「神の豊かな憐れみの中、共に前進し続けよう」
四月第一主日礼拝 宣教 2025年4月6日
ペトロの手紙 一 1章3〜5節 牧師 河野信一郎
おはようございます。2025年度が先週火曜日から始まり、新年度最初の主の日を迎えました。教会には小学校に入学する子どもが複数います。新しい環境の中に入るわけですから、少し緊張しているかなぁと思って、「どんな時も神様はあなたといつも共にいるよ」という子どもメッセージを出エジプト記3章12節からしました。教会に子どもたちが与えられていることは本当に幸いなことです。この子どもたちの日々の成長のために、神様のお守りと祝福を祈ること、子どもたちを愛して励ますことができるのは大きな喜びであり特権です。
新年度最初の朝、皆さんと共に賛美と礼拝をおささげできて感謝ですが、オンラインで礼拝に出席くださっている方々は、だいぶ困惑されていると思います。今月から礼拝の中で主をほめたたえる前奏曲、讃美歌、後奏など、歌詞も、曲も、讃美歌の著作権の都合により配信することを控えるように執事会で判断しました。昨年度までは、使用許可の申請も必要なく、無償で使用できる許可があったのですが、今年度からその許可がなくなりました。神様にささげる賛美に著作権があることに些か疑問を感じますが、配信の際に無断で使用し続けて重いペナルティを課せられることを避けるため、このような判断を執事会で下しました。
2020年に始まったコロナパンデミックで教会に集えなくなったことへの対応として、最初は手探りで配信を始めましたが、この5年間で様々な方々のご尽力とご協力により配信する設備も整えられ、朝の礼拝と夕礼拝をこれまでずっと配信し続ける事ができました。すべて神様の憐れみであると心から感謝しています。オンラインで礼拝をおささげくださっている方々にはご不便をおかけして大変申し訳ありませんが、ご理解いただきたいと願います。
さて、先週日曜日の礼拝後に教会の定期総会が開かれ、その中で2025年度の活動計画と予算が承認され、新年度の年間標語と年間聖句が与えられました。今は受難節の最中ではありますが、大久保教会が組織されてから60周年目の一年を歩み出す最初の主日礼拝ですので、大久保教会に与えられた年間聖句から神様の励ましを受けてゆきたいと願っています。
お手元に週報があるかと思いますが、表紙の左側に年間標語と年間聖句が記されています。年間標語は今朝のメッセージタイトルとほぼ同じです。「主の豊かな憐れみの中、共に前進しよう」です。副題は、「生き生きと恵みに応答する教会」です。聖句は、第一ペトロの手紙1章3節から4節です。今朝はここから御言葉の分かち合いをさせていただきます。
まず、大久保教会の存在意義は、教会としてこの地に60年前に建てられてから、何も変わりません。それは神様を礼拝すること、神様に忠実に仕えることです。礼拝を通して神様とイエス様の愛と救いのみ業をほめたたえ、感謝をささげることです。3節に、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。」とあります。
このペトロによる第一の手紙は、ローマ帝国によるキリスト教迫害によって住み慣れた土地を離れ、外国に散らされていったクリスチャンたちを励ますために書き送られたものです。イエス・キリストを救い主と信じる信仰が完全否定され、耐え難い試練の中に置かれていた人たち、希望を持ち続けることが大変困難な時代に生きる人たちに、神様を信じ続け、イエス・キリストにつながり続け、主にある希望を抱き続けるように、その信仰を励ますために、彼らをイエス・キリストの御名によって勇気づける目的で書かれた手紙です。
わたしたちが生活する日本には当時のようなキリスト教への激しい迫害はありませんが、日本も時代が急激に移り変わり、少子高齢化社会となり、様々な問題・課題が次から次へと起こっています。この30年で、複数の新興宗教団体が社会に与えた悪影響によって、信仰を持つことを避ける人たちが増えています。また、貧富の格差が広がり、生活に困窮する人々、その中で孤立に悩む方々が増えています。希望を見出せない人々が増えています。
世界を見渡しても、温暖化の影響が色濃く出ていて、深刻な自然災害が年々増加しています。戦争や紛争が続き、難民の数が過去最高となっていますし、移民を拒絶する世界となっています。食糧の奪い合いが続いています。力のある者たちは、自分のこと、自国のことしか考えないで、他を必要以上に圧迫したり、排除したりしています。混沌とした時代です。
