新しいことが開始された日

「新しいことが開始された日」五月第三主日・ペンテコステ礼拝 宣教 2024年5月19日

 使徒言行録 2章1〜21節     牧師 河野信一郎

 

おはようございます。毎週のようにゲストが与えられていますが、ゲストの皆さん、ようこそ大久保教会へ。心から歓迎いたします。教会の皆さん、お帰りなさい。皆さんのお顔を拝見できて嬉しいです。先週の歩みは如何であったでしょうか。わたしにはとてもタフな一週間でしたが、憐れみの神様から恵みをたくさん受ける週でもありました。それらをすべてお話しする時間がありませんので、一つだけ短くお話しし、一つご案内させていただきます。

 

先週の夕礼拝に、B宣教師夫妻が久しぶりに出席してくださり、礼拝後にも豊かな交わりをさせていただきました。また、Iご夫妻からお手紙が牧師宛に届き、近況をお知らせくださいました。Bご夫妻も、Iご夫妻も、お元気の様子で、とても嬉しく思いました。お手紙の中に、「いつも、礼拝から戻りますと、思い出すのは、大久保教会の皆さまのことです。わたしたちには、かけがえのない、豊かな時を過ごさせていただいたことを感謝しています。皆さまに宜しくお伝えください」と記されていました。わたしたちにとって大切な方々ですから、神様の祝福を祈り続けましょう。さて、来週26日の朝の礼拝では、来日中のHM姉が来て、チェロによる特別賛美をしてくださる予定ですのでご出席ください。

 

さて、今朝は、皆さんと共に、ペンテコステを覚える礼拝を神様におささげしています。皆さんの中に「ペンテコステとはなんぞや」という方もおられると思いますが、十字架上でわたしたちの罪を贖うために死んでくださったイエス・キリストが三日目に神様の愛の力によって甦らされ、40日間にわたって弟子たちに神の国について教えられました。その後、弟子たちの見ている目の前で、イエス様は天に上げられます。昇天です。神様のみ許へ戻されたイエス様の代わりの助け手として、神様からこの地上に遣わされたのが聖霊という霊の神です。この聖霊がイエス様の弟子たちの上に降ったことを記念し、喜び祝うのが、このペンテコステという日です。そのような恵みの朝に、このようにご一緒に礼拝ができて感謝です。

 

この日は、日本語では「聖霊降臨日」と呼ばれ、ギリシャ語と英語では「ペンテコステ」と呼びます。聖書では「五旬祭」と呼ばれていますが、50日目のお祭りという意味です。7週は49日ですが、それに1日足したら50日になります。では、何からの50日目ということですが、ユダヤ社会では、「過越の祭り」から50日という意味になります。エジプトの労役から解放されたことを記念する「過越の祭り」から50日目ということになりますが、元々は初夏の小麦の収穫祭であり、シナイ山において、モーセを通して律法を授与したことを記念する日です。イスラエルの歴史の中で、ずっと守られているお祭りです。

 

その一方、キリスト教会では、十字架上で贖いの死を遂げられたイエス・キリストを三日後に闇の中から甦らせ、死に勝利した復活の日からちょうど50日目に聖霊がイエス様の弟子たちの只中に降臨し、キリスト教会が誕生したことを覚えます。ペンテコステは、キリスト教会の誕生日です。その恵みを喜び、感謝をささげるのが、このペンテコステ礼拝です。

 

キリスト教界においても、このペンテコステを最重要視する教派・教団もあれば、あまり強調しない教派・教団もあります。その度合いが分かるのが各教派・教団が使用している賛美歌・聖歌で分かります。一例に過ぎませんが、わたしたちバプテスト教会で使用しています新生賛美歌の目次で数えますと、イエス様の降誕から十字架の死、そして復活に関する賛美歌の数は118曲ですが、聖霊に関する賛美歌の数はたった14曲で、その差は歴然です。この差の理由は何でしょうか。確かにイエス様が救い主として成してくださった愛と救いの御業は驚くべき恵み、まさしくAmazing Graceです。しかし、聖霊が与えられた事も驚くべき恵みであります。この聖霊の降臨がなければ、わたしたちが今、この場所で、共に神様に賛美と礼拝をささげることはあり得ません。わたしたちは、出会うことすらなかったはずなのです。しかし、今このように共に礼拝をおささげしている。まさしく驚くべき恵みです。

 

