2014年3月の大久保バプテスト教会の賛美曲
新生641 尽きせぬ主の愛
O Love that wilt a not let me go
2014年が始まって早3ヶ月目を迎えます。今年は3月5日からレント(受難節)が始まります。来月から始まる新年度に思いを馳せつつ、また神のひとり子であるイエスさまが十字架を通して示された深い愛を心に感じながら過ごすときとなりますように。
今月は新生讃美歌641番の「尽きせぬ主の愛」の歌詞を味わいつつ、主の愛に応答して賛美を捧げていきましょう。この賛美の詞を書いたのは、スコットランドの牧師ジョージ マセソン(George Matheson1842-1906)です。彼は1842年、スコットランド グラスゴーの裕福な家庭に生まれました。しかしその時から弱視という困難を抱え、15歳のとき、そのうちに失明するという宣告を受け、18歳ころにはほとんど視力を失ってしまっていました。しかし、彼はそのような境遇にも屈せず、19歳で大学を卒業。その後、4年間神学校に通いました。彼の3人の姉妹たちは彼をサポートするために、ヘブル語、ギリシャ語、ラテン語を学び、彼をよく助けました。神学校を卒業した後、マセソンはスコットランドの有名な保養地であるイネランの小さな教会の牧師として、18年間よき働きをし、後にはエディンバラの2000人もの人々が通う聖バーナード教会という大きな教会の牧師としても働きました。
今月の賛美曲「尽きせぬ主の愛」をマセソンが書いたのは、最初の赴任地イネランの教会で働いていた1882年6月6日、彼が40歳の時でした。その日は、彼の妹の結婚式があり、彼の家族はみなグラスゴーに滞在していました。彼だけが一人、イネランの牧師館で過ごしていたその夜、彼自身だけが知る最も深刻な精神的苦痛が彼を襲い、その「苦痛の産物」としてこの賛美の詞ができました。(The hymn was the fruit of that suffering.)。わずか5分くらいの間に内なる声に促されるようにしてあっという間にこの詞ができてしまったと、彼自身の日記には記されています。この彼だけが知る深刻な苦痛とは、妹の結婚式の数年前、彼の婚約者が「盲目の男性とは結婚できない」と去っていったときに受けた心の痛みが、今まで自分を支えてくれた妹の結婚という出来事を通して彼の中で再びうずき、とてつもない苦痛として感じたのだという分析もあります。いずれにしてもこの賛美の詞は、(人の愛は「去らせてください let me go」と私たちのもとを去っていくことがあっても、)十字架で命を捨てた神の愛は決して私を手放さず(Love that wilt a not let me go)、私たちの魂を憩わせること、私たちが主から与えられている命を捧げていくとき、このいのちはより豊かにされていくことを歌っています。新生讃美歌はAlbert L Peaceによる曲が付いていますが今回は最近に新しく作られたTune(曲)にチャレンジしたいと思います!