神があなたに望んでいること

「神があなたに望んでいること」 六月第四主日礼拝 宣教 2024年6月23日

 テサロニケの信徒への手紙一 5章16〜24節     牧師 河野信一郎

 

おはようございます。今朝もご一緒に賛美と祈りと礼拝を主におささげすることができて感謝です。今日は、たくさんのゲストをお迎えしています。大久保教会へようこそ。歓迎いたします。とても感謝です。わたしたちがささげる賛美と礼拝は、神様のみにささげられるべきであり、すべての栄光を神様にお返しする時でありますが、今朝は特にGP教会の皆さんの証しと賛美を通して、大久保教会は神様から大きな祝福を受けることができ、大きな喜びと感謝の思いで満たされています。

 

GP教会との出会いは、2018年の7月に遡ります。その前の2017年から日本に来て諸教会を助けてくださっていましたが、2018年に大久保教会で、金曜日の夕方に「ハワイアンナイト」という若者向けのイベントを開催し、日曜日の礼拝にも出席してくださいました。2019年にも来日してくださり、始まったばかりの夕礼拝を助けてくださいました。コロナパンデミックの時は来日することはできませんでしたが、この間も大久保教会のためにも祈ってくださり、ある姉妹は大久保教会のために多額の献金をしてくださいました。

 

日本に生きる人々の救いのために、GP教会の皆さん貴重な時間やお金を費やし、祈りをもって神様から受けた愛をささげ、分かち合ってくださっています。その愛と祈りに対していつも感謝していますが、今朝はチームの中から6名が出席くださって、証しと特別賛美をしてくださいました。わたしたちの心は大きな喜びと感動で満たされています。その愛と働き、そしてこの出会いを与えてくださる恵みの主に心から感謝しています。

 

さて、今日は、とても大切な「沖縄慰霊の日」です。今から79年前の1945年6月23日、第二次世界大戦の末期、日本での唯一の地上戦、沖縄での戦いが終わったとされる日です。4月1日に連合軍が沖縄に上陸し、それから3ヶ月にわたる地上戦で、住民9万4千人、日本兵士9万4千人、アメリカと英国の連合軍兵士1万2500人が亡くなりました。20万人の犠牲者が出ました。その痛みと悲しみは、戦争終結から79年経過した今も続き、沖縄県の人々が大きな苦しみを負わされています。そのことを覚えるのが、この日であります。

 

沖縄戦の苦しみを体験し、その痛みを語り継ぐ人が年々少なくなっていく中で、それができるのがGP教会のJS牧師のお母様のFNさんです。ミッションチームの一員として2018年に来日された際に、沖縄での戦争体験、特にお姉様の体験をお聞きしたことがあります。わたしの願いは、FNさんがまた来日くださって、沖縄での戦争体験を語っていただき、戦争の痛みと悲しみを語り継いで欲しいというものですが、長年ハワイの複数の教会で牧師として主と教会に仕えられ、ご高齢になられたご主人に寄り添うことを最優先されていますから、ご夫妻のご健康が守られることを祈っています。主の御心ならば、再会の時が与えられることでしょう。主に期待します。

 

さて、大久保教会の朝の礼拝では、「神様の御心を求める」というテーマで、メッセージのシリーズを続けています。このシリーズはまだまだ続きますが、来週はお休みになります。理由は、わたしがTキリスト教会を訪問し、メッセージをすることになっているからです。この教会はいま岐路に立たされています。40代の牧師が5年間、献身的に働いて頑張っておられますが、教会の財政状況は、牧師をフルサポートできなくなっています。牧師は兼職も覚悟されていますが、教会もこのことを真剣に向き合う必要があり、日本バプテスト連盟の宣教室からわたしが派遣され、励ましに行くことになりました。

 

教会も、牧師も、みんな懸命に祈り、献金をささげ、福音宣教と教会形成の業に励んでおられるのですが、日本への伝道はどこでも一筋縄では行きません。なかなか願うように物事が進まない、教会も高齢化し、建物も老朽化してゆき、そういう中で落胆することもたくさんあるわけです。そういう中で必要なのは、外部からの励ましです。誰かが教会に来てくれて、一緒に礼拝をささげてくれる、心の中にあることを聞いてくれる、そして一緒に祈ってくれる。こういう働きが日本のどの教会にも必要であるのです。

 

