「三つの愛に生きる幸い」 九月第一主日礼拝 宣教要旨 2017年9月3日
コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章15節、マタイによる福音書22章36〜39節
ヨハネによる福音書13章34〜35節 牧師 河野信一郎
人生というマラソンを走り抜くために心に留めておくべきことをシリーズで聴いていますが、今回は5つ目のポイントについて考えてゆきたいと思いますが、その土台となるのが第二コリント4章15節で、「すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです」とあります。
この「すべてこれらのこと」というのは、4章1節から14節までに記されている主なる神の私たちに対する愛と憐れみ、イエス・キリスト、キリストの福音、十字架、復活、罪の赦し、救い、信仰、そして信仰の霊です。これらの恵みが私たちのために与えられていることを覚え、感謝したいと思います。神の愛が私たち一人ひとりに豊かに注がれています。そして、これらの恵みは私たちだけのために与えられているのではなく、私たちの隣人の多くに与えられていることを「多くの人々が豊かに恵みを受け」という言葉から聴くことができます。つまり、私たちが主イエスを通して神から受けた愛と恵みを隣人に分かち合い、御裾分けしてゆくことです。そして、一人でも多くの人が神の愛によって救われ、癒され、慰められ、励まされ、その人の人生が豊かにされてゆくことが神の願い、御心です。そしてこのために生きることが私たちクリスチャンが召されている目的であり、大久保教会の使命であることを再確認したいと思います。
私たちに命が与えられ、生かされ、罪赦され、クリスチャンとして召され、日々恵みを受けているのは、神の喜びのためです。神は、私たち一人ひとりの存在をありのまま愛し、喜んでくださっています。神の愛は、現在進行形です。
私たちが人生というマラソンを主イエスと共に走る中でいつも心に留めておくべきことは、私たちを通して神の愛が多くの人々に分かち合われ、共に豊かに生きてゆくことで、それが神の御心であり、神の喜びなのです。この恵みが私たちの只中で分かち合われ、私たちの心が神の愛で満たされ、豊かにされ、いつも喜び、全てに感謝して生きる時、神に賛美と誉れがささげられ、神の栄光が現わされます。つまり、神が喜ばれ、神が善しとされ、満足されるということです。
私たちが主イエスにあって豊かな人生を歩む、人生というマラソンを走り抜くために大切なルールは、三つのみです。それはマタイによる福音書22章とヨハネによる福音書13章に記されています。
マタイによる福音書22章36節から39節にあるように、憐れみを持って救い主を私たちにお与えくださった神を「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして愛する」ということ。そしてイエス・キリストを通して神が愛しておられる私たちの「隣人を自分を愛するように愛してゆく」ということ。そしてヨハネによる福音書13章34節から35節にあるように、「互いに愛し合いなさい。わたし(キリスト)があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを皆が知るようになる」ということです。私たちは、この三つの愛に生きる恵みへと招かれています。この三つの愛に生きる時、神の愛が私たちを通して人々に分かち合われ、共に豊かな人生を歩むことが、私たちの力によってではなく、神の愛と憐れみの力によって、神が成してくださいます。
もし自分に神の愛がまだ分からないと感じるならば、隣人が誰か分からないし、どのように隣人を愛してゆけば良いのか分からない、教会内でもどのように愛し合ってゆけば良いか分からないと不安を持っている方もおられるのと思います。もしそうならば、聖書を通してイエス・キリストを探し、このイエスを見て下さい。このお方が、私たちに神の愛と愛し方を包み隠さずに教えてくださいます。「わたしがあなたがたを愛したように」とあります。神を愛し、隣人を愛し、教会という神の家族の中で互いに愛し合う愛が主イエスを通して私たちに与えられています。この愛によって、私たちは豊かな人生を走ること、歩むことができ、ゴールを切ることができます。