主にあって強くあれ

「主にあって強くあれ」 元旦礼拝宣教 2021年1月1日

 ヨシュア記 1章1〜9節      牧師 河野信一郎

おはようございます。新年明けましておめでとうございます。今日から新しい年、2021年が始まりました。今日を迎えることができた神様のお導きと恵みに心から感謝です。元旦にたくさんの方々と礼拝堂に集って礼拝をおささげしたかったのですが、新型コロナウイルス感染者数が連日のように更新記録を塗り替え、その数が全国的に拡大し、各自治体から外出自粛要請が出ていますので、オンラインで礼拝をおささげする方々が大勢おられることは致し方ないと思います。また本日と明日の感染者数によっては、3日の新年礼拝もステイホームをしていただき、オンライン礼拝への出席をお願いしたいと思います。土曜日夕方に教会ホームページをどうぞご覧ください。

昨年4月から5月までの緊急事態宣言の時、家族5人とドイツから帰国された姉妹と6人で主日礼拝と夕礼拝をオンラインライブ配信した時のことを懐かしく思う時があります。6人で悪戦苦闘するというか、みんな本当に無我夢中でした。手探りの状態、紆余曲折がありましたが、力を合わせて毎週配信できたこと、6月になって教会の家族みんな礼拝堂に戻って来てくださった光景をこの講壇から見ることができたこと、すべて掛け替えのない記憶となり、わたしたち6人の宝物になりました。

昨年は、皆さんにとっても、教会にとっても本当に大変な一年でありました。そうではないでしょうか。大変でなかった人はおられないでしょう。そういう中で、皆さんの愛とお祈りをありがとうございました。本当にお世話になりました。お互いに持ちつ持たれつです。ありがとうございました。今日あるのは神様の憐れみと皆さんのお祈りのお陰です。

誠に残念で心苦しく思いますが、まだしばらくこの大変な時期は続くと思われます。もっと大変な状況にわたしたちは直面するかもしれません。オリンピックなんて言っていられなくなるかもしれません。そういう中で、神様から与えられているこの掛け替えのないわたしたちの命を日々大切にしてまいりましょう。この素晴らしい命を不注意に、おろそかに扱っては、与えてくださっている神様に申し訳ありません。自分の命、家族の命、それぞれの命を大切にし合ってゆくこと、自分で何とかなるところは一生懸命に頑張って、どうにもこうにもならないことは神様にすべてお委ねいたしましょう。

過去を振り返って悔やんでも、また何が起こるか予想もできない未来を心配しても心が弱るだけです。神様から与えられている「今日」という日を感謝して、祈りつつ委ね、そして大いにエンジョイしましょう。お互い喜び合いましょう。それが主イエス・キリストにあって神様がわたしたちに求めておられることです。一人一人の心に与えられているご聖霊を追い出すようなもったいないことは絶対にやめて、喜びと感謝と祈りの生活を楽しみましょう。

先ほども申しましたが、2021年は引き続き前途多難な日々になる、まだまだ大変な戦いが続くと思われます。葛藤が日々の生活の中で、教会・信仰生活の中で、人間関係の中で、霊的な戦いがあると思います。もうコロナ以前の生活様式には戻れないはずです。アフタコロナ・ACを見据えて、このような状況下で、主イエス様から託されている福音宣教と教会形成をどのようになしてゆくか、どのように舵取りをするか、これはすべてリーダーシップをとる指導者の資質・能力・力量、統率力に、その教会リーダーの肩にかかっているのでしょうか。もしそうであるならば、全く問題はないですね。どうしてか。何故ならば、主イエス・キリストがわたしたちのリーダーであるからです。わたしならば問題です。

もちろん、牧師、副牧師、執事会の皆さんは重要な働きを担ってくださっていますが、すべての信徒、すべての教会員、あなたが、そしてわたしが、主イエス様だけを主と崇め、日々助けを求め、このお方の声にいつも聴き従ってゆくならば、絶対に道を外すことはありません。主は真実なるお方です。確かに「人」に従えば、十中八九わたしたちは徐々に迷い出し、様々なことに不満を持ち、「他の道を選択すれば良かった」と後悔するはずです。しかし、わたしたちが心を向け、信仰の目を注ぐべきお方は、他でもないわたしたちの救い主、イエス・キリスト、この大久保教会、皆さんの教会のオーナー・主人です。

来たる1月10日に4月から始まります2021年度の執事3名を選出する総会が開かれる予定ですが、神様とイエス様に忠実で、教会に誠実な方々が執事として選ばれるように、神様の御心が成りますようにどうぞお祈りください。これは決して他人事でなく、主イエス様につながるわたしたち各個人にとっても非常に重要なことです。

さて、モーセのリーダーシップのもと、エジプトの苦役から脱出し、神様が約束されたカナンの地に移り住む希望が与えられたイスラエルの民は、不信仰さから荒野での生活を40年間過ごすことになります。エジプトから約束の地までは、直線距離にして約300キロ、1日に10キロ進んだとしても約1ヶ月、1日に20キロ進んだとしたら2週間半で到着できるのですが、40年も荒野を彷徨うことになります。なんと効率の悪い旅であったでしょうか。すべて、イスラエルの民の不遜、神様に対する不信仰があり、そのまま約束の地に入ることは許されませんでした。この荒野での40年間で様々な戦いが民全体の中で、各部族の中で、家族や隣人との間であり、霊的な飢え渇きを覚え、人々の口から不満がたらたら出ました。わたしたちは昨年どうであったでしょうか。神様に対して不満をぶつけたり、疑ったり、苦々しい思いを吐いたりすることはなかったでしょうか。