今朝は、聖霊が降臨した日の出来事が克明に記されている使徒言行録2章をテキストに、神様が聖霊を通してわたしたちに与えてくださった新しい4つの恵みを感謝して受け取ってゆきたいと願っています。その大部分は子どもメッセージの中でもすでに語りましたが、聖霊が与えられたことによって新しいことが始まりました。たくさんの事が神様の祝福のうちに開始されましたが、そのうちの4つを今朝ご紹介したいと思います。

 

第一に、神様は「新しい力」をイエス様の弟子たちに祝福をもって与えてくださいました。イエス様が昇天される前に、イエス様は弟子たちに次のように言われ、約束されました。使徒言行録1章8節ですが、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」とおっしゃいました。ここで、聖霊が、イエス様の弟子たちに「新しい力」を与えると約束されています。よく勘違いされるのは、神様から与えられる「力」が聖霊だということですが、それは間違いです。聖霊は神様です。先週も聴きましたが、わたしたちの心に住んでくださるとてもパーソナルな神、共に歩んでくださる神です。この聖霊がわたしたちに新しい力を与えてくださるのです。

 

1節から4節を読みましょう。「1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」とあります。イエス様の弟子たちは、聖霊の語らせるままに、外国から帰還したユダヤ人たちの分かる言葉で「神の偉大な業を」、福音を大胆に語り始めたのです。

 

それを聞いた人々は驚きます。続く5節と6節に、「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」とあります。「人々は、弟子たちが酒に酔っているのではないかと驚き怪しんだ」とも7節にあります。これは神様のなさった奇跡の業です。聖霊という神がイエス様の弟子たちに新しい力をお与えになった、それは聖霊という神が今を生かされているわたしたちに新しい力を与えてくださったということでもあります。ここでわたしたちに重要なのは、何のために新しい力が与えられたのかということを知るということです。

 

そのことに答えを与える形で、14節からペトロの「説教」が始まります。これが神様から与えられる二つ目の出来事、新しい恵みです。「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた」とありますが、聖霊に満たされたペトロが生まれて初めて説教をするのです。つい50日前には、自分の命を守るために「イエスなど知らない」と3度も嘘を言ったあのペトロが、復活したイエス様の憐れみと聖霊によって新しい力を受けて、「説教」という新しい働きを始めます。その説教は薄っぺらな内容ではありません。旧約時代の預言者ヨエルの言葉が引用され、神様の約束が成就したことを力強く宣言する説教です。

 

17節から18節に、「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。18わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する」とありますが、その時がペンテコステの日に実現したのです。男も女も、若者も高齢者も、聖霊を通して新しい力を受け、神の愛の素晴らしさを語り、証しし始めるのです。

 

「終わりの時」という言葉にも注目しましょう。終わりという時が近づいているのに、どうして若者は幻を見、老人は夢を見られるのでしょうか。イエス・キリストを通して神様から永遠の命と永遠の住処を約束されているからです。復活の希望が恵みとしてあるからです。わたしたちに大切なのは、21節に「主の名を呼び求める者は皆、救われる」とあるように、イエス様の言葉と聖霊の励ましによって、主なる神様の御名をほめたたえる礼拝をささげることです。礼拝と賛美、交わりと仕えるという奉仕を通して主を証し続けることです。

 

聖霊に満たされたペトロのイエス・キリストの十字架と復活の福音を中心として説教の後に凄いことが起こります。説教を聞いた群衆が聖霊によって心から悔い改めて、バプテスマを受けて、その数は3000人に上ります。この人々が弟子たちの仲間、新しい信仰のコミュニティーに加えられてゆきます。これがキリスト教会誕生という三つ目の祝福です。

 

神様が聖霊を通して開始された四つ目の新しいこと、その大きな恵み、主イエス様から託されている御心、メッセージの最初の部分に戻りますが、使徒言行録1章8節に記録されていますイエス様の言葉です。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という主の言葉です。地の果てまで、イエス様の福音を携えて、十字架と復活の救いの御業を証しすること、それがわたしたちイエス様の命と引き換えに罪赦された者のなすべき働きです。聖霊がわたしたちと共にいて勇気を与え、守り、導き、語るべき言葉を常に与えてくださると約束されていますが、わたしたちは聖霊の励ましを信じる信仰、主イエス様の言葉に服従する従順さが必要です。「躊躇する従順さ、大切なことを先送りにするのは不従順である」と言った人がいます。大切なのは、いつも主を喜ぶことです。そのように喜びと平安と希望に満たしてくださるのが、聖霊の働きです。感謝ですね。