を有難う」、「遠い所を有難う」と何度もい言い、心から喜んでくださいました。わたしたちも鹿児島は遠いと思っていたのですが、飛行時間は行きが2時間ですが、帰りは1時間10分でした。地上の距離が近くなったことに、改めて驚きました。
これは城山という鹿児島市街と桜島を見渡せるポイントです。たなびいている白い煙は噴火口ふんかこうから立ち上る水蒸気です。「桜島は最近とても静かで、却かえって不気味ぶきみだ。何時大きい噴火ふんかが起きるのかとても不安だ」と言っていました。鹿児島市は見どころの沢山ある土地ですが、観光地図を見ていて、宣教師フランシスコ・ザビエルのことが思い浮かんできました。日本人が歴史で習う事の一つに、「初めてキリスト教を日本に伝えた人」として、ザビエルの名と、1549年という日本上陸の年号が教科書に載のっています。
せっかく鹿児島に来たのですから、ザビエルに関しての何かがあるのではないかと、市内の地図をじっくりと見ていますと、中心部に「ザビエル公園」という名前を見つけました。そしてもう一つ、「ザビエル上陸の地」というしるしを、少し離れた海岸に見つけました。四日目は、他に予定がなかったこともありまして、タクシーを頼み、この二つの場所を案内してもらいました。わたしたちはクリスチャンだと話すと、運転手も「クリスチャンの人たちが、よく行きますよ。みなさん喜んでいますよ。」と言って案内してくれました。
「ザビエル公園」には教会が建ち、ザビエルと礼拝する会衆の群像ぐんぞうがありました。「上陸の地」は、桜島を目の前にした海沿いの広い公園で、長いレリーフとザビエル像が立っていました。
ザビエルは、1506年、スペイン・バスク地方の貴族の家に生まれ、キリスト教宣教師となり、当時の支配者ポルトガル王の命令で、アジアでの宣教に旅立ちました。初めは、1541年ポルトガルのリスボンから、アフリカ大陸南端を回る長い航海で、インドのゴアに向かいました。ゴアで7年ほど宣教活動をしていたとき、日本人に出会い日本に興味を持ちました。間もなくザビエルは、中国を経て日本に向かい、1549年に鹿児島に上陸しました、薩摩藩さつまはんの赦しを得て宣教活動を始めたものの、十か月で鹿児島を離れています。
その後は活動については、ご存じの方も多いので省きますが、長い弾圧の時代を経て、フランスなどから多くの宣教師が、母国に帰ることを捨てて、日本に来たのです。彼らは信仰と共に様々な文化をもたらしてくれました。わたしたちキリスト者ばかりでなく、日本人は、そのことを忘れてはならないと思わされています。
昔の人、例えばザビエルが「遠い」と感じたことも、今の時代ならば、思い立つならばすぐに行ける、その程度の距離になりましたが、神様との関係で、遠い近いと感じることは、こうした距離感とは全く違っているのでしょう。
「神の国はいつ来るのか」
ガザに住むキリスト者の祈りに「わたしたちは、神の国を待ち望みます」との言葉がありました。
ルカ福音書の言葉に、「今すでに、神の国はあなたがたの間あいだにある」とありますが、そうとは到底思えないような状況の中からの祈りです。すでに、無差別に、多くの人々が殺されています。「神が生きておられるなら、なぜこのようなことが起こるのか」、「神の国はまだ来ていない」としか言いようがない心境に、ガザの人々はあるのではないでしょうか。
聖書朗読ではルカによる福音書17章20 ,21節を読んで頂きました。
20ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。
21『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間あいだにあるのだ。」
ファリサイ派の人たちはなぜ、「神の国はいつ来るのか」と主イエスに尋ねたのでしょうか。
このユダヤのファリサイ派の人たちの問いは、「神の国はいつ来るのか」との、今のガザの人たちの問いでもあります。
それは、地中海世界が「ローマの平和」と言われた、一見すると、おだやかに思える時代に在っても、決して平和ではなかったのです。国民性を失い、希望の持てない世の中が続いていたのです。ファリサイ派は、苦しみの中にあっても、神の言葉に従って忠実に生きようとしていたのです。そうした努力をしてきた人たちが、苦しみの中から主イエスに問いかけました。「神の国はいつ来るのか」と。
人々は、ガリラヤからエルサレムまで、主イエスの様々な業を見てきました。それでも「主イエスこそが救い主」とは気付かないのです。信じられないのです。
主イエスは「神の子であるわたしが、あなた方の目の前にいるではないか。だから神の国はすでに来ている」と言われました。「目の前に居られること」、却ってそのために信じられないのです。
この先、「神の国はいつ来るのか」という問いは、このように、今、集っていますわたしたち自身の問題として、わたしたちに投げ返されるのです。
「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」との言葉が主イエスの答えです。「あなた方の礼拝と、交わりの中で、神の国を打ち立てなさい」。これが、主イエスの答えです。この言葉に応えて生きて生きなさい」と言われました。
招詞で、イザヤ書55章6節を読んで頂きました。
55:6 主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。
神さまは、この言葉のように、わたしたちが、神様を見つけることが出来るうちに、わたしに出会いなさいと言っておられます。もう少しはっきり言うならば、神さまはわたしたちに、神の存在を信じられないようなこの状況の中でこそ、「神の御心の内に生きてほしい。そして、わたしを見いだしてほしい」と求めておられるのです。
何を置いても神様は、わたしたちに出会うことを望み、会いたがっておられます。
今朝は、応答賛美に、もう一度156番「いざ来たりませ」を歌います。この讃美歌は、4世紀、ミラノの大司教アンブロシウス(Ambrociusu c.386) にその源があるとされます。1524年、マルチン・ルターが、自分の教会のために編曲し、ドイツ語に翻訳して賛美しました。その歌詞は、ルターによって、キリストの御生涯の全体を詠うたっています。
わたしたちは今、やがて来る完成の日「キリストの日」を信じ、神の国を生きるのです。
祈りの後、主キリストの来臨を待ち望みつつ、皆さんで賛美しましょう。
【祈り】