「弟子たちの命をつなげる主イエス」 三月第四主日礼拝 宣教要旨 2017年3月26日
ヨハネによる福音書 18章1〜9節 牧師 河野信一郎
受難節(レント)の中、ヨハネによる福音書18章1節から9節から主の御旨を聞き取ってゆきたいと願っていますが、新共同訳聖書の見出しには「裏切られ、逮捕される」と記されています。主イエス・キリストが弟子のイスカリオテのユダに裏切られ、祭司たちユダヤ人とローマ兵たちに捕らえられてしまう箇所です。ここから主イエスの受難が始まります。
この箇所を読むだけでも私たちの心は動揺してしまいます。私たちから見れば、こころから主の悲劇の始まり、悲しみと痛みで私たちの心は大きく揺さぶられるのですが、不思議なことに、この出来事の中心人物である主イエスが全く動揺しておられないのです。心が騒がず、冷静でおられるのです。ご自分の弟子に裏切られるだけでも大打撃、大ショックです。それなのに、主イエスは全く動揺されないでいられるのはどうしてでしょう。日常生活の中で、様々なことにすぐに動揺してしまう私たちは、どうしたら主イエスのように逆境の中でも冷静にいられるか、それを知りたいと願います。その答えがこの箇所にあると思います。
今回は、主イエスが逆境の中に立たされても動揺されない理由を三つ分かち合います。
まず一つ目の理由ですが、1節の最初に「こう話し終えると」とあります。これは、17章に記されている「主イエスの祈りが終わると」という意味です。つまり、イエスが動揺されなかった最初の理由は、祈りの中で、主イエスは神にしっかりとつながっていたからです。17章全体は主イエスの祈りの言葉です。そして「祈り」は、神と霊的につながる時です。この強いつながりが祈りを通して主イエスにあったので、逆境の中にあっても冷静であったのです。ですから、私たちも祈りの生活を大切にし、祈りを通して神につながり続けましょう。
さて、群衆と一隊の兵士たちとが武器を手に取って主イエスを捕らえにきますが、主はいたって冷静です。その二つ目の理由は4節後半にあります。「イエスはご自分の身に起こることを何もかも知っておられた」とあります。主イエスは、これから自分の身に起ることが全て父なる神の御心であり、ご計画であることを知っておられました。詳細は全て分からなくても、神の御手の中にあること、御手の中で進められてゆくことを信じていたのです。ですから、群衆が自分を捕らえようと押し寄せて来る中で、イエスのほうから進み出て、「誰を捜しているのか」と尋ねられるのです。この「進み出て」という言葉に、主イエスが自ら進んで十字架の死に向かって行かれる決意が表れています。主は、それほどまでに父なる神に信頼し、御心に従って生きておられたのです。
つまり、主イエスは心から神を愛しておられたのです。愛していなければ、そこまで神に信頼できないでしょう。私たちも、イエス・キリストを通して神を愛し、信頼して生きて行くように招かれていますが、この招きに応えて生きてゆく時に、自分が神の愛によって生かされ、御手の中で生かされている恵みを体験し、喜びと平安に満たされ、逆境の中に置かれても動揺しないで生きて行けるように変えられてゆきます。神の愛に感謝して生きましょう。
さて、イエスに「誰を捜しているのか」と問われた群衆は「ナザレのイエスだ」と答えると、主イエスは「わたしである」と言われます。そうすると、群衆は後ずさりして、地に倒れた」と6節に記されています。「わたしである」という主イエスの言葉は、ご自分が神であるということを示す「神の名」です。ですから、群衆はその神の神聖に、臨在に近づいた時、恐れのあまり後ずさりしてひれ伏すのです。
さて、主イエスが逆境の中に置かれても動揺されない三つ目の理由は、8節と9節にあります。「するとイエスは言われた。『わたしであると言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。』と言われます。この言葉から、主イエスが冷静であられたのは、守るべき人々がいたからであることが分かります。主イエスはご自分の弟子たちを深く、そして強く愛していましたから、彼らが捕らえられ、厳しい拷問にあって信仰を捨ててしまわないように、彼らの命と信仰を守るため、彼らの命と信仰をつなぎとめるために「この人々を去らせなさい」と言われたのです。そこまで弟子たちを、そして私たちの弱さに心を主は配られるのです。それ程までに、弟子たちは、私たちは主に愛されているのです。
9節に「それは『あなたが与えてくださった人をわたしは一人も失いませんでした』と言われた主イエスの言葉が実現するためであった」とありますが、これは17章12節で弟子たちのために主が父なる神に祈られた言葉です。この祈りを、主イエスが逮捕される時に、神はご自分の愛し、信頼して従う主イエスの祈りに応えられるのです。
主イエスは、神の言葉、約束は必ず成就すると確信していましたから、逆境に立たされても動揺せずに立ち、歩むべき道、十字架への道を歩まれ続けたのです。
私たちも、日々の生活の中で、様々な課題や問題が襲いかかり、心が騒ぎたち、思い悩むことが多々ありますし、これからも色々とあるでしょう。しかし、神に愛され、生かされていることを信じて、日々喜び、感謝し、主イエスにつながり続け、神と主イエスを愛し続けましょう。そうして生きる時に、神は私たちを造り替えてくださり、隣人を愛し、そして仕えてゆくことができるようにしてくださいます。逆境の中に置かれても動揺されないで私たちを愛し続け、命をつないでくださる主イエスを救い主と信じましょう。