教会の主、キリスト

「教会の主、キリスト」  大久保バプテスト教会副牧師 石垣茂夫       2022/06/19

聖書①:(口語訳)出エジプト記20:3~5a 聖書②:コロサイの信徒への手紙2章1~5節

 

「アピールへの応答」

「命どぅ宝の日」にちなみまして貴重なお話を有難うございました。

沖縄は今年(2022年)、本土復帰50年という節目の年に当たります。沢山の問題を抱えていますが、最大の問題は、日本にある米軍基地の75%を、沖縄が負担していることです。そのことで受ける恩恵と、苦痛との狭間はざまで、民意が分断され、人々の苦しみが続いています。

沖縄は、その柔和な民族性によって、武器を持たない、戦わないという知恵を会得し、東南アジア諸国、中でも中国との結びつきが深い平和の国でしたが、この方針を逆手に取った九州の薩摩藩が支配し、やがて明治政府は「琉球処分」という名で、沖縄を日本の統治下に置き、太平洋戦争に至りました。

太平洋戦争末期の、悲惨な有様は、多くの皆様がご存じのことと思います。しかもその後も、平和を望んできた地域が、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争などでは、他国を攻撃する戦闘機や爆撃機の発進基地となってきたことには、心を痛めずにはおれません。

その一方で占領下の沖縄では、占領軍から、多くのキリスト者が、民政の安定のために広い範囲での役目の中心に立つようと協力を求められ、重要な役割を果たして、27年間、占領下を生き抜いて来ました。

しかし現在に至っても、沖縄のキリスト教会諸団体と、日本本土の機関との関係は一つとなっていません。

それはなぜなのかと、考えさせられてきました。その原因の一つに、日本バプテスト連盟が、日本復帰前の沖縄に対して、宣教師を派遣するという過ちを犯したことが在ります。沖縄の教会からは、「宣教師を派遣するとは何事か。沖縄は日本ではなく外国なのか。」と反発が起き、関係が厳しくなり交流が閉ざされてしまったのです。

連盟だけでなく、日本本土の、ほぼすべてのキリスト者を始め各教派教団も、同じように、沖縄に対しては無関心でした。多くの教会と教団の歴史文書に、沖縄についての文言は、ほぼ見られないと言われています。それは、現在のわたしたち自身にも当てはまるのではないでしょうか。

わたしも事あるごとに「沖縄での問題には、本土の人が関心をもって行動して下さい」という沖縄の人たちの訴えを、様々な場面でお聞きして来ました。

これからも関心をもって見守り、関りを持ちたいと思わされています。

 

はじめに

約五か月ぶりに始まりました6月の教会学校では、コロサイの信徒への手紙をテキストにしています。

宣教題を「教会の主、キリスト」としましたが、この信仰告白を正しく自分のものとしていくには、どのようにしていったらよいのか、「コロサイの信徒への手紙」と「十戒」の御言葉から導かれたいと願っています。

 

「コロサイの教会に起きたこと」

現在のトルコ東部に位置します、アジア州エフェソからコロサイに至るこの地方の教会には、放置してはおけない問題が生じていました。それは教会と、教会の外との闘たたかいではなく、教会の内側に起きていた、「信仰の闘たたかい」でした。イエス・キリストと、その救いについての、誤った捉え方が教会内に起きていたのです。

この危機に直面して、パウロはこの手紙を書きました。

 

さて、「コロサイ」はどこにあるのでしょうか。

聖書の巻末に在ります地図を見ましても探しにくい場所ですが、そこには現在、コロサイの地を示す、一本の石柱すら立っていないそうです。それほどに、特色のない土地柄でした。

パウロは、地中海世界で、広く宣教活動をしていましたが、最も長く留まったのが、アジア州の首都エフェソの街でした。エフェソからは、内陸のコロサイに向かって続くルコス河があり、その河沿いには約150キロにわたって幾つかの町がありました。紀元前6世紀初頭のバビロン捕囚の時代には、メソポタミアとシリアから多くのユダヤ人がこの地に強制移住させられ住むようになりました。

もう一つ、エフェソに次いで良く知られているのは、ラオディキアです。黙示録(3:14~22)の七つの教会の一つです。人気のリゾート地であり、薬品や織物の産地でもあり、経済的に豊かでした。一帯が温泉地であるため、水道水までもがなまぬるいようで、黙示録では、「あなたの生き方がなまぬるいので吐き出したくなる」と厳しく言われ、「なまぬるい信仰の教会」という、派手な名をもらったことで知られています。

 

コロサイの教会はどのような教会であったのでしょうか。

2:1 わたしが、あなたがた(コロサイ)とラオディキアにいる人々のために、また、わたしとまだ直接顔を合わせたことのないすべての人のために、どれほど労苦して闘っているか、分かってほしい。」

このように、パウロ自身が、直接訪ねたことはないのですが、コロサイ出身の伝道者エパフラス(1:7,4:12)によって、キリストの集会が生まれました。コロサイとラオディキアなど、近隣各地の集会は、独立した教会と言うよりは、つながりの強い、広範囲のキリスト者の群れとして形成されていました。

手紙によれば、それぞれの教会はユダヤ人を多く含んでいましたが、主として異邦人主体の教会であったと思われます。1:21には、「その異邦人たちは神から離れ、心の中で神に敵対していた」と書かれています。3章5節から7節には、読むのも辛くなるような、異邦人キリスト者たちの具体的な罪の姿が列挙されています。

 

