箴言に聴く、お金の使い方

「箴言に聴く、お金の使い方」 十月第二主日礼拝 宣教 2024年10月13日

 箴言 11章24〜26節(マタイ福音書6章19〜21節) 牧師 河野信一郎

 

おはようございます。今朝もご一緒に賛美と礼拝をおささげできる幸いを主なる神様に感謝いたします。朝晩、だいぶ涼しくなり、昼間は雲一つない秋晴れの頃になりました。幼稚園や小学校などでは運動会が昨日今日と開催されています。明日は「スポーツの日」です。この歳になって、なかなかスポーツをすることがなくなりましたが、散歩をしながら、大好きな秋の気候を楽しみたいと思います。皆さんのご健康が守られますようお祈りいたします。

 

さて、この10月は、神様からそれぞれに託されている命、身体、健康、能力、富などをどのように用いることが神様の御心に適ったことであるかを聞こうとしています。そうです。わたしたちの命も、身体も、健康も、能力も、富も、すべて神様から委ねられているものであって、いつか神様にお返しする時がきます。その「いつか」とは、この地上で許された人生の旅、人生の歩みが終わる時です。その日がいつか来ますが、それまでわたしたちはそれら神様からお預かりしているものを大切に扱い、存分に用いてゆかねばなりません。

 

それら命、身体、健康、能力、富を用いるのは、自分だけの至福のためではありません。神様に造られ、生かされ、愛され、罪赦されている者として、まず神様のために、神様の栄光のために用いること、それが神様の御心です。次に、自分の周りにいる隣人の幸いのために用いることが御心です。最後に、教会の働きのためにささげ、用いてゆくことを御心です。神様を愛し、隣人を愛し、互いに愛し合うこと、それがイエス・キリストから与えられているわたしたちの結ぶべき実、成果であり、この三つの愛を通して真の幸せがあります。

 

先週は、マタイによる福音書25章から、長い旅に出る主人から巨額の富を託された3人の使用人たちが、その託されたお金をどのように取り扱い、旅から帰ってきた主人をどのように喜ばせたのかを聴きました。今朝のメッセージは、その延長上にある内容となりますが、タイトルは「箴言に聴く、お金の使い方」としました。今朝は、ヤコブの手紙から、間違ったお金・富の取り扱い方を短くお話しさせていただき、後半は箴言から正しいお金や富の使い方、つまり神様の御心に沿ったお金や富の使い方を聴いて行きたいと願っています。

 

今年の4月から9月まで、わたしは30年ぶりに学生に戻り、東京バプテスト神学校のオンライン授業を受講しました。旧約学者の小林洋一先生から「箴言から説教をする」という講義を15回受けました。箴言は、たくさんある格言を集め、編纂された神の知恵の言葉です。この知恵を屈指して神様の御心を行いなさいという意味があります。格言の内容は多岐にわたり、同じ内容の格言でも、箴言全体に散りばめられています。日常生活の中で考えるべきこと、考えてはならないこと、日々なすべきこと、なすべきではないこと等を教えます。この箴言には、お金・富の正しい取り扱い方も記されていますので、今朝はご一緒にその御言葉に聴き、そして神様の栄光をあらわす者とされてゆきたいと願っています。

 

ちょっと横道に逸れますが、マタイによる福音書6章21節に、「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」と言うイエス様の言葉があります。これは、「あなたがたは富を愛しすぎて、心が富にだけ向かっている。しかし、あなたがたの心は富ではなく、主なる神様に、神様のおられる天に向けられるべきである」とイエス様がわたしたちの犯しやすい基本的な間違いを示し、本来あるべき心の姿勢、正しい道を指し示してくださいます。

 

さて、まず間違ったお金・富の取り扱い方を短くお話しします。新約聖書の中にあるヤコブの手紙5章1節から6節に、間違った富の使い方が記されていますので、手短に説明します。聖書をお開きください。新約聖書の426ページです。1節に「富んでいる人たち、よく聞きなさい」とあります。もしあなたが、このまま富・お金の使い方を間違ったまま生活すると、2節と3節では、「あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、金銀もさび」、すべてを失って、すべてが無駄になって、最終的には不幸になりますと言っています。

 

では、何が悪いのか。3節には「宝を蓄えすぎ」との指摘があります。新約聖書の時代、人々の関心は、衣類や貴金属の装飾品をたくさん蓄えることでした。それはただ人から注目され、尊敬され、敬われたい、自己満足のため、自分の栄光のためだけです。また4節では、「畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金」とあります。労働者に賃金を支払わず、自分のものにした、つまり盗んで富を築くという卑劣な行為です。

 

