忠実な良い僕の条件

「忠実な良い僕の条件」 十月第一主日礼拝 宣教 2024年10月6日

 マタイによる福音書 25章14〜30節     牧師 河野信一郎

 

おはようございます。2024年も10月に入りました。今朝もご一緒に賛美と礼拝をおささげできることを神様に感謝いたします。昼食も今日から再開されますが、今月もたくさんの恵みが神様から与えられることを確信しています。どうぞ日曜日は教会にお戻りください。

 

さて、去る29日の午後に、TGM教会の青年たちと大久保教会と連合の青年たちがこの礼拝堂に集まり、賛美が元気にささげられ、神様からの語りかけを一緒に聞きました。その後は、一階ホールで交わりを和やかに持ちました。写真を数枚ご紹介したいと思いますが、TGM教会の青年たちは約50名で、礼拝チーム、賛美チーム、ダンスチーム、通訳チーム、プロジェクターチームと万全の体制で圧倒されました。刺激と学ぶことが非常に多い時間となり、素晴らしいチャンスを与えてくださった主に感謝しています。ジュグチョン教会のH牧師とわたしの今後のための願いと祈りは、この祝福された出会いが積み重ねられ、さらに豊かな交流となり、神様の栄光をあらわすために一致協力して、新しいうねりと言いましょうか、新しい動きが生み出されてゆくことです。どうぞお祈りください。

 

さて、先月までは「わたしたち一人ひとりに対する神の御心は何であるか」を聞いて来ましたが、10月は、神様からわたしたち一人ひとりに託されているものを用いて、どのように神様の栄光をあらわし、隣人を愛し、キリストのからだである教会を建て上げるべきか、どのような心持ち歩むべきかを聖書からご一緒に聞いてゆきたいと願っています。もし神様がわたしたちの神であり、イエス・キリストが救い主であると信じているならば、わたしたちは神様と主イエス様のものです。イエス様はわたしたちの主であり、神様は主人です。この主人が求めておられることを忠実に成してゆく人が、主の忠実で良い僕です。

 

さて、突拍子もないことを皆さんに質問させていただきます。今、世界中で紛争、戦争が続いています。その戦場にはたくさんのミサイルやドローンが撃ち込まれるだけでなく、何百万個という数の地雷がまかれています。地雷は「悪魔の兵器」と呼ばれ、無差別殺戮兵器として世界78ヶ国以上の土地を汚染しています。毎年、1万5千人から2万人がこれによって命を落とし、死傷者の80%が民間人です。あなたは、その地雷を取り除くために造られた除去重機です。あなたの使命は、一つでも多くの地雷を除去して、人が平安に生活できる土地を再生することです。しかし、もしも、あなたが、「いやぁ、自分はそんな危険なことはしたくない。悠々自適に暮らしたい。自分のためだけに生きたい」と言ったら、世界はどうなってしまうでしょうか。そんなことはあり得ないですよね。地雷を除去するためだけに設計され、製造され、汚染された土地に派遣されているのですから。もし自分に委ねられた責任を全うできないならば、廃車、スクラップされてしまうのではないでしょうか。だいぶ過激的な例えであったかもしれませんが、眠りそうな方々に注意を促すためにそのような導入の仕方をさせていただきましたが、イエス様はとてもシリアスな事を語られます。

 

さて、今朝はマタイによる福音書25章14節から30節をテキストに、イエス様の言葉に聞いてゆきたいのですが、最初に覚えたいのは、イエス様はここで、ご自分の死を目の前に、十字架の死までたった二日前に、この譬えを弟子たちに話されるのです。緊張感が走る時間です。そのような中、イエス様は天の国について譬えを用いてお話しされます。なぜ天の国について話されるのか。主なる神様がわたしたちを天の国に招いておられるからです。そしてその天の国に入れるには一つの条件があり、イエス様の言葉どおりに生きることが求められます。イエス様は、そのために「奴隷」のようになれと言っておられるのではありません。「忠実な良い僕」になって歩むことを期待され、主人に忠実に仕える良い僕とはどういう人間か、忠実な僕となるためにはどのような条件が必要かを教えられるのです。

 

14節から18節まで読んでゆきます。「ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。15それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、16五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。17同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。18しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。」とあります。

 

相当な財産を持った主人が僕たちに大切な財産を託す話です。ここに「僕たちを呼んで」とありますが、わたしたちも主イエス様によって呼び集められた存在です。それは、主イエス様のために働くという目的があります。そのイエス様の呼びかけと期待に気づくか、どうかによって、クリスチャンとしての生き方が根本的に変わってきます。イエス様につながり続ける中で、わたしは自分のためではなく、主イエス様と隣人のために仕えて生きるために罪赦され、救われ、生かされている使命と人生の目的を知ることができるのです。

