「互いに愛し合うことが...」 二月第四主日礼拝 宣教要旨 2015年2月22日
ヨハネによる福音書13章34〜35節 牧師 河野信一郎
主イエス・キリストの十字架への道に思いを馳せてゆく受難節(レント)が18日からはじまりました。この月は「分かち合う喜び」というテーマで宣教をしてきましたが、たくさんの分かち合いを皆さんがしてくださったことを嬉しく思いました。
2週間前に「良きサマリヤ人の譬え」から宣教させていただきましたが、先週、わたしは目の前で苦しんでいる方に出会いました。苦しすぎて「助けて欲しい」と叫べず、それでも「祈ってほしい」と、痛み訴える人が目の前にいて、わたしは「祭司やレビ人のように道の向こう側を通ってゆくか、それともサマリヤ人のようにその人を気の毒に思って近寄り、わたしの持ち物やお金や時間を分け与えるか」と自問し、そして主イエスが「この3人のうち、誰が痛んでいる人の隣人になったと思うか」と尋ねるのです。わたしは「その人に慈悲深い行いをした人です」と答えましたら、主は「あなたも行って同じようにしなさい」とお命じになられました。
苦しんでいる方のために祈っている中で示された聖書箇所は、ヨハネの第一の手紙3章16〜18節と4章7〜12節です。「主はわたしたちのために命を捨ててくださった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、兄弟姉妹のために命を捨てるべき」、「世の富を持っていながら、兄弟姉妹が困っているのを見て、憐れみの心を閉じる者には、どうして神の愛が彼のうちにあろうか。言葉や口先だけで愛するのでなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか」とあります。主は、苦しんでいる人に寄り添い、持ち物を分かち、仕える機会を与えてくださっています。この機会を喜んで受けて隣人に仕えてゆくかどうかは自由意志に委ねられています。
主なる神はイエス・キリストを通して4つの戒めを示されました。一つは、「心と精神と力と思いを尽くして主なる神を愛せよ」と。一つは、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」と。もう一つは、「全世界に出て行って、すべての国民を弟子とし、父と子と聖霊との名によって彼等にバプテスマを施し、命じられているいっさいのことを守るように教えよ」と。
もう一つは、今回の聖書箇所にありますが、ご自分の弟子たちに対して、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも愛し合いなさい」という新しい戒めで、これから主の御名にゆえに様々な事柄が起こっても、あなたがたは兄弟姉妹たちを愛し通しなさいとの命令です。
この主イエスの戒めは、十字架に架けられる前夜に、しかも弟子のユダがご自分を裏切り、ペテロが自分を三度知らないと云うであろうと宣告されたちょうど間に挟まれています。主イエスは、弟子たちの弱さ、わたしたちの弱さを重々承知の上、わたしたちを愛してくださって、「互いに愛し合いなさい」とお命じになられます。何故でしょうか。理由を幾つか上げます。
1) わたしたちが愛し合うことが、目に見えない神を、救い主イエス・キリストを愛することであるからと第一ヨハネ4章12と20節にあります。
2) わたしたちが愛し合うことが、神と主イエスを愛するだけでなく、神の戒めを忠実に守ることになるのだからと第一ヨハネ5章3節にあります。
3) わたしたちが愛し合うことが、主イエスの弟子であることを証しし、すべての人がそのことを認めるようになるからとヨハネ福音書13章35節と主イエスがおっしゃいます。
4) わたしたちが愛し合うのは、主イエスによって死から新しい命へと移され、永遠の命が約束され、この世に仕える力と希望が与えられているからです(第一ヨハネ3章14節)。
主の愛と憐れみのうちにしもべとして生かされている恵みを喜び、主に感謝をささげましょう。