深く確かな救いの道へ

宣教「深く確かな救いの道へ」大久保バプテスト教会副牧師石垣茂夫        2022/02/20

聖書:マルコによる福音書8章27節~34節(新約p77)  招詞:ダニエル書7章13~14節(旧約p1393)

 

「はじめに」

2020年のカレンダーから、2月23日が「天皇誕生日」祝日になりました。このため、2月は祝日が二回となっています。二月の、もう一つの祝日は「建国記念の日」です。

キリスト教会では「信教の自由を守る日」と別の名称にしていますので、スライドを表示してお話します。

「建国記念の日」は1966年に制定された祝日ですが、この日は元は、明治時代から「紀元節」祝日でした。「紀元節」は、神話に基づき、日本と言う国は約2700年前に始まり、現在の天皇はその直系だとしています。

1930年代から、軍部はこの天皇制を根拠にして、日本は、天皇を神とする思想に国民をまとめ、軍備増強を優先する道を強行して行きました。

そして世界を相手に、領土を広げて資源確保しようと目論み、戦争を仕掛けていったのです。2月11日「紀元節」とは、昔、そうした時代の象徴的な祝日でした。

そのうえ、全ての国民と、すべての宗教儀式や礼拝では、最初に「天皇を礼拝するように」と強要していきました。この重苦しい事態は、お隣の朝鮮半島や中国に及んで、長く、大きな被害を与えたのです。

日本の敗戦によって、「紀元節」は1948年に一旦廃止されましたが、10年後には、政府は同じこの日を「建国記念日」として、国会に上程するようになりました。その後、何度も議論されましたが、キリスト教会を始め、多くの宗教団体、政治団体が、過去の「紀元節」の時代に後戻りするとの懸念を抱き、猛反対をしたため廃案となりました。

そこで政府はやり方を変え、1966年12月、国会による「議員立法」ではなく、内閣で閣議決定し、「政令」によって、「建国記念の日」祝日として制定しました。その際に「建国記念日」では、国民に受け入れられないと判断し、間に「の」という字を入れて意味をあいまいにし、「建国記念の日」を定めました。

この強引な制定以来、キリスト教会は、2月11日を「信教の自由を守る日」と呼んで、現在も制定反対の意思表示を続けています。

ひとつの例として、バプテスト連盟事務所は2月11日は休日とせずに出勤日です。ただし、ごく少数の方が「信教の自由を守る集会」に参加ますが、ほとんどの職員は有給休暇を取って休んでいます。

また、なぜか神学校は休みでした。わたしは一度事務局に、そのいきさつを聞いてみたことがあります。神学校内部で、授業をするか休日にするかで、議論したそうですが、学生が少しほっとできるならと配慮して休日にしたそうです。それが現実です。

わたしたちが、今、世界を見渡しますと、自由に発言できない国が、以前に増して多くなりました。長い戦いを通して、確かで揺るがないものを求め、それをつかんだと思っていたのですが、武力を背景にした政治力で、次々と強引に奪い去られていくのを目にしています。そうした、強い力に歯向かい、発言し続けるには、いつでも命がけの勇気が求められます。

わたしたちは、世界各地で続けられる「信教の自由」「思想の自由」「良心の自由」獲得の努力に関心を持ちましょう。それぞれの国の憲法が正しく施行しこうされますよう、皆様で祈り続けたいと願っています。

 

「フィリポ・カイサリア」

聖書朗読でお読みいただいたみ言葉には、「まことの神は誰なのか」と問う主イエスの姿がありました。問いかけた場所は「フィリポ・カイサリア」に向かう途上であったとあります(8:27)。

この地図は2000年前のパレスチナの勢力図です。ヘルモン山のふもと、「フィリポ・カイサリア」は、現在のイスラエルの最北端に位置しますが、以前はトラコン地方という名でありユダヤ領土ではありませんでした。年間を通して雪を頂くヘルモン山の麓ふもとです。雪解け水により、緑が溢れるリゾート地です。現在も、バニアスと呼ばれる大変美しい場所です。

