「互いに祈り合うことから始めよう」 協力伝道を覚える礼拝 宣教要旨 2014年1月26日
コロサイ人への手紙4章2〜4節 牧師 河野信一郎
日本バプテスト連盟の働きを覚え、また全国の324の教会・伝道所とその兄弟姉妹たちの祝福を祈るために「協力伝道週間」を過ごしますが、その初日に互いに祈り合うことの大切さについて聖書から共に聴きたいと思います。互いに祈り合うこと、それは互いに愛し合い、仕え合うことです。祈りは、主イエスを通して神から与えられた信仰者の力です。神と隣人を愛し、仕えてゆく方法は数多くありますが、最初で最高の愛し方、仕え方は祈ることなのです。
人生において様々な問題や課題を抱えた方々が教会に来会されたり、電話やメールをくださいます。牧師にできることは、可能な限りその方々を励まし、神を信じることと神に祈り続けることをお勧めし、共に祈り、最後にその人のために祈ってゆくことを約束します。そして祈ります。牧師にできるアドヴァイスは、「神さまを信じて、神さまに祈ってみなさい。祈り続けてみなさい」ということ一点だけです。神に祈り求めれば、神は必ず応えてくださいます。わたしたちに不必要なものは、どんなに祈っても与えられませんが、必要なものであれば必ず神は与えてくださいます。道を必ず開いて導いてくださいます。何故なら、神はわたしたち一人ひとりを祝福したいからです。そのために救い主イエス・キリストを与えてくださいました。
さて使徒パウロはキリストの御名によって神に祈ることが大好きな人で、いつも各地の教会と兄弟姉妹たちのために祈る人でした。その彼がコロサイ教会の兄弟姉妹たちに手紙を書き送り、その冒頭で「いつもあなたがたのために祈っている」とに記します(1章3節)。しかし実は、彼はコロサイ教会の兄弟姉妹たちとの面識はありませんでした。この教会は、エパフラスという人物によって福音が伝えられたからです。しかし、なぜ会ったこともないクリスチャンたちのために彼は祈ったのか。その理由は1章から3章を読んでゆけば判るのですが、コロサイ教会に「異端の教え」が入り込み、教会が混乱し、分裂の危機に直面していたからです。
大久保教会のわたしたちにも、一度も会ったことのない324教会の大勢の兄弟姉妹が与えられています。一度も会ったことはなくても、「いつも互いのために祈りなさい」と御言によってわたしたちは命じられ、励まされています。なぜでしょうか。それは今この時に教勢的に、財政的に大変な状況にある教会、牧師のいない教会や存続の危機にある教会があるからです。
使徒パウロは、手紙を締めくくるにあたり、コロサイ教会の兄弟姉妹たちに「目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい」と励ましました。「目をさまして」とは異端や様々な誘惑に陥らないように気を付けてということ、信仰を守るために戦う状態でいなさいということです。「祈る」とは、神に助けを、護りと導きを求めることです。自分の思いのままに行動しないで、神に信頼して委ねてゆくことです。
主なる神に祈れば、神は平安を必ずお与えくださいます。平安が与えられれば、すべての出来事は神の御手のうちにあり、神がすべてを益としてくださると感謝の思いが与えられてゆきます。ですから、「感謝のうちに祈りなさい」とあるのです。祈って、平安と感謝の思いが与えられると希望という生きる力が与えられ、たとえ苦境にあっても主にある喜びが与えられます。ですから、「ひたすら祈り続けなさい」と励ますのです。
主イエスはわたしたちに神に祈ることを教えてくださり、神は祈りを通して「生きる力」を与えてくださいます。この力は、わたしたちが互いに愛し合い、祈り合い、仕え合う力です。祈れば必ず神は道を開いてくださる、福音を伝える道が開くよう「わたしたちのために祈ってほしい」と3・4節にあるパウロの祈りの要請を覚えつつ、互いに祈り合ってゆきましょう。