パウロはなぜ、コロサイの教会に手紙を書くようになったのでしょうか。

エパフラスとその仲間たちが最初にコロサイに福音を宣教したころは、パウロの純粋さに溢れた思いをそのままに福音を説いて行き、人々もこれを受けいれていました。しかし間もなく、ある者たちは、彼らの間に昔から流布していた儀式を取り入れ、哲学の空想的な面を加えたり、単純な福音を、見栄え良く飾り立てようとする強い傾向を見せて来たのです。エパフラスたちは、この様子を獄中のパウロに知らせ相談したのです。

コロサイの教会についてパウロは、彼らの信仰と愛とを称賛し(1:14)、彼らが強固なキリスト教信仰に立っていることを喜んでいるいます(2:5)。

「2:5 わたしは体では離れていても、霊ではあなたがたと共にいて、あなたがたの正しい秩序と、キリストに対する固い信仰とを見て喜んでいます。」と称賛して言っていました。

それでもコロサイには、憂慮すべき傾向が現れていました。もしその拡大を放置するなら、すべてが台無しになるだろうと思われたのです。その傾向とは、イエス・キリストについての、誤った捉え方が起きていたという問題です。この危機に直面して、パウロはこの手紙を書いたのです。

コロサイ教会に加わった多くの信徒は、それ以前には、知られざる多くの神々を拝み、「自分のための神」を持って信仰していたのです。エパフラスたちの伝道によって、一度はキリストの信仰をいだいたものの、これまでの宗教儀式やギリシャ思想から抜け出ることは容易なことではなかったのです。

パウロの小さな手紙によく現れる「知恵と知識」、「秘められた奥義」。これらの言葉はギリシャ思想から派生した「グノーシス」と呼ばれる彼らが、しきりに用いた言葉ですが、パウロは、敢えてこの言葉を使って、本当の「知恵と知識」、「奥義」はキリストの内にあると諭していきました。

 

「自分のための神、偶像礼拝ということ」

聖書朗読では、はじめに、出エジプト記20章の十戒じっかいの一部を読んで頂きました。今朝は、口語訳聖書でお読みいただきましたが、わたしたちの手元にある③新共同訳聖書には「自分のために」との言葉が訳されていなかったためです。比較のために表にしてみました。

  • 『汝なんじ、己おのれのために、何なにの偶像ぐうぞうをも刻きざむべからず。』(文語訳・1917)
  • 『あなたは自分じぶんのために、刻きざんだ像ぞうを造つくってはならない。』(口語訳・1955)
  • 『あなたはいかなる像ぞうも造つくってはならない。』(新共同訳・1988)
  • 『あなたは、自分じぶんのために、偶像ぐうぞうを造つくってはならない。』(新改訳第三版・2004)

「己おのれのために」、「自分のために」という一語が重要です。

聖書はその昔から、人は「自分のために」神を造ってしまうのだと警告していました。

偶像礼拝とは、神殿や神の像など、形あるものを拝むという事に留まらないのです。自分が受け入れやすい部分を受け入れてそれを信じることは、偶像礼拝です。自分が納得できる部分を探し求めて信じることも偶像礼拝なのです。これは私自身もしてしまう過ちです。

次の言葉は、マルティン・ルターが、偶像礼拝について言ったと、語り継がれてきた言葉です。

「キリスト者が陥りやすい偶像礼拝とは、キリスト以外の何かを礼拝することではなく、『自己流に』キリストを礼拝することである」。

『自己流に』ということをもう少し拡大して補うなら、先ほど申しましたように、自分が納得できる部分だけを受け入れたり、或いは自分の都合に合わせてキリストに何かをつけ足したりして信仰することを言っています。

コロサイの信徒たちに起きていたのは、まさにこうした事態でした。これは現代のわたしたちにも起きてしまうことです。

「兄弟が共に座っている」

この事を防ぐにはどのようにすればよいのでしょうか。終わりにこのことをご一緒に考えてみたいと思います。

わたしの神学校時代の終わり、既に70歳になっていましたが、卒業年度に六回、説教者として未知の教会に派遣されました。その中には、牧師がいない、信徒の誰一人としてお会いしたことのない教会が二つありました。

あるとき、そうした教会から、「わたしたちの教会はこういう教会です」と、丁寧に週報や機関誌、何枚かの写真を事前に送ってくださった教会がありました。顔を合わせていないお互いが、少しでも不安を小さくできるようにとの配慮と感じました。そして、説教とも言えないようなわたしの説教に、皆さんが耳を傾けてくださり、礼拝後には感じられたことを言葉にして伝えてくださいました。

そうした中で、この大久保教会は、わたしを半年間、実習生として迎えてくださり、半年間も顔を合わせて過ごさせて頂いたことは大きな励ましとなりました。そのようにして受け入れ、育ててくださった教会の皆様に、今更ながら感謝しています。来週からは神学校週間ですが、コロナ危機のもとでの神学生は、この恵を受けているのでしょうか。

招詞の言葉。見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(詩編133:1)

コロナ危機の中で、わたしたちは暫くの間、離れていました。パウロはこうしたことが起きても「霊では共に」いたと言っていました(2:5)。しかし、「顔を合わせて、互いに見ること」この喜びを味わいたいと思うことも当然であり、許されることです。

パウロも「あなた方に会いたい」と、この手紙に書いて自分の思いを伝えたのでしょう。わたしたちは、今、許されて「顔を合わせて、互いを見る」、そのような交わりをいただいています。感謝し、共に恵みをいただいて「教会の主はキリストです」と、ご一緒に告白し、歩ませていただきましょう。【祈り】