宣教「諦めず主を尋ね求めよ」大久保バプテスト教会副牧師石垣茂夫 2023/11/12
聖書:イザヤ書55章6~11節(p1152)、招詞:詩編137編1~4節(p997)
はじめに
多くの皆さまが、詳しくご存じのことですが、ウクライナでの戦闘が激しく続く中で、10月7日、規模の大きなテロ攻撃を実行したハマスに対して、イスラエルの激しい反撃が、ガザ地区に向けて始まりました。
220名もの人質と、逃げ場のない一般のパレスチナ人、医療従事者などの命はどうなるのでしょうか。皆様が憂いを持って祈る度に、いつもそのことに、思いを込めておられることでしょう。
わたしたちの聖書で、最初に「ガザ」Gazaという地名が現れるのは、創世記10章、ノアの箱舟物語です(10:19)。聖書によりますと、「ガザ」は「エルサレム」と並んで古い町であることが分かります。
その昔、現在のパレスチナ(Palestine)はカナン(Canaan)と呼ばれ、カナン人(canaanite)が住んでいました。
創世記11章の終わりから始まるイスラエルの祖先、アブラハムの物語によりますと、カルデアのウル(現在のイラク)で生まれたアブラハムがハランに住んでいた時に、神が約束して与えたのがカナンの地でした(創世記12:7)。
同じころに、カナンの海沿いの一帯は、海洋民族ペリシテ(Philistia)が侵入して支配していきました。このペリシテPhilistiaが、パレスチナPalestineの語源と言われ、やがてカナン地方はパレスチナ地方と呼ばれるようになりました。このように、イスラエルもペリシテも、カナン人の土地に侵入して定住するようになった民族です。
時代が大きく進み、イエス・キリストの死と復活の出来事の後、40年ほどして、AD70年になると、イスラエルは激しいローマ帝国との戦いに敗れ、祖国を失いました。その地に住むユダヤ人の多くが祖国を追われ、以前にもまして世界中に散らされました。しかし不思議なように、そのディアスポラ(Diaspora)と呼ぶ、離散りさんのユダヤ人の中のキリスト者によって、キリストの福音は世界に広まったのです。
一方で、ユダヤ人がいなくなったパレスチナには、アラブ人が定住していきました。しかし、18世紀になると、武器を持たないパレスチナ人は、ヨーロッパ大国の思惑にもてあそばれ、苦難の道を歩むようになりました。同様にディアスポラ・ユダヤ人にも各地で悲惨な迫害が起き、さまよう民族となっていきました。こうした事態を憂いたユダヤ人の中に、祖国を取り戻そうとするシオニズム運動が一層強まりを見せ、アラブ人から買い取った土地を足掛かりにして「イスラエル建国」(1948年5月)という目標を成し遂げました。この建国には、お話しましたように四千年の歴史が背景にあります。それだけに難しい問題を孕はらんでいます。
現在のパレスチナ人は、自国の領土にある自分の町を、高いコンクリートの塀に囲まれて暮らし、イスラエル兵の監視する検問所で、兵士のチェックを毎日のように受けて出入りしています。「ガザ地区」に関しては、その出入りの自由さえ奪われています。
そうしたパレスチナ人の苦悩、イスラエルの苦悩、多くのユダヤ人を抱えるアメリカの苦悩のために、国際機関は、課せられた和解の役目を果たそうと努力していますが、困難こんなんを極きわめています。
そのようなパレスチナの、死の恐怖の中に住むガザの人たちの中にあって祈る、あるキリスト者の祈りに、このような言葉がありました。
わたしたちは、神様の国を待ち望みます。
わたしたちは、あなたの真理を問い続けます。
わたしたちは、あなたに信頼します。
わたしたちは、あなたのみ言葉を待ちます。
ガザに住む人々とガザを取り囲んで迫る人々、この双方そうほうが持つ深い闇やみのような苦しみの叫びを、神様は聞いてくださることを信じましょう。
「第二イザヤ」
聖書の言葉に戻りますが、わたしたちは、救い主キリスト以前の人々を「旧約の民」と呼びます。アブラハムに始まる、父なる神の約束に生きてきた人々のことです。
その「旧約の民」の中で、最も暗闇くらやみが濃かった紀元前8世紀から6世紀には、数多くの預言者が現れました。代表的に、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルの三人の預言者とその文書が挙あげられます。この中で最も重んじられて来たのはイザヤです。そのイザヤが書いた「イザヤ書」は少なくとも三人の預言者によって書かれたとされ、時代によって「第一イザヤ」「第二イザヤ」「第三イザヤ」と名付けられています。
