2014年9月の大久保バプテスト教会の賛美曲
新生476 ゆるされて
9月に入り、少しずつ、秋の訪れを感じる日々となってまいりました。今月は、「神の憐れみに生かされている私たち」というテーマで宣教がなされていきます。神さまの愛、憐れみ、恵みに日々生かされていることを再確認し、感謝し、主に信頼していく歩みとなるように、どんな賛美を一カ月賛美していこうかと祈りつつ考えていたときにこの賛美が浮かびました。
この賛美歌もバプテストの教会の中から生まれた曲です。1993年天野時生(あまの ときお)さんによって書かれました。その書かれた背景を新生讃美歌ハンドブックP. 87より引用します。
『あるとき作者は、“この社会の中でキリスト者としてどのように生きていくのか” “証の生活はどうあるべきか” “愛するとは” など、聖書を通して友人と議論を重ねていました。議論が進むと、必ず “なぜ君は生きているのか” “なぜあなたのような人を神は愛するのか” 等と相手の批判になっていきましたが、最終的には“私もあなたも愛され、祈られ、ゆるされて生きている”という結論となるのでした。
「悔しいけれど、人知では測れない神の意志が我々を支配しているのです。どんな状況下にあっても神は愛してくださっている。こんなにも罪深き、値なき身をも。人間にはどうしようもできない罪を贖いの十字架によって赦されました。そしていつも祈られて生かされています。なんという愛でしょう」 天野時生 』
わたしたちは、この作者が語るように、ただ神さまの計り知れない愛のゆえに、そのような値なきものにも関わらず、ゆるされて、愛されて、そして主イエスさまに祈られて、生かされているものだということをこの賛美を共に歌いながら、再び思いおこしつつ、歩んでいきましょう。
しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。 ルカによる福音書22:32
天野 時生(あまの ときお)
1964年生まれ。1974年、芦屋教会にて受浸。芦屋教会、八幡教会、中間教会、若松教会、高須教会、早良伝道所(現・早良教会)を経て、現在、福岡県在住。