心一つになるために

「心一つになるために」 七月第一主日礼拝  宣教要旨  2014年7月6日

ピリピ人への手紙1章27節      牧師 河野信一郎

 ピリピ教会は、キリスト教に対する迫害の危険と隣り合わせにあり、いつも信仰の戦いがありました。教会内には、対立や不一致があり、信仰のチャレンジがありました。教会の外部から受ける苦しみだけでなく、内部で生み出される苦しみは、信仰者の心を消耗させてしまいます。本来用いたいところにエネルギーを注入できないのは辛いことです。使徒パウロは、そのような教会の兄弟姉妹たちの信仰が弱り、消え失せないように、救われている喜びが半減しないように、この手紙をローマの獄中から書き送ったと考えられています。

 このピリピ書の主題は、4章4節の「あなたがたは主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが喜びなさい」です。覆い尽くそう程の苦しみや悩みがあり、不満や怒りや失望感が人々や社会に対してあったとしても、それでも「主にあっていつも喜びなさい」と使徒パウロは兄弟姉妹たちを励まし、そして主は今日を生かされている私たちをも励ましてくれるのです。

 信徒会が本日の礼拝後に開かれます。皆さんのご意見やアイデアを伺いたい大切なテーマが幾つかあり、それらを「主の恵みに応えていきよう」という年間標語をわたしたちの中心に置いて一緒に考えてゆきたいと願います。各テーマを考える中で、どのように応答してゆくことが主の恵みに応えて生きることなのか、キリストの福音にふさわしく生活することなのかを考えながら、愛と祈りと忍耐とをもって、共に言葉と意見を重ねてゆきたいと願います。

 教会の成長、成熟を妨げるのは何でしょうか? それは教会の諸活動・働きに無関心であることです。それではその無関心さは何処から来るのでしょうか? それは、自分のことしか考えない心から来ます。「無関心」の対義語は「愛」とされています。つまり教会の事柄に無関心であるということは、キリストのからだなる教会を愛さないということではないでしょうか?

 「いつも喜びなさい」という言葉の中心は、「主にあって」です。わたしたちが一つ心、一つ思いになれる唯一の共通点は救い主イエス・キリストです。このキリストを主と崇め、信じ、忠実に従う時にのみ、わたしたちは一つになることができます。イエス・キリストなしにわたしたちに一致は有り得ませんし、この救い主なしにわたしたちの教会は存在し得ません。

 あなたにとって、イエス・キリストは誰なのでしょうか? 何なのでしょうか? あなたのため、わたしのため、わたしたちのためにキリスト・イエスは何をしてくださったでしょうか?キリストは、わたしたちの罪を贖うためにわたしたちの身代わりとなって十字架に死に、その命を捨ててくださって救いを与えてくださったお方ではないですか? わたしたちに永遠の生命を与えてくださるために神の大いなる愛と御力によって甦らせられたお方ではないですか?

 この救い主イエス・キリストは、今も生きて、共にいてくださいます。復活されて今も生きておられる主イエス・キリストがわたしたちと共にいてくださり、伴い導いてくださり、また神の霊・御聖霊が共にいてわたしたち一人ひとりの信仰を守り、励まし、導いてくださいます。

 わたしたちの心を一つにしてくださるのは、主イエス・キリスト。このお方に目を注ぎ、心から信じて、信頼して行く時に、このキリストの目がどこに向いているのかが判るようにされます。まずわたしたちがキリスト信じる信仰によって一つとされ、力と祈りを合わせて福音に忠実に生き、福音を人々と分かち合ってゆきましょう。一つ心になって、福音の信仰のために力を合わせて、キリストのからだなる教会を建て上げて参りましょう。大久保教会が組織されてから49年目の歩みが始まりました。50周年を主に感謝し、共に喜び祝う準備を進めましょう。