共に集う恵み

宣教「共に集う恵み」(沖縄・命どぅ宝の日6/23)2020/06/21  大久保バプテスト教会副牧師 石垣茂夫

聖書:テサロニケの信徒への手紙一3章7~10(p376)

「顔を合わせて」

わたしたちは3月末から、数えてみますと10回の礼拝で皆様とお会いすることができませんでした。この間、皆さまはどのように過ごして来られたでしょうか。宣教の題を「共に集う恵み」としましたが、教会に共に集うことが、これほど待ち遠しかったという経験は、わたしにとっては初めての事でした。

お読みしましたテサロニケ3章10節に「顔をあわせて」という言葉があります。「皆さまと顔をあわせる」、それが当たり前だと思っていたのですが、あたり前ではなかったと、この度は思い知らされました。わたしたちはこれまで、神の計り知れない恵みの中に過ごさせて頂いてきたのです。このことに感謝して、今朝の御言葉の恵みに与らせていただきましょう。

「テサロニケの信徒への手紙一について」

聖書朗読で、6月祈祷会のテキスト「テサロニケの信徒への手紙一」の短い箇所をお読みしました。少し説明して補わなくてはなりません。伝道者パウロは第二回目の伝道旅行の目的を、現在のトルコ、アジア州での宣教と定めていたのですが、開始して間もなくその道を断たれてしまいます。しかし、行き詰まりのように思えたトロアスで、マケドニア人の幻を見ることによって、トロアスから船出してギリシャに向かいました(使徒16:1~10)。その時の様子は使徒言行録16章に書かれています。そのギリシャでは、フィリピとテサロニケ、それぞれに“キリスト者の集い・エクレシア”を作ることができました。その集会は、パウロたちの思いを越えて成長をみせていたのでした(使徒16:11~)。

しかし暴力的な反対者が多く、追われるようにしてパウロ一行はそこから逃げなければなりませんでした。パウロは自分で福音を伝え、自分がその指導者でありながらそこから逃げ出してしまったことに、大きな責任を感じていました。その後の集会はどうなっているのか、パウロは大変心配して、途中で弟子のテモテを引き返らせ、教会の様子と人々の信仰を確認させました。パウロの心配をよそに、“エクレシア”は着実に成長していました。使者として送ったテモテから、その集会の喜ばしい報告を聞いたパウロは、宣教を開始したコリントから、喜びと感謝の手紙を、テサロニケの集会に宛てて書きました。紀元50年であったという事です。パウロは、本当は自分でテサロニケへ行き、自分の目で見たいと思っていました。直接会って確かめたかったのですが、健康がそれを許さず、若いテモテにこれを託したのです。

「3:10 顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています。」とあります。 本当は「顔を合わせたい」、この言葉はパウロの、心からの願いでした。

ドイツの神学者ボンヘッファー(D.Bonhoeffer)の初期の著作で、多くの人に読まれている「共に生きる生活」(Gemeinsames Leben)という読みやすい書物があります。その冒頭で「顔を合わせて」という、この言葉を引用して、ボンヘファーは「キリスト者の交わり」について次のように言っています。

“わたしたちは、このように顔を合わせて、キリスト者としての交わりの中で生きることが許されている。これは決して当たり前のことではない。神の特別な恵みなのだ。キリスト者が、ほかのキリスト者と顔と顔とを合わせて信仰生活を歩みたいと願うことは、恥ずかしいことではない。キリスト者は信仰の友、兄弟姉妹が目に見える身体をもって、すぐ近くにいることによって、一層、神を近くに感じる。これは神の、特別な恵みなのだ。“

さて、皆さまと会えない、この二か月余りの間、わたしたちの信仰生活は、生き生きとした喜ばしいものになっていたでしょうか。わたしはむしろ、この困難な苦しい状況の中で、「兄弟姉妹たち」「信仰の仲間たち」が、わたしたちには必要なのだという事が、一層、明確になりましたが、皆さまはいかがでしょうか。

わたしたちに再び与えられた「共に集う恵み」を益々感謝して歩ませて頂きましょう。教会は“集められた者たち”と言う意味の「エクレシア」と呼ばれ、それがそのまま「教会」という呼び名になりました。しかし今は、感染リスク回避のため、「共に集う事の出来ない信仰の仲間たち」を持つことになりました。それらの方々の事を心にとめ、祈りに覚えて、この恵みの中を、共に歩ませて頂きましょう。

