救い主誕生の目的

「救い主誕生の目的」 クリスマスイブ礼拝宣教 2020年12月24日

 テモテへの手紙Ⅰ 1章15〜17節      牧師 河野信一郎

 救い主イエス・キリストのお誕生を、皆さんに心からお慶び申し上げます。わたしたちが生きている限り、この2020年のクリスマスは、わたしたちの記憶に深く刻まれる特別なクリスマスになると思います。新型コロナウイルスが日本だけでなく、世界中で猛威を振るい続ける中で、人類がかつて経験したことのない「新型ウイルス感染」という世界レベルの大きな恐れの中に、今わたしたちは置かれていて、この恐れからいつ解放されるのかと思いながら、不安と格闘する毎日を過ごしているわけですが、それでも今夜、皆さんとご一緒に、この礼拝堂で、またインターネットを通して、クリスマスイブ礼拝をおささげできる幸いに招かれていること。この愛と憐れみ、恵みを与えてくださる神様にただただ感謝です。今夜は、皆さんとたくさんのクリスマスキャロルを賛美できて、本当に嬉しいです。

 今年のクリスマスイブ礼拝は、ユーチューブとフェイスブックでライブ配信しています。このライブ配信は今回のパンデミックに対応するための対処方法ではありましたが、この礼拝堂に集えない方々が、カメラの向こう側に確かにおられることを知っております。そのような方々とこのような形ではありますが共につながっていることを大変嬉しく思っております。またこの礼拝がささげられている時間もお仕事をされている方々、明日に備えて安全な場所に帰宅中の方々、海外におられる方々が後でビデオを通して賛美をささげ、聖書を読み、クリスマスメッセージを聴ける。なんと幸いなことではないでしょうか。ハレルヤ!すべての恵みの源である神様に感謝をおささげいたします。

 さて今夜は、「救い主誕生の目的」という主題で、クリスマスの喜びを皆さんと分かち合わせていただきたいと思っておりますが、皆さんの中には「クリスマスの喜びよりも現状と将来への不安や恐れのほうがわたしの心を満たしている」という方のほうが多くおられるかもしれません。今年のはじめからもう10ヶ月以上も続くコロナ禍の厳しい状況の中にあって、不安や恐れを抱かないこと、抱いていないほうがアブノーマル、普通ではないと言えるでしょう。確かにわたしたちには様々な恐れや不安があり、その材料が限りなくあり、わたしたちの心はそのために傷つき、弱り果て、息ができない状態、窒息寸前である。そういう厳しい状況の中に置かれている方々も本当に多いと思います。皆さんがいま心に抱えている不安、恐れは一体何でありましょうか。その不安や恐れが心から離れないので、わたしたちは日々苦悩するわけです。しかし、神様はわたしたちの心の内にある不安や恐れをすべてご存知です。

 ですから、そのようなわたしたちに対して神様は天使を遣わし、天使にこのように宣言させるのです。「恐るな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と。わたしたち一人ひとりのために救い主が誕生したという素晴らしいニュースを届けてくれたのです。この素晴らしいニュースを受け取って喜ぶ人は幸いです。

 さて皆さん、「恐れ」という漢字は、「工」、「凡」、そして「心」という三つの漢字で構成されています。右上の「凡(ハン)」という文字は人の両手を表すそうです。左上の「工」は作るという意味です。この「恐」という漢字は、人が自らの手で自らの心に大きな穴を作るという意味があるとむかし人から聞いたことがあります。確かに、わたしたちは恐れるということで自分の心を悩まし、傷つけ、弱らせているのかもしれません。「いるかもしれません」というよりも、実際にそうなのではないでしょうか。

 しかし、そのようなわたしたちを神様は憐れんでくださって、救い主を与えてくださった。この神様からの愛の贈り物を受け取りなさい、イエス・キリストを救い主として心に迎えなさいと招かれているというのがクリスマスメッセージです。この神様から遣わされた救い主イエス様がわたしたちに寄り添い、いつも共にいてくださり、心の穴をすべて愛の糸で縫い合わせ、多数の傷を負った心を愛と慰めで癒し、そして回復したわたしたちの心に神様に愛されている喜びと平安を満たしてくださいます。わたしたちに大切なのはイエス様を心にお迎えすることです。

 さて、ダビデの町ベツレヘムにお生まれになられたイエス様は、他でもないあなたの、わたしの、わたしたちの「救い主」としてお生まれになられました。これはおとぎ話でも、ファンタジーでもありません。真実であり、神様からの福音です。イエス様は、わたしたちを救うためにお生まれになられました。

 それでは、わたしたちは一体何から救われる必要があるのでしょうか。それは先ほどからお話ししている恐れや不安であったり、病気であったり、貧困であったり、戦争であったり、孤独感であったり、絶望感であります。そしてそれらの先にある「死」であります。聖書は、この「死」の原因は、わたしたちの「罪」にあると言っています。しかし救い主イエス様は、わたしたちを死から救い出すために、その死の原因となっている罪から解放するために、わたしたちの罪を贖う子羊としてお生まれになられました。そしてわたしたちの身代わりとなって十字架にかかり、わたしたちの罪を帳消しにするために贖いの死を遂げてくださいました。わたしたちは死を恐れ、何とか生き延びる道を探す者でありますが、イエス様はその命をわたしたちのためにささげるために、死ぬためにお生まれになられ他のです。

 旧約聖書のイザヤ書9章5節と6節に、「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。万軍の主なる神の熱意・愛がこれを成し遂げる」とあります。神様は、わたしたちを恐れや不安、怒りや憎しみ、痛みや悲しみ、永遠の死から救い出すために救い主をこの地上に誕生させました。これはファンタジーでも、おとぎ話でもありません。神様の愛のストーリー、福音です。

 使徒パウロは、愛する弟子のテモテにこう書き送っています。「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。私は、その罪人の中で最たる者です。しかし、わたしは神様から憐れみを受けました」(第一テモテ1章15節、16節)と。この救い主を信じることによって、わたしたちはすべての恐れから救われ、永遠の命という恵みを受ける希望が与えられます。神様は、わたしたちがこの救い主を信じ、神様に立ち返ることを忍耐して今夜も待っておられます。この愛を今夜受け取り、救い主を与えてくださる神様と救い主に感謝と賛美をささげてまいりましょう。

 メリークリスマス!