「第一イザヤ」の最後、短い39章には、不吉な出来事を予感させる記述があります。
南ユダ王国のヒゼキヤ王は、長い闘病生活から解放されたとき、遠くバビロンからの見舞客の訪問を受けました。嬉しさのあまり、彼らに心を赦した王は、ユダの国力の全てを見せてしまいました。これを知った預言者イザヤ(第一イザヤ)は、このように預言しました。「王宮にあるもの、あなたの先祖が今日きょうまで蓄たくわえてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る。」(39:6)と、主の言葉をヒゼキア王に伝えていました。
それは、170年後、紀元前587年(BC六世紀のはじめ)に現実の事となりました。征服者バビロンによってエルサレムが陥落しますと、南ユダ王国の中心的人材の多くがエルサレムから引きずり出され、首都バビロンに移されました。この出来事をわたしたちは「バビロン捕囚」と呼び、捕虜となった人々を「捕囚の民」と呼びます。
初めのうち「捕囚の民」は、われらの神は、ご自分が選ばれた民を、異郷の地でこのままにされるはずはない、すぐにでも故郷に帰り自由を回復できると望みをつないでいました。
しかし、三十年、四十年がアッという間に過ぎていきました。ひとりの人の生涯において三十年、四十年という期間は、人生の中心をなす大事な期間です。やがて、そのような年月としつきを越えて世代が変わっていくと、人々の心には変化が生じてきます。多くの人が支配者バビロンに迎合げいごうし、バビロンで成功していく人もいました。神の約束を待ち、神の言葉に聞こうと、祈り続けて生活する人は少なくなっていきました。神によって呼び起こされたはずの信仰を捨ててしまうということも起きてきました。こうした「捕囚の民」の心変わりをわたしたちは、責めることが出来るでしょうか。
「捕囚の民の嘆なげき」
招詞で読まれた詩編137編は、50年に及んだ捕囚時代の末期の「捕囚の民」の心情と嘆きをを詠っています。
137:1 バビロンの流ながれのほとりに座すわり/シオンを思おもって、わたしたちは泣ないた。
137:2 竪琴たてごとは、ほとりの柳やなぎの木々きぎに掛かけた。
137:3 わたしたちを捕囚ほしゅうにした民たみが/歌うたをうたえと言いうから
/わたしたちを嘲あざける民たみが、楽たのしもうとして/「歌うたって聞きかせよ、シオンの歌うたを」と言いうから。
137:4 どうして歌うたうことができようか/主しゅのための歌うたを、異教いきょうの地ちで。
エルサレムから引きずり出され、今バビロンいる「捕囚の民」が、一日の重い労働を終えて、大きな川の畔ほとりで涼すずみ、故郷を思い、涙を流していました。そこに勝利者バビロンの人々が現れ、からかいながら、「シオンの歌をうたって聞かせよ」と言ったのです。しかし「捕囚の民」は、「どうして歌うたうことができようか/主しゅのための歌うたを、異教いきょうの地ちで。」と、心の中で反発します。「シオン」とは、イスラエルの地、イスラエルの思想、信仰を表す広い意味の言葉です。従って「シオンの歌」とは、「主なる神」を賛美する歌です。それを余興よきょうとして歌うことなどできようかと反発します。そして「捕囚の民」は、手にしていた竪琴たてごとを柳の木にかけてしまったのです。
これは“歌わないぞ”という、彼らが出来る精いっぱいの抵抗なのでした。
「主を尋ね求めよ」
そのような時代、捕囚の時代の末期に現れたのが「第二イザヤ」でした。
「第二イザヤ」は彼らに、バビロンに歯向はむかおう、反抗しようと呼びかたのではありません。むしろ、このように呼びかけました。
55:6 主しゅを尋たずね求もとめよ、見みいだしうるときに。呼よび求もとめよ、近ちかくにいますうちに。
しかしどうでしょうか。バビロンで苦しむ人たちは、この預言者の言葉をそのまま受け入れたでしょうか。そうではなかったようです。むしろ彼らは、イザヤを馬鹿ばかにしました。
「主を尋ね求めよだと!」。
「いったい、どこに向かって尋ね求めたらよいのだ。」
「主は近くに居られるだと!」。
