「豊かな実を結ぶ手段」 四月第二主日礼拝 宣教要旨 2016年4月10日
ヨハネによる福音書 15章1〜5節 牧師 河野信一郎
先週に引き続き、ヨハネ福音書15章1節から5節のみ言葉に聴いてゆきたいと思います。
主イエスは1節で、「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」と言われ、御自身と父なる神の関係性について弟子たちに教えておられます。ご自分を「ぶどうの木」と表し、父なる神を「農夫」と位置づけています。ぶどうの木は農夫の保護、取り扱いのもとにあることを主は示され、神の御心のままに実を結んでゆくという決心、神への服従があることをここで主は明確に示しています。主イエスは、父なる神の望まれるままに生き、十字架の死を受け入れ、最後まで神に従順に生きる決心であることを私たちに示しています。
その主イエスが、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」とおっしゃり、「わたしにつながっていなさい。つながり続けなさい」と私たちを招き、主イエスの声・言葉に聞き従うことの大切さを語られます。主イエス・キリストにつながることは神の御心であり、主イエスにつながることによって神が喜ばれる実を結ぶことが初めてできます。実を豊かに結ぶという神から託された使命を私たちが受け入れ、忠実に生きるようにと主は招かれます。
ぶどうの枝の使命は、ぶどうの実を豊かに結ぶということに尽きます。ぶどうの枝がぶどうの実を結ばなければ存在が無意味になり、実を結ぶことが私たちの真の存在理由です。同様に、主イエス・キリストを主と信じる人、主につながる人の使命は、神の望まれる実を結ぶことであり、その使命に忠実に生きることがキリスト者の大きな喜びへとつながります。
しかし、そもそも何故主イエスは「ぶどうの木と枝」の関係性について話されたのでしょうか。それは、最初は熱心に主に聞き従った人々が途中から主から離れて行ったからです。また、この福音書の記者ヨハネが牧会する複数の教会でもイエスを救い主と告白し、キリストに従う約束をした「クリスチャン」の群れの中にも実を結ばない人が少なからず存在していたからです。しかし、何故そのような実を結ばない状態になってしまったのでしょうか。その理由は、基本的にイエスにしっかりつながっていなかったからです。主イエスにしっかりつながっていれば、主から離れることはありません。何故ならば、主イエス自らが私たちとつながっていてくださるからです。愛する弟子たち、そして私たちが主イエスから離れることがないように、「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が木につながれていなければ自分では実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない」と主はおっしゃったのです。
人生の中で豊かに実を結ぶためにわたしたちに必要な手段・ステップはシンプルです。1)まずイエス・キリストを救い主と信じることです。主から差し出される救いの御手を握りしめ、日ごとにつながり続けることです。2)そして主イエスの約束の言葉、「わたしもあなたがたにつながっている」という約束を信じて、喜んで、感謝して、そして委ねることです。3)「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」という主の言葉に期待することです。主イエスにしっかりつながっていれば、実を結ぶために必要な全ての栄養素は主イエスを通して神から豊かに与えられ続けるという約束・恵みに期待すること。この恵みは惜しみなく確実に与えられますから、主イエスにつながり続け、主の言葉に聞き従って生きることを日々選び取り、主と共に歩んでゆきましょう。