「創世記の言葉から」

今、世界はコロナウイルスの感染拡大に始まって、様々な課題があらわになり、これまでとは違った混乱に陥っています。今朝は招詞でお読みいただいた「創世記」から、この世界が如何に混乱していようとも、「この世界は神が始められたのだ」、「その神が見守っていてくださる」、そう告白した旧約聖書に基づく信仰に導かれたいと願っています。「創世記」。この文書は、紀元前5世紀、今から約2,500年前に書かれました。

書かれたそのきっかけは、イスラエルが、「バビロン」という大国に占領され、捕虜として連れ去られるという辛い出来事によります。イスラエルがその苦しみから解放された時、自分たちの、神への「信仰」を、もう一度確めるようにして言葉に表したのが「創世記」という「信仰告白」の文書です。

たとえ現在の状況が、悲惨であり苦しみが多くても、この世界を造られたのは神である。どのような事態になっても、これからも繰り返して、「初めに神がこの天地を造られた」という信仰に立ち帰って行くのだ、その思いが込められています。

日本語の表題は「創世記」ですが、英語ではGENESIS(ジェネシス)、ヘブライ語はベレシースです。どの言葉も、「事の起こりは」、「事のはじまりは」という意味です。聖書の最初の一語が表題となり、「この世界は、人間ではなく、神が造られ、神が始められた」という意味の信仰告白の言葉で、聖書は始まっています。この言葉は今のような時代にこそ、わたしたちを慰め、励ます言葉となるのではないでしょうか。

1:2 地は混沌こんとんであって、

ところで、「創世記」は続けて、この世界は「混沌としている」そのように告白しています。「混沌」とは、ごちゃごちゃと入り混じり、混乱している有様を言っています。自分たちはどこに向かっているのか、あるいは、この世界の何が正しいのか、何が間違っているのか、そうしたことがはっきりしない有様を言っています。そして聖書ではその有様を「闇やみ」と、そのようにも呼んでいます。神が造られたのに、秩序が保たれていないと言っています。

『今月初め、6月5日のことですが、横田滋(しげる)さんが亡くなられました。40代の頃、中学1年生の娘、めぐみさんが行方不明となり、20年経って北朝鮮に拉致されたことが分かりましたが、ついに解決を見ないまま滋さんは亡くなりました。奥様の早紀江(さきえ)さんはクリスチャンですが、夫の滋さんは「神さまが居られるなら、なぜこのようなことが起こるのか」と、疑いをもったまま、晩年まで、奥様の信仰には否定的でした。しかし3年前に信仰告白をして洗礼を受けていたということです。

滋さんと同じように、神が造られたのに、なぜこの世界は「混沌とし、闇のままなのか」と多くの方が感じています。地は混沌こんとんであってとは、とても矛盾した言葉ではないのかと、思われないでしょうか。』

しかし、2節の後半で、その闇・混沌とした有様の上を「神の霊が水の面を動いていた」と、言葉をつないで行きます。1:2 闇やみが深淵しんえんの面おもてにあり、神の霊が水の面おもてを動いていた。

 ある方はこの言葉を、『この闇のようなものに覆われた地を、神はじっと見つめておられた』と言っています。『神はじっと見つめておられた』それが「神の霊が水の面を動いていた」との表現だと言われます。

わたしたちは今、混乱の中で右往左往しています。しかしこの「混沌」とした世界を、神さまはご自分のものとして、じっと見ていて下さるというのです。

1:3「神は言われた。“光りあれ。”こうして光があった。」

創世記は1章3節で、その混沌とした中を歩む人々に向かって、“光りあれ”と呼びかけています。

神は言われた。“光りあれ。”こうして光があった。」。

神は、先の見通せない闇の中、混沌とした世界に向けて「光」を創造されました。これは、神が、その混沌さえも価値あるものに変えてくださるという事です。現実が、どれほど暗く苦悩に満ちていても、神の言葉はそれを突き破ってわたしたちを新しく作り変えていきます。混沌として中で、暗闇の中でこそ光となるようにと、神はわたしたちに主イエス・キリストを与えたくださり、導いてくださいます。

わたしたちも、今ようやく解き放たれて、こうして、再び教会に帰って来ました。今は、ご一緒に御言葉に耳を傾け、共に賛美しています。こうしてご一緒に祈ることができます。わたしたちはこれまでも、今も、そしてこれからも「共に集う恵み」を頂いて、神が始められた世界の中を歩ませて頂きましょう。