「救い主誕生の喜び」 クリスマス礼拝 宣教 2021年12月19日
ルカによる福音書 2章8〜14節 牧師 河野信一郎
クリスマス、おめでとうございます。2021年のクリスマスを皆さんとこのように礼拝堂で、またオンラインでおささげできて感謝です。今朝は、クリスマス礼拝ということで、開会の賛美をメドレーで3曲もおささげできて、とても嬉しいですし、奏楽を担ってくださる姉妹に心から感謝です。金曜日のクリスマスイブ礼拝でも賛美をたくさんささげて救い主イエス・キリストのお誕生をお祝いします。ライブでも配信しますので、どうぞご出席ください。
さて、誠に残念ながら、昨年に続き、クリスマス礼拝後の祝会やイブ礼拝後の茶話会は感染防止のため持ちません。去年の今頃、わたしは「何が何でも来年のクリスマスは大丈夫だろう」とタカをくくっていましたが、コロナウイルスは何度もその姿を変えてしつこく近寄ってきます。そういう中で、何度も計画を変更しなければならず、諦めなければならなかったことも数知れず、心に弱さを覚えるようになりました。嫌気を通り越して、前向きに考えることなどができなくなり、自分のことだけで精一杯という「内向き」になったり、コロナ前の生活は良かったなぁと過去ばかりを振り返る「後ろ向き」になり、今までのような元気がなかなか湧いてこないようになっているのではないかと思います。しかし少し立ち止まって、深く深呼吸をし、目を凝らしてよく周りを見渡せば、心が温まる嬉しいことや感謝なことはたくさんあると思います。こちらが積極的に探さなくても、祝福や喜びが向こうから勝手に来てくれるということもあります。神様のなさることはいつも時にかなって美しいです。
クリスマスのメッセージもまったく同じで、愛と祝福の中で、神様から一方的に与えられた最高のプレゼントのお話、ストーリーです。ベツレヘム地方で野宿しながら羊の群れの番を夜通ししていた羊飼いたちに突然、一方的に神様の天使が近づき、一方的に大きなニュースが伝えられます。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」というホッカホッカの大ニュースです。英語では「Braking News」と言いますが、心が大きく揺さぶられるような衝撃的なニュースが羊飼いたちに伝えられます。
羊飼いたちは、自分たちに起こった衝撃的な4つのことに驚き、恐れます。一つは、天使が突然現れ、主の栄光が周りを照らしたこと。二つ目は、「あなたがたのためとあるように、彼らのために」メシア・救い主が今日お生まれになられたというニュース。三つ目は、救い主に出会うために必要であった「しるし」が与えられたこと。つまり、「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう」という具体的なしるしです。四つ目は、また突然、この天使に天の大軍、凄まじい数の天使が加わって、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ!」という賛美の大合唱があったからです。本当はもう一つ驚いたことがありましたが、それは後ほどお話ししたいと思います。
さて、この4つの衝撃的な出来事を聞いて、内容的に三つのことは理解できると思いますが、あと2つのことがなんとも曖昧で分からないのではないかと思いますが、いかがでしょうか。もしかしたら、4つとも理解不能とお感じになられる方もおられるかも知れませんが、時間の都合上、2つのことをお話しします。一つは短く、そしてもう一つは長くなります。
まず羊飼いたちに最初に起こった出来事、「突然天使が現れ、主の栄光が周りを照らした」ということ、お分かりになられるでしょうか。ここで分からないのは「主の栄光」という言葉になると思いますが、少なくとも二つのことが言えます。まず一つ目、「主の栄光」とは神様が臨まれるということ、つまり神様はおられる、実在するということ、そしてその神様の愛が地上を照らしたということです。二つ目、「主の栄光」とは、旧約聖書、特にイザヤ書などの預言書では「救い」と同義語として用いられています。つまり、「主の救い」が羊飼いとその周りの人々に与えられたということです。これが短いほうです。
