神の憐れみに生かされて

「神の憐れみに生かされて」  九月第一主日礼拝  宣教要旨  2014年9月7日

ペテロの第一の手紙1章3〜7節      牧師 河野信一郎

 使徒ペテロが手紙を書き送ったクリスチャンたちは、キリスト・イエスを信じる信仰ゆえにユダヤ人、ローマ人、そして同胞の人々から迫害や苦しみを受けていました。日々心騒ぎ、痛み、悲しむ事ばかりで希望が持てません。失望感で胸一杯です。生きたいという意欲が湧き上がてきません。そういう状況に置かれている人は現代の日本にもおられます。心身共に疲労困憊なのに、それでも人には迷惑はかけられないとぶっ倒れるまで頑張ってしまう人がいます。

 しかし、そのような苦しみ、頑張りようは神の御心ではありません。では、そのような悪循環でもがいている人は、何をしたら良いのでしょうか? 答えは、「何もしない」です。何もしなくて良いのです。ドタバタともがく必要はなく、また人の目を気にすることなく、ただ何もしないで静まって空を見上げて大きく深呼吸をくり返せば良いのです。そうしていれば、目に見えない大きな力を感じ、その力によって生かされていることを感じることでしょう。

 ペテロの第一の手紙1章3節から読んでゆきましょう。まず「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神」とあります。これは迫害の苦しみにある兄弟姉妹たちへ「わたしたちの救い主イエス・キリストの父なる神を誉め讃えなさい」という励ましです。「主を誉め讃え、主を喜ぶことはあなたがたの力です」とネヘミヤ記8章10節にありますが、いったい何を喜ぶべきなのでしょうか? それは、キリストを通して神に愛され、恵みのうちに生かされていることです。「神はその豊かな憐れみにより、イエス・キリストを死人の中から甦らせ、それにより、わたしたちを新たに生まれさせて、生けるのぞみを抱かせてくださった」と3節後半にあります。わたしたちが生きてゆく上でこの上なく必要なのは、神の愛と神がキリストを通して与えてくださる希望です。神の愛・キリストによって罪の赦しと救いが与えられ、生かされていることを喜び、感謝することが信仰です。「信仰・希望・愛」です。主イエス・キリストは、救いと希望を与えてくださるためにこの地上に来られ、十字架にかかって死んでくださいました。そのキリストを憐れみ豊かな神が甦らせ、わたしたちに希望を与えてくださった。この救い主をわたしたちの心にお迎えすることによって神はわたしたちの心を新しくし、永遠の命に生きる者としてくださっていますし、信じる者すべてにそうしてくださいます。

 わたしたちはこの地上の時が過ぎれば消えてゆくものに心奪われ、時間とエネルギーを浪費している訳ですが、「天に蓄えてある神の資産を受け継ぐ者とキリストによってされているのだから、天に目を注ぎなさい」とペテロは励ましてくれます。神の愛と約束を信じましょう。

 わたしたちは地上で生きてゆく上では悩みや苦しみがありますが、キリストを通して神から信仰が与えられ、またキリストとご聖霊に日々守られていることを覚え感謝しましょう(5節)。

 主なる神は憐れみ深く、配慮に行き届いたご計画をお持ちのお方です。ですから、わたしたちの身に起こるすべての出来事には意味があり、神の目的があり、お考えがあります。故に、「今しばらくは様々な試練で悩まなければならないが、それでも主に信頼して喜びなさい。主を讃えなさい。主に感謝しなさい」と6節で励まされているのです。その理由は7節です。

 「こうして、あなたがたの信仰が試されて、火で精錬されても朽ちる他はない金よりも遥かに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストが現れる(再臨)時」に苦しみの祈り、うめきが賛美に変わり、神の子として神に「よくやった」と誉められ、神の愛につつみ込まれるからです。救い主を信じて、主にある救いを喜んで、希望を持ち、先取りの感謝をささげましょう。