GP教会の皆さんは、日本にある諸教会に寄り添い、共に礼拝をささげ、共に祈ってくださり、交わりを深めてくださる中で励ましてくださいます。たくさんのものを犠牲にしてでも、毎年日本に来てくださる。何故でしょうか。神様を愛し、主イエス様の大宣教命令に従っているからです。日本の教会が、わたしたちクリスチャンたちが元気にならないと、神様の愛、イエス様の十字架と復活の福音は、日本に広まらないからです。ですから、一つの教会を孤立させてはならないのです。共に主の恵みを喜び合い、悩みも分かち合う中で共に歩んでゆく。それがキリスト・イエスのからだなる教会の在り方であるのです。

 

今朝の聖書箇所は、第一テサロニケの手紙5章16節から24節です。本来ならば12節から読むべきですが、今回は16節以降の御言葉に聴くことにしました。使徒パウロは、テサロニケにある諸教会への手紙を結ぶにあたり、教会に対して4つの勧めをしています。12節と13節では、教会に仕える霊的リーダーを愛し、共に平和に過ごしなさいとの勧めがあります。14節から15節では、教会の家族の中で霊的に弱り、元気のない人たちを愛し、励まし、助けなさいとの勧めがあります。キリストのからだなる教会を建て上げてゆくためには大切なことです。教会の中には、必要とされない人は一人もいません。みんな、神様の子、神様に愛されている家族です。互いに愛し合い、祈り合い、励まし合い、支え合い、一緒に主に仕えてゆく。隣人や地域に仕えてゆく教会を建て上げてゆくことが神様の御心です。

 

教会が御心のままに成長し、神様の望まれる霊の実を豊かに結ぶために何が必要であるのか。確かに、わたしたちの信仰と献身は重要です。しかし、それ以上に、主イエス・キリストの御言葉に固く立ち、聖霊に満たされることが重要です。

 

テサロニケ5章16節から18節の御言葉は有名です。「16いつも喜んでいなさい。17絶えず祈りなさい。18どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」とありますが、これはクリスチャン個人への勧めではありません。そのように受け止められてしまうことが多いのですが、これらの勧めは教会全体に対する神様の御心、神様が望んでおられることです。わたしたちの喜びと祈りと感謝の土台は、イエス・キリストの十字架での贖いの死と三日後の死からの甦りです。イエス様の十字架の死と復活によって救いが完成し、御国での永遠の命の希望があります。

 

しかし、わたしたちが肉体をもってこの地上に生きる間、それぞれの生活の中で、たくさんの困難や誘惑に直面し、いつも喜んでいられなくなります。目の前に起こることに翻弄されて、絶えず祈れなくなります。様々な試練・苦難に直面する中で、どんなことにも感謝できなくなります。そういう中でイエス様から目を逸らしてしまい、恐れや不安に駆られ、主から心が離れかけそうになることがあります。一人では喜べない、祈れない、感謝できない。

 

しかし、そういうわたしたちを助けてくれるのが、神の家族、主にある兄弟姉妹たちです。苦しみや困難に直面することは、誰にでもあります。例外はありません。しかし、そのような中で、喜べなくなっても、祈れなくなっても、感謝できなくなっても、常にわたしたちに寄り添い、励ましてくださる聖霊と人々を神様は絶えず備えてくださいます。わたしたちの信仰がなくならないように、神様は細心の配慮をしてくださっています。神様がわたしたちに望んでおられることは、わたしたちの誰かが喜べなくなった時に、一人で祈れなくなった時に、すべてに感謝できなくなった時に、主の愛と憐れみに生かされている人がスッと歩み寄り、神様の愛と慰めを分かち合う中で、弱った人が元気になってゆくことです。そのようにお互いを大切にしてゆく中で、神様の期待されている霊の実を共に結ぶことができます。

 

このすべてのプロセスの中に、聖霊が働いて、御心へと導いてくださいます。ですから、聖霊の伴いと励ましを常に受けることがわたしたちに大切です。20節以降に記されている事もすべてそうです。20節、主イエス様の言葉に常に聴くこと。21節、すべてを吟味して御心を大切にすること。22節、神様からでないものから遠ざかること。23節は4章3節にも関連しますが、神様の御心はわたしたちがイエス・キリストにあって「聖なる者」となることです。なぜ聖なる者にされる必要があるのでしょうか。それは、主イエス様が再びこの地上に来られる時が近いからです。わたしたちに必要なこと、それは平和の神がわたしたちを聖なる者としてくださり、霊と魂と体を守ってくださることを信じることです。神様は真実なお方です。聖霊に日々助けられ、神様の御心に適った日々を歩ませていただきましょう。