理解不能で一番ややっこしい複雑なことは、なぜ神という存在からこの地上の人々に一方的に「救い」が与えられたのかということです。豊かな人は「誰もそんなこと頼んじゃあいないよ。宗教の押し売りはいらない。迷惑」と言うでしょう。しかし、すべての人が豊かな人ではありません。昔も今もさほど変わりはなく、「貧しい人」の方が圧倒的に多いのです。
貧富の差が更に拡大していると言われていますが、まさしく拡大の一途をたどり、一握りの人たちが巨万の富を獲、不条理な数の人々が貧しさの中に生きている。今の日本とアフガニスタンの状況を比べてみればはっきり分かります。日本には食べ物が捨てるほど溢れ、アフガニスタンでは食べ物もなく栄養失調で死んでゆく子どもたち、人々で溢れている。
日本の実業家は百億円以上のお金を払って民間人として初となる宇宙旅行へ行き、「地球はやはり青かった。故郷の千葉も青かった」と言う言葉を宇宙ステーションから発信し、ある人からこの宇宙旅行は「経済的貧富の差の象徴」と言われたら、「自分の金で旅行に行って何が悪い」と切り返す。すごい世の中だなあと驚かされますが、「心の貧しい人」とは誰でしょうか。経済的な豊かさを自分の知恵と努力で得たかのように驕り高ぶる人ではないでしょうか。
「宇宙から地球を見ると国境線は見えなかった」と名言を残した宇宙飛行士が昔おられましたが、遠くから見ても見えないものは確かにあり、見なくて良いものも多々あります。しかし近くでないと見えないものがあることも確かです。この地球という大地に足をつけて、自分の足で歩き回らないと分からない事実があります。その事実とは、神様の愛、魂の励まし、支え、平安、希望に飢え渇いている人々が多いということです。貧しい人には「救い」が、「救いの手」が必要なのです。ですから、神様は天からこの地上にイエス様を送られたのです。
話しが横道にだいぶ逸れてしまいましたが、わたしたちには分からないことがたくさんあります。その一つになぜ神様は救い主をお与えになったのか、この地上にお遣わしになられたのかという神様の意図と目的の全容を知ることができないということです。ある人はそれをすべて理解できるまで信じないというかもしれませんが、そういう人は永遠に信じることはできません。何故ならば、神様のお考えをすべて知ることは人間にはできないからです。ただ、わたしたちに最低限出来ることがあります。それは神様のお考え、言葉を確かめようと前進する探究心を持つこと、そしてそのために実際に動き出してゆくこと、それが信仰なのだと思います。ですからイエス様は「わたしに従って来なさい」と招かれるのだと思います。
羊飼いたちは自分たちの身に突然起こった衝撃的なことに非常に驚きましたが、彼らは天使が告げてくれた救い主誕生の出来事を確かめようとベツレヘムへ行き、しるしを頼りに飼い葉桶に寝かされている乳飲み子を見つけ出すことができ、天使が自分たちに伝えてくれたことは全部本当であったこと、自分たちのために救い主がお生まれになられたこと、神様は自分たちを愛してくださっているという衝撃的な事実を確認し、大きな喜びに満たされます。
またまた横道に逸れた感がありますが、なぜ神様は救い主をお与えくださったのか。様々な角度から様々な言葉を用いて話すことはできますが、その中から今朝一つ、そしてイブ礼拝の中で一つ分かち合いたいと思います。しかし今朝、皆さんにお伝えしたい確かなこと、それはわたしたちを神様に「つなげるため」にイエス様はお生まれになられたということです。
ヨハネ福音書3章16節と17節に、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」とイエス様が救い主としてこの地上に来られた目的が記されていますが、わたしたち人間が犯した「罪」によって神様とわたしたちの関係性は完全に切り離されていました。広くて深い溝がありました。その関係性を再びつなげ、神様との関係性を永遠のものとするため、わたしたちの罪を贖うため、その罪の代価をご自分の命と引き換えに支払うためにイエス様は来られました。
