「福音にふさわしく生きるとは」 五月第一主日礼拝 宣教要旨 2014年5月4日
ピリピ人への手紙1章27節 牧師 河野信一郎
今年度の年間目標は、ピリピ1章27節と29節から3つあります。1)キリストの福音にふさわしく生活する。2)聖霊によって教会が一つとされ、力を合わせて仕える。3)キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむ」ということです。
「キリストのために苦しむ」と聞いて、自分はごめんだという方もおられると思います。現在も十分過ぎる程も苦労があって、これ以上の苦しみは避けたいというのが正直な気持ちです。けれども、そもそも苦しみが何故あるのかを考えないで、原因を突き止めないでいるから、わたしたちは無闇に苦しみ続けているのではないでしょうか。何故わたしたちは心身共に疲れを覚え、落ち込んだり、ストレスを強く感じるのでしょうか。原因は、社会や他人にあるのでしょうか。自分にもあると思うことはないでしょうか。苦しみの原因は自分にはなく、社会と他人にあると考えるのは子どもじみています。確かに社会や他の人にも原因はありますが、自分にもあるのです。
例えば、人には厳しいけれど自分には甘いとか、時間やお金にルーズだとか、人間関係に境界線を引けないとか、相手によって対応が違うとか、自己中心的だとか。原因は数えきれない程あると思いますが、その中でも筆頭なのが、ダブルスタンダードがあるからです。日本で言う「本音と建前」です。時には、ダブルではなく、トリプル、クアドゥアプルとスタンダードがあって、それを器用に使い分けているのが人間です。しかし、自分と社会の中にも無数の基準が存在するので、わたしたちは疲れ果て、苦しみ悶えてしまうのです。
先日、アフリカ系、ラティノ系、アジア系アメリカ人等をバスケットボールチームと運営会社で雇用する白人オーナーが人種差別発言をしたので、彼はリーグから終身追放されました。
苦しみの原因は、人間のエゴです。聖書は、エゴを罪と言います。しかし、そういう世界・社会の中でどのように生きてゆけば、わたしたちは多くの苦しみを負う事はないのでしょうか。
神は、使徒パウロを通してピリピ書1章27節で、「あなたがたは、キリストの福音にふさわしく生活しなさい」とお命じになられます。パウロには、ただ一つの基準しかありませんでした。彼の唯一の基準は、彼の救い主であるイエス・キリストです。「わたしのような罪人のために主イエスは十字架で贖いの死を遂げてくださった」が、彼の生活の基準であったのです。イエス・キリストは、あなたのために、わたしたちのために何を成してくださったのでしょうか。
救い主イエス・キリストは、わたしたちを罪と滅びから救うために、その命を犠牲にしてくださいました。カルバリの丘の十字架で、わたしたちの身代わりとなって死んでくださいました。神の御子がわたしたちの罪を贖うために、その尊い命を捨ててくださったのです。それがキリストの福音であります。このキリスト・イエスを神は甦らせられました。それは、わたしたちに神の永遠の生命を与えるためでした。それが、神のご愛であり、神の福音なのです。
キリストの福音にふさわしく生きるということ、それは1)心と精神と思いと力を尽くして神とキリストを愛すること、つまり礼拝をささげることです。2)自分を愛するように、隣人を愛すること、つまり隣人に仕えることです。3)キリストが愛してくださったように、クリスチャン同士が愛し合うこと、つまりキリストにある交わりです。4)そして、全世界に出て行って、すべての国民に福音を伝え、キリストの弟子とし、父なる神と子なるキリストと聖霊の名によってバプテスマを施し、キリストに命じられたいっさいを守るように教えること、つまり伝道です。5)キリストのからだなる教会を建て上げる業に積極的に参加することです。