大久保教会の60年の歩みには浮き沈みが幾度となくありましたが、主の豊かな憐れみの中、わたしたちは教会として存続することができ、礼拝をおささげする事が継続できました。これまでの教会の働きを担ってくださった兄弟姉妹の愛と祈りと忍耐と働きに感謝しています。この日本でキリストの福音を分かち合うことは確かに難しいことですが、主の励ましの中、イエス・キリストの十字架と復活を告白し、福音を発信することができました。すべては、主の恵み、憐れみです。大変な時代にあっても、神様が憐れんでくださり、前進する力を豊かに注いでくださるので、わたしたちはこれからも希望をもって歩んでゆけます。
この大久保教会は、神様とイエス様の教会です。わたしたちは、神様の豊かなご計画と憐れみの中で、この教会へと導かれ、この教会に植えられ、信仰生活、教会生活をする事ができています。何のためであるのか。それは、わたしたちがこの教会で歩む中で成長し、神様に喜んでいただける実を結び続け、神様をほめたたえ続けるためです。そのためにわたしたちはこの教会に植えられ、生かされています。では、なぜ神様に礼拝をささげ、イエス様の十字架の死と復活を証し続け流のか。なぜこの教会で神様と人々に仕えるのでしょうか
その理由が3節後半から4節に次ぎのようにあります。「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」とあります。ここに3つの理由があります。
第一に、「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせてくださった」とあります。罪の中に生き、死に向かって生きていたわたしたちを神様は憐れんでくださり、イエス様を通して救ってくださり、バプテスマを通して新しく生まれさせてくださり、まったく新しい命に、主の憐れみと恵みのうちに生かしてくださっているというのが理由です。
第二の理由は、「死者の中からのイエス・キリストの復活によって、(わたしたちに)生き生きとした希望を与えてくださっている」からとあります。この世の中の生活の中で、人間関係の破綻や生きている意味を見出せずに、希望を見出せずに悩み、闇の中を苦しみもがいていたわたしたちを神様は憐れんでくださり、死に勝利して復活されたイエス様と出逢わせてくださり、光の中に移してくださり、存在理由と生きる意味を神様は教えてくださったという恵みと憐れみへの応答として、わたしたちは神様をほめたたえ、主イエスに仕えます。
第三の理由は、「あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました」とある通りです。神様の豊かな憐れみにより、イエス様を通して朽ちず、汚れず、しぼまない永遠の命が約束されているので、その恵みへの応答として、わたしたちは喜びをもって神様をほめたたえ、イエス様の言葉に従うのです。
大久保教会に与えられた年間聖句から、大きな励ましが与えられています。これらはすべて神様の憐れみから来るものです。この愛がわたしたちを前進させる生き生きとした力です。神様の憐れみなくして、一歩たりとも前進することはできません。ですから、この一年も、神様の豊かな憐れみを共に祈り求め、共に御言葉に聴き、イエス様を中心とした交わりの中で互いの心を分かち合い、励まし合いながら歩みなさいと励まされていると感じます。
5節に、「あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています」とあります。ここから二つのことを神様に感謝しましょう。まず、わたしたちは、あくせくする必要はないということです。神様が適宜すべてを備えてくださいますので、神様に信頼し続け、イエス様の言葉に従い続ければ良いのです。もう一つは、わたしたちは、神様の愛の力、聖霊によって常に守られているということを疑うことなく、信じ続けることが重要です。憐れみ豊かな神が、救い主イエス・キリストを通して、わたしたちと和解してくださり、信仰を与え、新しい命に生かしてくださっています。神様は「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」とイザヤ46:4bで約束してくださっています。この神様が責任をもって、豊かな憐れみをもってわたしたちを守り導いてくださいますから、主に信頼して、共に前進し続けましょう。