この救いの出来事は、わたしたちがそのように求めたからではなく、神様から一方的に与えられた愛と憐れみ、受ける資格のない者に与えられた恵みです。この神様からのプレゼントを受け取ることが救い主の誕生を心から喜び、感謝し、祝うクリスマスの本当の意味です。わたしたちは、羊飼いたちのように、聖書を通して告げられた神様の愛と真実を探求する信仰へと招かれ、永遠の祝福に向かって歩む希望が励ましとして与えられています。すべてのものに対する祝福は、人類だけでなく、この地上に存在するすべてのものに与えられています。祝福は神様から始まり、イエス・キリストという救い主・メシアを通して与えられます。
先週、とっても嬉しいことがありました。予期していないことが起こると、感動や喜びは何倍にもなりますね。アメリカのコロラド州にお住まいのダン&キャロル・フィッシャー夫妻から私のスマホにクリスマスメッセージが突然届きました。ずっとご無沙汰していました。
多くの方はご存知ないと思いますが、ご主人のダンさんは、新型コロナウイルスの感染が日本で初めて大きく取り上げられた旅客船ダイアモンド・プリンセス号内で感染し、教会の近くにある国際医療センターに搬送され、一時は医師団からあと30時間の命と言わせるほど重症になられた方でしたが、医師達の懸命な治療と彼の強い意思と妻のキャロルさんの愛と多くの人々の祈りによって、神様の深い憐れみによって、長い闘病とリハビリ生活の末、真っ暗闇の中から奇跡的に救われ、健康を取り戻されました。ご主人の回復をひたすら待つキャロルさんは大久保教会の礼拝に数回出席され、アメリカへ戻ってゆかれて1年半が経ちます。その後キャロルさんはガンの再発があり、ずっと治療を続けておられましたが、今は落ち着いておられるようで、次のような内容のメールが届きました。
「メリークリスマス。大久保教会の皆さんが健やかであることを願っています。私たちは皆さんのことをよく思い出し、お祈りしています。岩のように私たちの支えとなってくださってありがとうございます。神様の御心であれば、もう一度日本を訪れ、皆さんに会いたいです。神様の祝福がありますように。神様は素晴らしい!ダン&キャロル」とありました。
旅先で未知のウイルスに感染し、日本という言葉や食文化がまったく違う異国の大都市の真ん中にいきなり放り出され、愛する夫はいつ息を引き取ってもおかしくないという恐れと不安の中、また自分も病院の個室に隔離されて一歩も出られない。夫が今どういう状態なのかも分からない、医師からの説明を聞いても大部分の意味が分からない。孤独と不安と恐れという深い闇の中、キャロルさんの唯一の頼みは神様で、頼みの綱はスマホだけでした。
彼女は、スマホですぐにアメリカの教会にメールし、とりなしの祈りを要請しました。癒し主なる神様に祈って欲しいと教会の皆さんに助けを求めたのです。そしてその中に、アマンダという40代前半のクリスチャンがいました。彼女は信仰がしっかりされ、機転が効く人であったと思います。キャロルさんから知らされた病院の住所をグーグルマップで検索し、病院から最も近いバプテスト教会を探し出します。それがわたしたちの大久保教会でした。
アマンダさんはすぐに教会のホームページにアクセスし、メールをしてきました。そのメールが届いたのは夜中で、「あなたの教会の近くにある病院にとても大切な人たちがいて、夫はあと30時間程の命と医師から言われ、不安の中にいる妻がいるから、病室からあなたを見える所まで行って祈ってもらえないか」という依頼でした。私はすぐに「大久保教会の会員に若くて有能な医師がいて、その病院で感染者を治療しています」とすぐ返信しました。アマンダさんと私がメールのやり取りとしているまさしくその時間帯に、この医師の兄弟と他の医師が夜を徹してダンさんの治療をしていたということを後から知らされ、非常に大きな感動で包まれました。神様のなさる救いの業はいつも時にかなって美しく、愛で満ちています。その同じ愛が、今朝、2021年のクリスマス、わたしたちに与えられています。救い主誕生を喜び、感謝し、この大きな愛を素直に受け取りましょう。メリークリスマス!