去る一年の中で、わたしたちはどのように変わったでしょうか。変えられたでしょうか。ある人は言いました。「自分は『生きている』のではなく、神様に『生かされている』存在であることがよく分かった年でした」と。いつ感染してもおかしくない、いつ命を失ってもおかしくない状況の中で、神様によって守られている、新しい年を迎えることができた、新型コロナウイルスのために新しい年を迎えることができなかった人々が世界中に180万人もいて、深い悲しみの中にいる方がその何十倍もおられる中で。生きているのではなく、生かされている。では、何のために? 神様は聖書を通してわたしたちに何と語っているでしょうか。この新しい年も、毎週、週の初めの日の朝に、救い主イエス・キリストが甦えられた日曜日の朝、主の日の朝に、そして夕べに、この礼拝堂に集められ、オンラインで集められ、ご一緒に神様の語りかけに耳を傾けてまいりたいと願っています。どうぞ毎週の主日礼拝、そして第二と第四日曜日の夕方の夕礼拝にご出席ください。神様の愛とその言葉には、わたしたちを変える力があります。

さて、出エジプトが始まった当初からモーセの近くにいた人がいました。彼の名はヨシュア。彼はずっとモーセの背後にいて、モーセに従ってイスラエルの民に仕えてきました。この人がモーセの後継者と任命されます。その経緯は民数記27章に記されていますが、ヨシュアはモーセの後継者として重責を負うことになりました。これからイスラエルの民たちの先頭に立ち、ヨルダン川を渡って神様が約束されたカナンの地に入ってゆかなければなりません。その地に住む人々との戦いがあります。戦うためにはまずイスラエルの民の心を一つにしなければなりません。戦いの準備も色々とあります。課題や問題が山積みです。

新しい年に入れられましたが、わたしたちのこれからの日々も課題や問題が山積みです。それだけを考えるだけでもうやる気・士気が弱まります。しかし、皆さん、わたしたちの目の前には神様の祝福の約束が広がっているのです。見渡す限り、見えない先もすべてあなたに与えると神様が約束してくださっている祝福が広がっていて、その門が開いているのです。この祝福の約束をしてくださっているのは、気持ちや考えに移り変わりの多い人間ではありません。初めから終わりまで存在、すべてをご支配される主なる神、真実な神様です。この神様がわたしたちに「さあ、約束の地に入ってゆきなさい」と招かれるのです。

しかし、わたしたちの心は自分の思いが占領しています。本当に大丈夫だろうか、との不安があったり、できるだけリスクを回避したい、人々と戦いたくない、自分や家族の命を守りたい、今のままでもどうにかやっていけるという考えや思いがあるのではないでしょうか。頭の中で計算をして、どちらへ行けば良い人生を送れるだろうか、家族は幸せになるだろうか、何をすれば成功するだろうかと色々なものを天秤に掛けます。しかし、わたしたちに本当に必要なのは計算することではなく、神様に信頼することです。主に信頼して、約束の祝福を得るために一歩を踏み出すこと、その信仰と勇気です。

神様はヨシュアに次のように語ります。5節から読んでゆきます。「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」

2021年の最初の朝、この日に主なる神様がわたしたちに語りかけ、信仰をもって前進するために必要なことは何であると励ましてくださっているでしょうか。主なる神様に信頼し、勇気を持ちなさいということではないでしょうか。わたしたちは新しい年も前進したいと願っています。成功したい、幸せになりたいと願っています。しかし、わたしたちの目の前には課題や問題が山積しています。しかし、その先には祝福があります。この祝福を神様からいただくためにわたしたちに必要なのは神様への信頼と前進する勇気です。

神様はヨシュアに「モーセに命じておいた律法のすべてを忠実に守り、右にも左にもそれてはならない」と命じます。ユダヤ教には613の律法があります。(248は何々しなさい。365は何々してはならない)。しかし、主イエス様はそれを二つに集約しました。それは「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてあなたの神を愛せよ」という戒めと「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」という戒めです。もう二つ、教会には大切な戒めがあります。「わたし(イエス様)があなたがたを愛したように、あなたがたも愛し合いなさい」という戒めと「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」という大宣教命令です。

神様によって造られ、生かされ、愛されているわたしたちが神様を愛し、互いの存在を喜び、愛し仕えて行くならば、祝福が約束されている地へ入り、そこに住むことができます。この戒めからわたしたちが右や左にそれるので、わたしたちは迷い、悩み、途方に暮れるのです。しかし主なる神様は救い主をわたしたちへお遣わしくださり、この人となり地上に来られたイエス・キリストを見て、聴いて、従いなさいと今朝も招かれます。この主イエス・キリストがわたしたちに信仰を与え、前進する勇気を与え、この道筋を共に歩んでくださるのです。

新しい年が始まりました。いつも共にいてくださる主に信頼し、うろたえることなく、おののくことなく、たじろぐことなく、1日1日を大切に歩んでまいりましょう。主と共に、皆さんと共に。