「主イエスに結ばれて生きよう」 五月第二主日・母の日礼拝 宣教要旨 2016年5月8日
ローマの信徒への手紙 6章1〜14節 牧師 河野信一郎
今日は、2名の姉妹が信仰を告白されてバプテスマを受けられました。また、1名の兄弟が転入会の証しをして教会の家族に加えられました。3人3様の歩みですが、神の一方的な恵みによってキリスト・イエスに救われ、主を救い主と信じて告白することで神の家族につなげられました。結ばれました。全ては神の憐れみ、お守りとお導き、恵みです。この恵みに応えて生きてゆく事が信仰生活であり、神が私たちに望まれる実です。この主の「恵み」がどういうものか分からなくなる時に、私たちは迷うことになります。
では、「主の恵み」とは一体何でしょうか。この恵みはすべての人に神から差し出されていますが、信じて受ける者にはかけがえのない恵みとなります。しかし、それを信じない時、主の恵みは何でもなくなります。「主の恵み」とは何であるのかが使徒パウロによってローマ書5章で教えられています。まず「主の恵み」はキリストによって神との平和を得ている、キリストの十字架の贖いの死によって私たちの罪は赦され、神の前に義とされ、キリストの執り成しによって神と和解させて頂いて、平和を得ていることを信じることだとパウロは言っています。この平和と信仰によって新しい希望が恵みとして神から与えられているのです。
イエス・キリストを救い主と信じることは、キリストの死にあずかるという事であり、罪に対して完全に死ぬということです。つまり、罪に対して関係を一切絶つということですから、「どうしてなお、罪の中に生きることができるでしょうか」とパウロは問いかけます。そして、「あなたがたは心に刻み付けなさい。キリスト・イエスに結ばれるためにバプテスマを受けたわたしたちが皆、またキリストの死にあずかるためにバプテスマを受けたということを。」また「わたしたちはバプテスマによって、キリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それはキリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」と3・4節で言っています。この新しい命に生きることこそ、主イエスを通して神から与えられている「恵み」なのです。
そして新しい命に生きるというのは、これまでわたしたちを苦しめて来た罪、恐れ、不安から解放されて生きてゆくこと、つまり救われている喜びと平安と祈りと感謝のうちに生きてゆくことであり、第一テサロニケ5:16−18にしっかりと記されています。これこそ主イエス・キリストに結ばれている者が結ぶべき実であり、神に求められている実なのです。
ローマ6章8節に「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます」とあり、11節には「キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい」と勧められています。「キリストと共に神に対して生きる」とはどのような生き方でしょうか。それは「神のために生きる」ということです。神の御用のために自分のすべてをささげられた主イエスに結ばれて生きているのですから、わたしたちも主イエスのように神の御用のために生きるということです。このことを大久保教会として心一つになしてゆきたいと願います。わたしたち一人一人は、恵みのうちにキリストに結ばれています。新しい神の家族が与えられました。共に主につなげられている恵みを喜び、感謝し、この恵みに共に応えて礼拝をささげ、仕えて参りましょう。最後に12節から14節を読みましょう。「あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。」 アーメン