5節に「あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、自分の心を太らせた」とあります。これは、富を無駄にしているということです。しかし、富だけでしょうか。ぜいたくに身体も、時間も、健康も、富も、自分の楽しみのためだけに使って生活している。子どもは親の家にずっと居て、仕事で稼いだお金は自分のために使い、食費や光熱費は親が払っている。つまり自分の心を太らせ、親や他人の心を痩せ細らせてしまっていること。神様から託されている恵みを自分だけのために用いるのは、恵みの悪用、乱用、誤用です。それが誰かを苦しめていること、死に追いやっていることにつながると6節は指摘します。

 

それでは、神様の御心に適った正しいお金・富の使い方、活用・運用の仕方は果たして何でしょうか。箴言から4つのことをお話しします。第一は、神様から託されている富・お金をしっかり保つ、蓄えるということです。これは簡単に言って、無駄遣いしないということです。先ほどのヤコブの手紙の「宝を蓄える」と同じように聞こえるかもしれませんが、あちらは自分の至福のためだけに、自分の栄光のためだけに蓄えるということでした。日本人の多くは、無駄遣いしないで貯蓄することが得意ですが、それを自分と家族のためだけに用いるならば、すべて使い果たす前に、地上での命が尽きてしまうことになりかねません。

 

しかし、箴言に記されている「蓄える」は、神様の働きを担うための貯蓄という意味です。箴言21章20節(p1018)にこのように、「知恵ある人の住まいには望ましい宝と香油がある。愚かな者はそれを飲み尽くす。」あります。これは神様から託され、与えられているものをしっかり管理し、浪費しないということです。また、箴言30章25節(p1031)に、「蟻の一族は力はないが、夏の間にパンを備える。」という言葉もあります。冷たい冬を生き延びるために、みんなで力を合わせて蓄えるわけです。蟻の素晴らしい知恵です。

 

ジョン・D・ロックフェラーという大富豪がアメリカにいましたが、彼は幸せに暮らす法則を持っていました。それは、10-10-80という法則です。その月の収入の10%をまず神様におささげする、お返しし、10%を貯蓄し、残った80%を生活するために必要なものに使うというものです。感謝をもって収入の一部を神様にまずささげるのです。それは神様を第一にするということであり、神様に信頼して生きるということです。フィリピの信徒への手紙4章19節に、「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます」とあります。わたしたちはすでに多くの恵みを神様から受けていますが、神様を第一にするあなたをさらに祝福されるのです。

 

さて、箴言21章5節(p1017)に、「勤勉な人はよく計画して利益を得、あわてて事を行う者は欠損をまねく。」とあり、箴言27章23節(p1027)には、「財産はとこしえに永らえるものではなく、冠も代々に伝わるものではない。」とあります。わたしたちは、神様にお返しするまで、神様から託されている富を細心の注意を払って用いてゆかなければなりません。そのためには神様への信頼と神様から知恵をいただく事と勤勉さ・誠実さが必要不可欠です。

 

さて、箴言13章11節(p1007)に、「財産は吐く息よりも速く減って行くが、手をもって集めれば増やすことができる。」とあります。これは神様から預かっている財産・富を、知恵を尽くしてよく管理し、活用しなさいということです。箴言23章4節前半(p1020)には、「富を得ようとして労するな。」ともあります。先ほどのマタイによる福音書6章21節の「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」という言葉にもつながりますが、自分の幸せのためだけに多くの時間を費やしても、心が疲れ果て、虚しさを感じるだけになります。わたしにも経験があります。しかし、心を入れ替えて、神様とイエス様に心を向け、御心を求めてゆく中で、主はわたしたちの目を周りにいる小さくされている隣人に向けさせます。

 

最後に今朝お読みしました箴言11章24節から25節に注目したいと思いますが、その前に11章26節の「穀物を売り惜しむ者は民の呪いを買い、供する人の頭上には祝福が与えられる。」という言葉について短くコメントします。弱い人々を顧みない人、強欲で、優しくない人は、人々から嫌われます。神様も悲しまれるでしょう。しかし、憐れみの心を持つ寛大な人は人々からも愛され、神様からたくさんの祝福を受けます。

さて、箴言11章24〜25節(p1005)に、「散らしてなお、加えられる人もあり、締めすぎて欠乏する者もある。気前のよい人は自分も太り 他を潤す人は自分も潤う。」とあります。神様から豊かなものを与えられているのに、それをケチっては神様の御心に反します。慈しみと真とをもってわたしたちを日々愛し、必要を満たしてくださる神様からいただく富を活用しないで、それを地面に穴を掘って、そこに隠しておくようなことはやめましょう。また、自分のために、親しい間柄の家族や知人のためだけに用いるのではなく、神様の愛をまだ受け取っていない方々、傷ついたり、悲しんだり、途方に暮れている人々のためにささげ、用いることを信仰と感謝をもって選び取ってゆきましょう。

 

マタイによる福音書6章19節から20節を読んで終わります。「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。」 アーメン。