さあ、ベツレヘムへ行こう

宣教要旨「さあ、ベツレヘムへ行こう」 イヴ礼拝メッセージ 大久保教会 石垣茂夫

聖書:ミカ51節、ルカ2820

2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。

2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。(ルカ2:15~20)

今夕、皆さんと共に分かち合いたいことは、救い主であられる方の誕生の知らせを聞いた時、彼ら羊飼いたちはどう反応したのか、そしてどう行動したのかということです。そのことから、わたしたちの信仰者としての在り方を導かれたいのです。

招詞でミカ書5:1「ベツレヘムよ お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る」と読まれました。ベツレヘムはエルサレム近郊にあり、その周辺の野で、羊飼いたちに救い主の誕生が知らされました。天使が去っていったとき、彼らは疑うことを知らぬ者のように、『さあベツレヘムへ行こう。主が知らせて下さったその出来事を見ようではないか。』と語り合っています。ユダヤに育った羊飼いたちです。昔から伝えられてきた救い主誕生の預言を、彼らは知っていたに違いありません。彼らは今、何の前触れもなく訪れた知らせ、救い主誕生の知らせに従順に耳を傾け、決断的に行動したのです。そして素早く、天使が告げた小さな家族を見つけ出したのです。

四年前、イスラエル旅行でベツレヘムに行きました時、教会の敷地に、地面にガラス張りがしてあるこの講壇ほどのスペースがあり「主イエスがお生まれになった場所」という表示がありました。低いがけのような場所を浅く掘った、小さな洞穴がありました。「宿がなく家畜小屋に泊まった」とイメージしていましたので、ガラス越しに見ていて、自分は何を見ているのか、すぐには、これが家畜小屋とは結びつかぬままでした。羊飼いたちにとっても、分かりにくい場所であったと思います。しかし彼らは素早く、天使が告げた小さな家族を見つけ出したのです。

2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。

夜、「羊飼いたちが羊から離れる」と言うことは、異常な事態です。そして彼らは、どちらかと言えば無口でありましょう。そうした者達が人々に向って「神がなさった出来事を知らせる」。これも特別なことです。クリスマスの出来事は、羊飼いたちを巻き込み、大事な羊を放り出してでも行ってみたいという思いを駆り立てたのです。そしてその時の感動を周りの人に知らせたい、そのような行動へと突き動かしたのです。それほど力ある出来事でした。

私たちはもう一度、崖に掘った、洞穴のような家畜小屋を想像してみましょう。飼い葉桶の中の幼子は、布にくるまれただけの貧しい姿でした。私たちの世界に、天の神は小さくなって、その夜、天から降りてきてくださいました。そのことによって、天と地が、そこで結びついたのです。

羊飼いたちの見た光景とは、実は、天と地が結びつく、そのような大きな出来事でした。私たち人間の世界に、天の神を見ることのできる出来事が起こりました。それがベツレヘムの飼い葉桶の中の乳飲み子、主イエスの誕生です。

私たちも、「さあ、ベツレヘムへ行こう。」と促されています。ベツレヘムとは神の御子イエス・キリストがおられるところです。神が御子をとおしてこの世と接しておられるところです。そうであるならば、ベツレヘム・それはキリストの教会の事なのです。

教会は、神が今も、すべての民の神として働いておられることを信じて、御言葉の説教を聞き、神を賛美して礼拝をしています。その礼拝の中に、神は見えない形で働いておられます。礼拝に集うお一人お一人が、これからもイエス・キリストの十字架と復活の出来事によって生かされていることを、確信をもって宣べ伝え、喜びをもって賛美していまいりましょう。

 

さらに、わたしたちが向かうべき、もう一つのベツレヘムがあります。生まれた時の、ベツレヘムの主イエスは、助けと保護を必要とする幼子でした。その主イエスは、今どこにおられるのでしょうか。主イエスはいつも、助けを必要とするところにおられるのだと思います。悲惨な状況に置かれている人々、他の人の助けがなければ生きていけない人々と共にいて、その中に隠れておられ、わたしたちを待って居られると思います。

この夕べに、わたしたちは羊飼いたちから二つの事を導かれました。一つは、互いに、そして周りの人たちに対しても「さあ、ベツレヘムに行こう」と呼びかけることです。

そしてもう一つのことは、自分自身に対しても「さあ、ベツレヘムに行こう」と声をかけ、助けを待つ人々に向って立ち上がるということです。

マタイによる福音書で主イエスは、「わたしの兄弟である最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25:40)と言っておられます。わたしたちの助けを待つそのような人びとがおられる所も、わたしたちが向かうベツレヘムなのです。。今夕、このイヴ礼拝の献金は、そのように用いさせていただきましょう。