主イエスがお生まれになった頃、ユダヤ王であったヘロデ大王は、占領軍であるローマの皇帝からこの領土を与えられ、ガリラヤに編入されました

古くから“パンの神” (牧羊神)という、ギリシャ神話に登場する神の像が祭られる、異教の地でした。

ヘロデはその返礼として、神として崇められていたローマ皇帝に敬意を表して、皇帝の像を造り、それを祭る神殿と皇帝のための宮殿を建てました。そのうえ、街の名を、ローマ皇帝(カイザル)を表すカイサリアと名付けました。ヘロデ大王の死後、その子フィリポがその一帯の領主がとなったことで、主イエスの活動する時代には、フィリポ・カイサリアと呼ばれるようになっていました。

そのように、もとは異教の地であり、加えて皇帝礼拝の場となりましたので、当然、ユダヤ人は、そこに立ち入ることを嫌いました。

8:27 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。

主イエスは敢えて、異教の神の像が祭られ、皇帝の像に向かって礼拝が行われている街に、弟子たちを伴って向かいました。その街に入るにあたって、はじめに主イエスは、人々はわたしの活動をどう思っているかと、弟子たちに尋ねました。

そして次に、突然のように、弟子たちに「では、あなた方はわたしを誰だと思っているのか」と少し強い調子で問いかけたのです。おそらくこの問いかけに、弟子たちは驚いたとことでしょう。

8:29そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」

それでもペトロが代表して、「あなたはメシアです」と答えました。

ペトロの答えは「メシア」でしたが、聖書によっては、「あなたはキリストです」と訳されています。

ちなみに、原語・ギリシャ語聖書では「あなたはキリストですと答えた」と、書かれています。

新共同訳聖書が出版されたころ、この問題、何故、新共同訳聖書は「キリスト」でなく、敢えて「メシア」としたのかという議論がありました。

「メシア」はヘブライ語、「キリスト」はギリシャ語ですが、同じく「油を注がれた者」と言う意味です。どちらも神に名によって「王」あるいは「預言者」、または「祭司」とされるときに行われる儀式ですが、「メシア」とは、一人でこの三つの働きを併せ持つお方とされ、人々から待ち望まれていました。新共同訳聖書はその点を強調して、敢えて「メシア」としたそうです。

この日、主イエスは「誰にも言わないように」と言われ、ご自身で、「自分はメシア」だと認めました。

31節には「しかも、そのことをはっきりとお話になった」と書かれています。「はっきりと話す」とは、「公然と、大胆に話をする」ことです。

皇帝礼拝が行われ、異教の神の像が立つ町を前にして、主イエスは、「わたしこそ、まことの王、メシアだ」、そのような、大胆に発言をされました。

 

「人の子」

ところが不思議なことに、いつも主イエスは、ご自身で、自分を直接「わたしはメシアだ」「わたしはキリストだ」と言われることは無いのです。いつも「人の子」とご自分を指して言われました。

