最初の確信を最後まで持ち続ける

「最初の確信を最後まで持ち続ける」 六月第四主日礼拝 宣教要旨 2017年6月25日

  ヘブライ人への手紙3章14〜15節       牧師 河野信一郎

 3回にわたってヘブライ人への手紙3章7節から15節に聞いていますが、今回が最終回です。この箇所には、信仰生活・教会生活にとって大切なことが語られています。この箇所の中心的な言葉は7〜8節と15節に記されている言葉です。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、神に反抗した時のように、心を頑なにしてはならない」とあります。「あなたたち」とは、神に選ばれた民ユダヤ人たちを指しますが、キリスト・イエスにあっては、イエスを救い主と信じて従うキリスト者たち、信仰共同体である私たち教会を示します。ですから、主なる神が「今日、神の声をしっかり聴きなさい」と命じられていることを覚えましょう。

 ここで繰り返し命じられている上記の御言葉を別の表現で言い換えるならば、「今日、あなたたちがキリスト・イエスを通して神の声に聞くなら、忠実に聞き従いなさい」というようになると思います。

 荒野を旅するような大変な毎日であっても、様々な試みを日々受けても、重荷を負って悪戦苦闘していても、「今日」という日を、神におささげするかのように、仕えるかのように、忠実に生きなさい。神に対して忠実に生きる時に、真の平安、休息、安息が神から与えられるとこの手紙を書き記した記者は私たちに伝え、そして私たちの信仰を励ますのです。

 神に対して忠実に生きる。頭ではよく分かっていますし、そのように生きたいと常日頃から願いますが、どうしてもそのように生きることが困難である。そう、自分の力だけでは確かにそのように生きられません。だから、神はイエス・キリストを救い主としてお遣わしくださり、主イエスが共に歩んでくださるように憐れんでくださったのです。そして、ご自身の霊であり、キリスト・イエスの霊であるご聖霊を助け主としてお遣わしくださったのです。それだけでなく、同じ救い主を信じる兄弟姉妹たちを神の家族を与えてくださり、共に生きなさいと励ましてくださる。そういう恵みと憐れみのうちに私たちは生かされています。

 確かに、一人で聖書を読み、神の声を聞くことも大切です。一人で神と向き合い、祈り、神と対話することも重要です。一人で神を愛し、隣人を愛すること、仕えることもできます。それなのに、どうして私たちの周りには人々が存在するのでしょうか。同じ神を、同じ救い主を信じる人々がすぐ近くにいるのでしょうか。

 それは、共に聖書を読み、共に神の声に聴き、共に神と向き合い、共に祈り、共に神を愛し、共に隣人を愛し、共に仕えるため、共に互いを愛し合うためなのです。これからとそれ以外のことも共にできますが、共にしてゆく中で、私たち一人一人が人間的にも、信仰的にも成長し、神に対して忠実に生き、互いに対しては誠実に生きることができます。それが神の御心です。

 前回もお伝えしましたが、私たちにとって最も重要なことは、神から与えられているこの命、人生というマラソンを走り抜き、神が待っておられる御国へと入れていただくことです。私たちは順位を気にしますが、絶対に一位でゴールするとか、上位に入賞しなければならないということはないのです。ゴールすることが重要なのです。

 私たちに与えられている命は、人と競い合うために神から与えられているのではなく、共に愛し合い、助け合い、仕え合い、共に神の御前に行って、神に喜んでいただくために与えられていることをしっかりと心にとどめたいと思います。

 そのようにしないと私たちはどうなってしまうか。そうしないと何のために生かされているかが分からなくなってしまい、いたずらに人と自分を比べてしまったり、競い合ったり、自慢しあったり、蔑みあったり、妬みあったりして、心は悩み苦しみ、ズタズタに傷つき、平安と希望を失い、生きていることがまったく虚しく感じるのです。それは神の御心ではありません。

 ですから、自分と誰かを比べたり、自分の持ち物と隣人の持ち物を比べたり、人と人を無責任に比べたりすることをやめましょう。自分が苦しむだけです。そうではなく、主イエスを通して神に愛され、生かされ、恵みが日々与えられていることを喜び、感謝しましょう。

 「今日」という日のうちに、神と主イエスを見上げ、賛美をささげ、仕えてゆく私たちを神は忠実な僕として「今日」喜ばれ、家族や隣人や兄弟姉妹に対して「今日」誠実に生きる者としてくださるために「今日」共にいて励ましてくださり、導いてくださり、私たちを主のご用のために「今日」用いてくださいます。ですから、「今日」という一日を大切に生きましょう。

 12節から14までに、私たちが神と主イエスに対して共に忠実に生きるために、また互いに対して誠実に生きるために大切なことが3つ記されていて、その最初の2つを前の週の礼拝で聞きました。一つは、私たち教会の中から神から離れてしまう者が出ないように互いに注意しあうということ。もう一つは、私たちのうちの誰か一人が罪に惑わされて心が頑なになって不忠実にならないように日々励まし合うということ。励ます方法は様々ありますが、その時その時に最善な励まし方を教え、そして導いてくださるのが主イエスであり、ご聖霊であることを共に聞きました。主イエスを共に見上げ、ご聖霊の助けを受けて共に祈る時、主イエスとご聖霊が神に忠実に、人々には誠実に、そして自分の対しても信実に生きることができる力を惜しみなくお与えくださいます。それは主の約束です。

 私たちは、表面的には元気で幸せそうに見せ、内面をひた隠しにしてしまう弱さがあり、そのためにまず自分に対して嘘をつき、色々と無理をしてしまい、極限まで苦しみます。自分に対して正直でないために、人に対しては誠実になれず、神に対しても忠実になれなくなり、心が弱り果て、信仰が弱り、次第にこの世のものに押し流されてしまい、神から、教会から離れ、信仰を捨ててしまう。だから、そういうことがないように、互いに注意し合い、励まし合う。 

 そしてもう一つ大切なこと。「最初に与えられた確信を最後まで共にしっかりと持ち続ける」ということです。「最後までしっかり持ち続ける」というのは、信仰の耐久性、耐久力が問われているのですが、主イエスがいつも共にいて助けて、新しい力を日々与えてくださるので、大丈夫なのです。たとえ弱くても、主イエスが共の歩んでくださるので、大丈夫なのです。

 「最初の確信」とは、「イエス・キリストが私の救い主だ」と信じ、主に信頼してゆくと心に決めたこと、主に従って生きてゆくことを心に決めたことです。「私は神に愛されている」、「赦されている」、「恵みによって生かされている」と感動し、信じたことです。

 今までの人生でも様々なことがあり、これからの人生にも色々なことがあるはずです。荒野や谷間を歩まなければならないこともあるでしょう。様々な試みに遇う時、呟いたり、心が頑なになってしまうことが起こるでしょう。しかし、私たちに大切なのは、明日のことを思い煩うことではなく、「今日」共にいてくださる主イエスを信じ、見上げ、従ってゆくことです。「今日」という日の積み重ねが明日につながり、永遠へとつながってゆくのです。

 「キリストに連なる者となる」とありますが、主イエスを信じて従う者は、主イエスにつなげられ、主イエスの伴いの中で、御国・天国に向かって歩む者とされ、主イエスの励ましの中で永遠に生きる者とされるのです。まず主イエスを救い主と信じ、従うことが大切です。それを持ち続けるならば、この地上では神の愛と平安と喜びと希望が与えられ、御国では永遠の命と祝福が与えられます。信じましょう。信じて従う恵みに私たちは招かれています。