 

15節に「それぞれの力に応じて」、タラントンが預けられています。わたしたちにも、それぞれに神様から預かっている賜物があります。それぞれに賜物は違いますが、神様から託されている働きがありますので、違いがあってしかるべきで、自分の賜物と他の人の賜物を比べて一喜一憂する、優越感を持つとか、劣等感に陥ったりするとか、嫉妬することではありません。恵みを感謝して受け取り、それを主のために用いることが重要なのです。

 

また、神様から預かっているということは、自分のものではないということ、いつか神様にお返しするものであること、また預かっている間はそれを大切にしなければならないということです。わたしたちに預けられたのには、神様に確かなご意志とご計画、またご配慮があるということですが、神様はわたしたちを信頼して託してくださっているということです。神様から与えられたもの、預けられたものを拒絶するのではなく、感謝して受け取り、それを用いることが大切だと教えるためにこの譬えは語られます。

 

さて、1タラントンとは、どれくらいの価値か、お分かりでしょうか。1タラントンは6000デナリオン、1デナリオンは労働者の1日分の給与ですので、6000日分の給与額となり、それは1年250日働いたとして約24年分の給与となる計算です。1デナリオンを1万円で単純計算しますと、2タラントンは1億2千万円、5タラントンであれが3億円になります。このような莫大な金額が託されたということは、僕たちはそれだけ主人から信頼されていたということです。それだけ投資してくださっているということです。

 

この期待に応えたいと思うか、あるいは、そこまで束縛されたくないと思うか、みんなそれぞれかもしれませんが、主人から期待された3人の僕はどうであったでしょうか。5タラントン預かった人も、2タラントン預かった人も、出かけて行って、そのお金で商売をし、預かった倍の金額を儲けました。しかし、1タラントン預かった人は、主人を恐れてお金を土の中に隠して、それ以外は何もしませんでした。預かったものを有効に用いなかったのです。

 

わたしたちはそれぞれの力に応じて神様から賜物が預けられていますが、それは主のために用いるために預けられたものです。わたしたちは神様から有りとあらゆるものを預かっています。命、体、健康、能力、時間、富、まだたくさんありますが、それらを自分のためだけに使うのは、土の中に隠してしまうことと同じことです。神様の愛が与えられ、イエス・キリストの福音を宣べ伝えることが委託されているのに、神様の愛と福音を自分の幸せのためだけに、自分の心の中にだけしまっているのは、神様の思いではありません。

 

19節から、「19さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。20まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』21主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』22次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』23主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』とあります。

 

主人は、5タラントン儲けた僕と2タラントン儲けた僕に対して同じ言葉で褒めています。これは儲けた金額が神様の関心ごとではなく、神様に対していかに忠実に、誠意をもって委ねられたものを的確に、有効に活用したかという、わたしたちの誠実さを重要視されるということです。神様は、誠実な人を必ず顧み、さらに祝福してくださるのです。

 

しかし問題は24節から30節。「24ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、25恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』26主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。27それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。28さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。29だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。30この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」とあります。

 

主人を恐れてタラントンを土に隠した人は、持っているものまで取り上げられて、闇の中で泣きわめき、歯ぎしりをする、つまり後悔すると主イエス様は言っておられます。地雷除去重機のことを思い返してみてください。皆さんは、人生に後悔されたくないと思いますが、そうではないでしょうか。誰もが後悔のない人生を送りたいと願っていると思います。

 

わたしたちに大切なことは、過去を振り返って後悔することではなく、将来を心配することでもなく、今日という日に、神様に対しては忠実に、人々に対しては誠実に生きてゆくことです。イエス様と交わした約束、イエス様にだけ従うという約束を覚え、祝福とご計画をもって与えられているわたしたちの命、身体、時間、富をよく管理し、神様とイエス様の栄光のために、人々の救いと幸せのために、キリストのからだなる教会を建て上げてゆくために生きる。その歩みの先に、天の国があり、神様が待っておられることを覚えたいと思います。イエス様は、わたしたちに永遠の命を与えるために十字架の道を歩まれ、その命を与えてくださいました。わたしたちは、何をもって神様の愛とイエス様の犠牲に応えることができるでしょうか。この新しい週も、そのことを考え、祈り、主のみ声に耳を傾けましょう。