8章31節に「人の子」との言葉があります。主イエスは、好んで、ご自分を指して「人の子」と呼びました。

招詞でダニエル書7章13節、14節のみ言葉が読まれました。ここに「人の子のような者が現れて、・・・」と書かれています。

聖書で「人の子」とは、単純に「人間」を表す時にも使われます(詩編8:5)。「人の子は何ものなのでしょう」

また本日のみ言葉にように、主イエスが、ご自分を指して「わたしは」と言う場合にも使われます(マルコ8:31)。

実はダニエル書に「人の子のような者」と書かれた紀元前2世紀以降の時代から、ユダヤ教では「メシア」を「人の子」と呼ぶようになっていったという事です。

ユダヤ教の「人の子」の理解は次のような内容です。

「人の子」は、神の世界に属し、最高の尊厳と権能を持っています。

同時に、「人の子」は、人間の世界にも属し、徹底的に人間と連帯するお方です。

「人の子」は、人の苦しみを知り、人と一緒になって苦しまないではいられないほどの、深い義務感を持っておられます。しかもその統治は永遠に滅びないのです。

ユダヤ教文化の中で、このように「人の子」は、決して滅びることのない王国を支配するお方と信じられ、次第に深い響きを持った呼び名となっていきました。

主イエスの時代の人々は、この「人の子」の到来を待ち望む思いが一層強くなっていました。

主イエスの弟子たちが、目の前に立つ主イエスに期待する「メシア像」も、この「人の子」の姿であったと思われます。

「主イエスをいさめるペトロ」

そして次のように、ご自分のことを話し始めました。それが31節以下の言葉です。

8:31 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。

8:32しかも、そのことをはっきりとお話しになった。

「人の子は苦しみを受け、捨てられ、殺される」と、弟子たちに告げたのです。弟子たちにとっては、初めて聞く、驚くような話でした。弟子たちはなぜ「メシア」が苦しみを受け、捨てられ、殺されなければならないのか、納得がいかない話でした。苦しみ殺されるメシアなど、思いもよらない話でした。主イエスはそのことをはっきりとお話しになったのでした。

すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。

ペトロは、この言葉に驚き、急いで主イエスをわきへ連れ出し、「いさめ」始めたのです。

「いさめる」というは、目上の人に対して忠告することを言います。

「先生、このようなことは二度と言わないでください」と食い下がったのです。

8:33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」

すると主イエスはペトロを「サタン」とまで呼びました。「サタン、引き下がれ」と叱り返したのです。

“サタン”と呼ばれてしまったペトロは、どれほど驚いたことでしょうか。どれほど気落ちしたことでしょうか。

「引き下がれ」とは、「わたしの後ろに回れ」という意味です。少し乱暴な言葉ですが、「出しゃばるな」と言われてしまったのです。

 

「三回の受難予告」

受難予告の後には「三日の後に復活することになっている」と、復活予告も告げられます。果たして弟子たちは、これらの言葉の意味が分かったのでしょうか。

続く9章30節以下にはこのような言葉があります。

「弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった」(9:32)と書かれています。

初めて聞いた弟子たちの驚き、戸惑いはどれほど大きかったことでしょうか。

弟子たちは、何故ですかと、問うことすら恐れてしまったのです。

しかし主イエスは、弟子たちのこうした反応を知っても、この後、繰り返してこの「受難と復活の予告」を弟子たちに告げていかれるのです。聖書の中で「三回」とは、繰り返して何度もという意味です。これが、主イエスによる、弟子たちへの訓練でもありました。

 

「大久保教会・信仰告白の見直し」

今日の聖書箇所を読みながら思い出したことがあります。5年程まえのことでしたでしょうか、皆さんで一年かけて「大久保教会・信仰告白の見直し」という事をしました。信徒会を開き、前回のことを振り返りながら、繰り返して信仰告白を整え直し、作り上げていったことを思い起こします。

その作業を終えてからは、毎月の「主の晩餐式」で、皆さんで、その「信仰告白」を唱和することになりました。わたしはこれを唱えるたびに、「少し長いな」と思いながらも、皆さんで時間をかけて整えていった日々を思い起こしています。

「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」。

これは昔のことではなく、今のわたしたちへの問いかけです。他でもない私に問いかけておられます。

わたしたちは日々、事あるごとに、その問いかけに戻って信仰の歩みを辿らせて頂きましょう。

分からない弟子には、繰り返して教えられたように、主イエスは「わたしの後に従ってきなさい」言葉をかけ続けてくださっています。

しかも「自分を捨て、自分の十字架を負って従ってきなさい」といわれています。

わたしたちに、「できる」という確信はありません。

そのような私たちであっても、主イエスは今日も、わたしたちを「神の子」としようと、導いておられます。

わたしたちが、その主イエスを神の子と信じて告白し、礼拝するならば、わたしたちは主イエスの訓練を受けることになるのです。

わたしたちが、主イエスと共に歩むならば、自分の十字架を負うことが出来ます。

わたしたちが、主イエスと共に歩むならば、主イエスの教会を造ることができます。

そのためにも、毎週の礼拝に集い、主イエスに教えられ、「深く確かな救いの道へ」と、ご一緒に導かれて行きましょう。

【祈り】