「この何十年ものあいだ、神の近さなど感じることはなかったではないか。」
55:6 主しゅを尋たずね求もとめよ、見みいだしうるときに。呼よび求もとめよ、近ちかくにいますうちに。
この言葉は、現在のわたしたちが何度も聞いて愛唱としてきた言葉です。この言葉の言わんとすることを知って来たつもりです。しかしこの言葉は、「捕囚の民」として、苦しみ疲れ果てている人たちに対して、神がイザヤに「呼びかけよ」と伝えた言葉なのです。
このように、55章のみ言葉を聴いて来ますと、ガザ地区に押し込められ、疲れ果てた人々のことを思うようになりました。ある方はこう言っていました。「長い年月の間、閉ざされて生きてきたパレスチナ人の反発が、“ハマス”という行動になった」と。
逃げ場のない閉ざされた空間で生活している間に、多くの人々が希望を失い、黙り込み、沈んでいきます。神の約束に聞こうと、祈ることもできなくなっていくのです。
55:6 主しゅを尋たずね求もとめよ、見みいだしうるときに。呼よび求もとめよ、近ちかくにいますうちに。
ガザ地区の「捕囚の民」は、「第二イザヤ」のこの言葉をどう聞くでしょうか。繰り返して攻撃される中で、神への信頼よりも、神はおられるのかとの、疑いの思いの方が、はるかに大きくなっているように思えます。
「預言者の言葉」
こうして、バビロンで苦しむ「捕囚の民」に向かって、勇気を与ええるため、神が告げなさいとイザヤに言われたのは、解放の出来事が必ず訪れるという言葉でした。
55:8 わたしの思おもいは、あなたたちの思おもいと異ことなり/わたしの道みちはあなたたちの道みちと異ことなると/主しゅは言いわれる。
55:9 天てんが地ちを高たかく超こえているように/わたしの道みちは、あなたたちの道みちを/わたしの思おもいは/あなたたちの思おもいを、高たかく超こえている。
続く第十節以下で預言者は、「雨と雪」というなじみ深い“たとえ”で、このメッセージの意味を繰り返します。
55:10 雨あめも雪ゆきも、ひとたび天てんから降ふれば/むなしく天てんに戻もどることはない。それは大地だいちを潤うるおし、芽めを出させ、生おい茂しげらせ/種たね蒔まく人には種たねを与え/食たべる人には糧かてを与あたえる。
55:11 そのように、わたしの口くちから出でるわたしの言葉ことばも/むなしくは、わたしのもとに戻もどらない。それはわたしの望のぞむことを成なし遂とげ/わたしが与あたえた使命しめいを必かならず果はたす。
わたしたちはいつも「雨と雪」を経験します。それが降ることによって、どれほど実りを豊かにするのかを、身に染しみて感じています。神の言葉は、わたしたちが信頼すべき言葉として聞き、受け入れる時に、わたしたちの内に実現します。「わたしの言葉は、実現する力を持っている」と、神はイザヤを通して告げています。
紀元前6世紀の「バビロン捕囚」は50年で終わりました(BC587~538)。
それから更に500年を超える時を経て、イエス・キリストの十字架の死と復活の出来事によって、真の神に対する信仰への道が通じました。しかしどうでしょうか、それから二千年を経た今日、神の国は近づいたと言えるでしょうか。
わたしたちの今日の時代は、どの国も固有の問題を抱え、道が狭せばまり、行き詰づまっています。わたしたちは、軍事紛争、テロ行為、災害、飢餓きが、隠し持つ兵器の数々を知らされますと、ますます不安になります。
そのような状況の中で、今朝は、この預言者の言葉を読むようにと導かれています。わたしたちが息絶えるかと思われるほどの状況にあっても、祈りつつ、この御言葉を心に留とめ、この御言葉に対する信頼を持ち続けることが求められています。
無名の預言者が、当時、最も深い暗黒の中で、あの「捕囚の民」に対して語った、慰さめと励ましのメッセージによって、わたしたちも新しく生かされたいと思います。疲労感が増し、疑いが増す中でこそ、そこから解き放たれ、驚くべき、神様のなさる可能性に信頼を置いて歩みたいと願います。
『そのように、わたしの口くちから出でるわたしの言葉ことばも/むなしくは、わたしのもとに戻もどらない。それはわたしの望のぞむことを成なし遂とげ/わたしが与あたえた使命しめいを必かならず果はたす。』 (55:11)。この、神の約束を信じて歩ませて頂きましょう。
【祈り】