宣教要旨『出発の人、アブラハム』

宣教要旨『出発の人、アブラハム』 大久保バプテスト教会石垣茂夫副牧師  2018/07/22

聖書 創世記11章31~12章3節(旧15p)  応答賛美 622 「慕(した)いまつる主の」

わたしたちは、アブラハムを「信仰の父」(ローマ4:11)と呼びますが、西欧においては「冒険者アブラハム」とも呼ばれます。「主なる神」は初めに、アブラハムの父テラを動かし、次に、アブラハム自身に、『行け!あなたの地から』と、直接呼びかけられました。 彼は、命令調のその言葉に、ひと言も発することなく従い、旅立っていきました。このアブラハムの信仰の旅路は、自分だけのことに留まりませんでした。神と向き合って進み、私的な領域を超えて広く用いられ、彼の思いを越えた大きな冒険の人生を送りました。

 

わたしが日本人として、日本人の国民性を考えることがあります。特に多くの日本人は、今もって同じところに留まり、皆同じであることで安心をしているという傾向を持っています。これを“同化の文明(assimilation)”と呼ぶそうです。そのとき、いつも比較されるのはヨーロッパ諸国の人々との国民性の違いです。彼らが15世紀、16世紀に、インド洋を経て、中国そして日本を目指して「冒険」をしてきたことは、東アジア一帯の文明を大きく進化させたと言ってよいと思います。

ヨーロッパの人たちが持っている、そのような精神を、一般的にはフランス語でアバンチュール(avanture)“冒険の文明”と呼ぶそうです。そのヨーロッパ文明の基礎となる、決定的な“冒険の文明”、その始まりが、特に「出発の人アブラハム」の姿に現れていると言われています。

12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。

新共同訳聖書は、お読みしましたような優しい表現になっていますが、この12章1節の言葉を次のように、『行け!あなたの地から』と始まる、きつい表現で翻訳している方がありました。『行け!あなたの地から。あなたの親族から、・・・あなたの父の家から、わたしがあなたに見せようとしている地へ』。

これがヘブライ語原文の調子なのだとその方は言っています。神はアブラハムに、これまで慣れ親しんできましたすべての環境から、徹底的に離れてしまうようにと彼に求めました。これは生易しいことではないのです。

わたしは、特に若い時代には、『父の家をでなさい』、この言葉を、心のどこかで意識していました。皆さんも、それぞれ独立して行こうとの思いを抱き、実際に経験されてきたことでしょう。今でも、若い方が親もとを離れ、遠くに住んで独り立ちしておられるのを見ますと、すばらしいなと、わたしはいつも感心して見ています。『父の家をでなさい』これは人にとって大切な、神さまからの「促しの言葉」だと思うのでが、どうでしょうか。

 

この時代アブラハムは、まだアブラムと呼ばれていましたが、既に75歳になっていました。アブラハムの生涯は、この75歳にして始まったのです。

神さまは、どこに行けというのでしょうか。

それは『わたしがあなたに見せようとしている地へ』と言うだけでした。

“Get out of your country・・・To a land that I will show you”、というだけです。

アブラハムは、後に合流した弟のナホルとその一族を残して、父親が果たせなかった、「神が示した地・カナン」に向けて出発しました。ここにはアブラハムの言葉がひと言もありません。これはかえって、アブラハムの決断の深さと覚悟を表わしているように思えます。

『祝福となる』

1節、2節、3節と、アブラハムへの命令と約束の言葉が続きます。その基本となる言葉は『祝福』です。『わたしはあなたを大きな民とする。わたしはあなたを祝福する。

わたしはあなたの名前を大きくする。あなたは祝福となる。』(楠原私訳12:2)

2節の初めで「あなたを祝福する」と言われました。続いて神は、『あなたは祝福となる』といわれました。『あなたは祝福となる』、少し不思議な調子の言葉ではないでしょうか。

『あなたは祝福となる』この言葉は、祝福はアブラハムに留まらないのだという内容を含んでいます。神がアブラムを祝福するのは、彼のためだけではないのです。このことはわたしたちひとり一人にとっても同じです。わたしへの神の祝福はわたしで終わることはないのです。神が『アブラハムを出発させた』その目的はアブラハム物語全体を通して、次第に明らかになっていきます。それはご自分と向き合う存在としての人間を造ることにあると思います。

アブラハムは、時に神に服従し、時には神に向かって抗議するほどでした。

そのように、自分に向き合ってくるアブラハムを、神は「友」と呼びました。神は彼を愛しながらも、時には「友」となって彼を叱る神であることを聖書は示しています。

神はご自身の計画を実現するために、神は人間の世界に介入し、人間を用いられます。それはアブラハム、イサク、ヤコブと歴史を刻みつつ、やがてイエス・キリストとなられてご自分を現わされて行ったのです。

この事は、わたしたちの知識によって得られるのではなく、神ご自身の呼びかけ、啓示によってのみ知らされることです。アブラハムの信じた神は、人間アブラハムに語りかけ、ご自身を現わしました。アブラハムに関わられた神は、現在のわたしたちに、人間の姿、キリストとなって出会われたのです。

アブラハムは、かつては月や星を拝む人でした。そのアブラハムに神は近づき、向き合ってくださいました。そして、アブラハムを用いて、神の祝福を伝えていかれました。

わたしたちは、アブラハムの物語を通して、神がその人生と働きをどのように導いて行かれたのかを知ることが出来ます。何時でも神は、ご自身の方から人に近付いて来られます。そして私たちを促し、私たちの出発を待っていてくださいます。神の呼びかけを聞き逃すことがないように、それぞれの生かされている場で、神の呼びかけを聞き、神の祝福をつないで行きましょう。