心を騒がせない秘訣

「心を騒がせない秘訣」 三月第一主日礼拝  宣教要旨  2015年3月1日

ヨハネによる福音書14章1節      牧師 河野信一郎

 あなたの心の状態はいかがでしょうか。騒ぎ立っていませんか。もしそうならば、ちょっと立ち止まって大きく深呼吸を3回して心を落ち着かせてみましょう。血圧も下がるでしょう。

 しかし、わたしたちの心が騒ぎ立つ理由、原因はそもそも一体何でありましょうか。主イエスは弟子たちに「あなたがたは心を騒がせないがよい」とおっしゃいましたが、彼等の心を騒がせていた原因は何であったのでしょうか。その理由・原因をヨハネ福音書13章と14章に記されている弟子たちの身の回りに起こった出来事から探り、主イエスの弟子たちに対する愛ある勧めの言葉、諭しの言葉からわたしたちが適応できる解決策・秘訣を聞いてゆきましょう。

 さて、ヨハネ福音書13章と14章には、主イエスが十字架に架けられる前夜に弟子たちと最後の夕食をされた様子が記されていますが、マタイ・マルコ・ルカ福音書に記されていないヨハネ独自の記事、主が弟子たちの足を洗われたという象徴的な行為が記されています。

 この「洗足」の行為は、弟子たちがこれから互いに仕え合い、支え合ってゆくために主が手本を示されたことですが、人を愛するというのはその相手をそのままに受け入れ、その人に対して僕のように仕えて行くことだということを主イエスは具体的に教えられたのです。

 しかし、主イエスが自分たちの足を突然洗われるのですから、弟子たちは本当にビックリしたことでしょう。「めっそうもない!」という弟子もいました。予期しなかったことが突然起こりますとわたしたちの心は騒ぎ立ちます。「これはどういう意味なのか」、「何か悪いことの前触れではないか」と考えて、弟子たちの心は騒ぎ立ったかもしれません。

 また、主は「あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」とお命じられますが、わたしたちは「誰にでも」というのはできないと感じます。特に自分と無関係な人、馬が合わない苦手な人、一定の距離を保っていたい人を許容範囲を広げて受け入れ、仕えなさいと言われたら、自然に心が騒ぎ立ちます。ましてや、自分を裏切ろうとしている人や自分のことを知っているのに知らないと嘘をつく人が目の前にいたら、わたしたちの心は穏やかではないでしょう。怒りや悲しみで心は一杯になるでしょう。ヨハネ福音書13章21節には、主イエスの心も騒いだということが記されています。主イエス・キリストの心もわたしたちと同様に騒いだのです。

 13章21〜30節では弟子イスカリオテのユダの裏切りが予告され、同じ36〜38節には鶏が鳴く前にシモン・ペテロは主を知らないと3度言うと主イエスに予告されています。

 わたしたちの心というのは、誰かに裏切られたり、嘘をつかれたり、無視されたり、ひどい仕打ちをされる時だけに怒って騒ぎ立つのでなく、大切な人の期待を裏切ったり、嘘をついたり、悲しませたり、失望させてしまう時にも騒ぎ立つわけです。しかしそういう弱さをもったわたしたちに対して主は「わたしはあなたがたを愛している。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合い、受け入れ合い、仕え合いなさい」とお命じになられます。

 わたしたちの心が騒ぎ立つ原因は他にもあり、その一つが大切な人、愛する人との離別です。今日には様々な離別の形がありますが、最も悲しいのは愛する人との死別です。家族や親しい人の死に直面したり、また自分の死に直面することは心が大きく揺さぶられることです。「死の向こう側に何があるのか」ということを考えると心は穏やかさを失い、恐怖心を抱きます。

 しかし主イエスは、「心配するな。心を騒がせるな」と弟子たちとわたしたちにお命じになられます。主は何故そのようにおっしゃるのでしょうか。それは死の向こう側には「神の住まい」があって、主イエスがその天国へとわたしたちを招かれて下さっているからです。自分の地上での命の終わり「死」について考えたり、また向き合わなければならない時、わたしたちは恐れます。しかし、地上での死は終わりでないと主イエス・キリストは教えてくださり、「心を騒がせるな」言ってわたしたちを励ましてくださいます。そして心を騒がせる原因からわたしたちが解放される道、その秘訣をとてもシンプルに3つ教えてくださいます。

 1)まず永遠の命と住まいをわたしたちに約束し、備えてくださっている父なる神を信じるということ、委ねるということです。ヨハネ福音書14章1節にあることです。

 2)そして「わたしを信じなさい」とあるように、イエス・キリストを救い主と信じることです。弟子たちは「永遠の住まいへ行く道を知りません」と訴えましたが、主イエスは「わたしがその道であり、真理であり、命です。誰でもわたしに付いて来なければ神のみもとに行くことはできない」と14章6節でおっしゃり、「わたしを信じ、従ってきなさい」と招きます。

 3)十字架に架けられて贖いの死を遂げられ、3日後に復活され、40日にわたって弟子たちに教えた後に天に上げられた主イエス。その救い主の代わりに神から送られる「助け手」である神の霊、聖霊を心に迎え入れることです。この聖霊がわたしたちにすべてのことを教え、主イエスの言葉を思い起こしてくれると14章26節に記されています。

 冒頭で、心が騒いだ時には立ち止まって大きく深呼吸を3回することが良いと申しましたが、この「息」が聖書にある「神の息(プネウマ)=聖霊」なのです。あなたが心を騒がせる時、神を信じ、キリスト・イエスを信じ、聖霊を心に受けてください。心に平安が必ず与えられます。

 最後に14章27節にある主イエスの言葉に聞きましょう。「わたしは平安をあなたがたに残してゆく。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな。またおじけるな。」 この主がわたしたちといつも共にいてくださいます。ただ信じましょう。