「平和の神の僕として生きる」 八月第二主日礼拝 宣教要旨 2017年8月13日
ペトロの手紙Ⅰ 2章9〜12節 牧師 河野信一郎
人生というマラソンを走り抜くために心にとめるべきことを第二コリント4章からシリーズで聴いていますが、今回は、心にとめるべき三つ目のことを第二コリント4章5節とペトロの第一の手紙2章から聴いてゆきたいと思います。
使徒パウロは、第二コリント4章5節で、「私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。私たち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです」と言っています。主イエスを信じて従う者、弟子としてだけでなく、僕として隣人と主イエスに仕えてゆくことが神の御心であり、最も幸いな道、平和を作り出す道であるということだと思います。
私たちが自分のためだけに自分の人生、持ち物、身体も、時間も、命も、思いも使うとしたら、自分勝手に生きようとしたら、必ず周囲の人々と衝突します。身勝手な者同士がぶつかり合いますから傷付き合い、そういう中で、悪意や偽りや偽善、妬み、悪口が自然と出てくる訳です。ストレスが満ち、ストレスが互いにぶつかり合います。しかし、そのような自分たちの身勝手さで傷つく私たちを主なる神は愛してくださり、「わたしはあなたたちを愛している。わたしの愛を受け取りなさい。わたしを愛し、あなたの隣人を愛し、教会の中でも互いに愛し合いなさい。わたしがあなたと共にいて助ける」と言って、私たちを神と隣人のために生きる僕として、恵みに生きる者として招いてくださいます。
少し唐突かもしれませんが、神が私たちを神の僕として、主イエスが私たちを弟子として招いておられる理由と目的は、私たちを通して、この世界に少なからず影響を、違いをもたらそうと計画されているからです。
私たちは、神の愛を知るまでは目の前のものをむさぼる者でした。私たちの多くは、いつも自分の心を満たすことだけを考え、それを最優先する者、満たされないと欲求不満でいつも心に怒りを持つ者でしたが、イエス・キリストを通して神の愛、憐れみ、赦し、救いを受けてからは、受けることよりも、与えることを喜ぶ者へと日々創り変えられています。「神の愛を受ける者から与える者へ」と言うとおこがましいですが、主イエスを通して受けた神の愛を周りの人々へ御裾分けする者となるために生かされています。
それでは、キリスト者・クリスチャンが周りの人々へ御裾分けすべきものとは何でしょうか。答えは、イエス・キリストです。
使徒ペトロは、私たちクリスチャンに対して、「あなたがたは神に選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です」と言っています。「祭司」というのは、神と人々の間に立って取り成す、仲裁をする者、民を代表して神に祈りをささげる者です。つまり、神の僕です。その僕である私たちクリスチャンは何を使命として与えられているのか。ペトロは、「それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業をあなたがたが広く伝えるためなのです」と言っています。この暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださったのが救い主イエス・キリストです。パウロも、このイエス・キリストを宣べ伝えていますと手紙に中で何度も言っています。
このイエス・キリストの「力ある業」とは、私たちの罪を贖うために十字架に架けられ、死んでくださった御業、そしてこのイエス・キリストを甦えらせて私たちに救いと永遠の命を受ける祝福の道を開いてくださった神の御業です。この救い主イエス・キリストの十字架の贖いの死とご復活という勝利を広く宣べ伝えるために、私たちは救われ、恵みのうちに生かされています。
ペトロは、「あなたがたはかつて神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている」と10節で言います。私たちは、神の憐れみを受け、罪赦され、救われて生かされています。それは、私たちが真心から神の愛の表れであるイエス・キリストを分かち合い、一人でも多くの人々が神を、そしてイエス・キリストを崇めるようになるためです。
あなたは、いま何をして生きておられますか。何のために生きておられますか。自分の幸せのため、家族の幸せのために生きているかもしれません。それ以外にも目標や目的があると思います。しかしながら、子どもは成長し、いずれ巣立ってゆくでしょう。長い年月を連れ添った伴侶ともいつか別れを告げる時がきます。一生懸命に働いてきた職場も、定年退職の時を迎えるでしょう。
私たちの営みには終わりがありますが、神のために生きることに終わりはありません。永遠に続きます。ですから、この地上で生を受けている間に私たちに委ねられている働きは神と隣人に仕えてゆくこと、主イエスが愛してくださったように愛し、仕えてくださったように仕えること。その第一歩がイエス・キリストを救い主と告白し、キリストを宣べ伝えてゆくことから始まるのです。平和の神の僕、キリスト・イエスの弟子として生きることが私たちの使命であり、人生の目的であり、神の栄光を表すことです。
最後にペトロの第一の手紙2章11節から12節を読みましょう。「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。」