神の力を受けて行きよう

「神の力を受けて生きよう」 ペンテコステ礼拝 宣教要旨 2014年6月8日

使徒行伝2章1〜4節      牧師 河野信一郎

 旧約聖書の創世記2章には、人は神によって土にちりから造られ、「命の息」を鼻に吹き入れられて、初めて「生きる者」となったと記されています。そして聖書は、わたしたちは何のために造られ、生かされているのかという目的と地上での使命がはっきりと記されています。

 今の時代、自分は何のために生きているのか判らない人や存在理由が判らなくて途方に暮れ、不安の中で苦闘している人が数えきれない程おられます。しかし、イエス・キリストが心の暗闇に輝く希望の光です。人生の中でブチ当たる試練や迷いも、キリストの言葉に耳を傾ければ、キリスト・イエスを通して神から答えが明確に与えられます。キリストを通して、まず救いが与えられ、平安が与えられ、次に希望が与えられ、そして生きる力・喜びが与えられます。

 礼拝への招きの言葉として使徒行伝1章8節を今朝いただきましたが、この主イエスの言葉は弟子たちへの約束の言葉です。「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまでわたしの証人となるであろう。」

 この主の言葉に弟子たちに対する主の愛が込められています。一つ目は彼等に「聖霊」という神の助け主が近いうちに与えられるという約束。二つ目はその聖霊によって生きてゆくために必要な力が与えられるという約束。三つ目は主の配慮に富んだご命令、キリストの証人として生きること、それがクリスチャンの使命であり、人生の目的、素晴らしい特権であるのです。

 主の約束の言葉を受けた弟子たちは、次に3つのことをしなければなりませんでした。一つは、聖霊がくだる時をひたすら「待つ」ことです。どのように待つか、それは忍耐をもって、兄弟姉妹と心を合わせて祈りつつ待つということです(1:14)。二つは「あなたがたは力を受けて」とあるように、「聖霊を受けなければ」なりません。聖霊を通して神の愛の力は注がれます。

 三つ目に行く前に、ペンテコステから50日前のことをさかのぼって話したいこと、それは主イエスと弟子たちの関係は愛と信頼に満ちたものであって、互いに大切に思っていたことです。皆さんにも大切な存在がおられるでしょう。しかし、弟子たちは過ぎ越しの祭の時に最愛の主イエスを突然奪われました。主イエスが捕らえられ、不当な裁判の後に十字架に架けられて死ぬのを目撃しました。辛く悲しい出来事です。しかし、3日後に復活されたイエスが現れてくださり、40日間にわたって神の国について教えてくださいました。主を失った失望感から故郷のガリラヤへ帰ってしまった弟子たちにも復活された主は現れました。けれども、40日後に弟子たちの目前で主は天に上げられてゆきました。それは寂しく、やるせない思いであったでしょうし、今後のことも不安に思ったでしょう。わたしたちも人生の中でそのような経験をして落ち込み、生きる気力が湧いてこないことがあります。しかし、決して忘れてはなりません。生きる力は神から与えられることを。ですから、わたしたちは神を信じて、神の祝福をひたすら祈って待つしかないのです。心開いて待つならば、神は必ず与えてくださいます。

 三つ目は、キリストの証人として生きる者たちに神の霊・聖霊、生きる力が与えられるということです。この聖霊を受けるために今までの生き方をまず悔い改めなければなりません。

 使徒行伝2章には、神の霊が風のようにくだり、弟子たちの上に聖霊がとどまり、聖霊に満たされたとあります。命の息・聖霊がキリストを信じる者たちに与えられて、キリストのからだなる教会が誕生したのです。教会が誕生した理由とは、キリストの十字架と復活の証し人として神の愛、救い、キリストの福音を宣べ伝えてゆくことです。まず神の霊を受けましょう。