岩の上の教会

宣教「岩の上の教会」 大久保バプテスト教会副牧師 石垣茂夫              2021/04/18

聖書(1):マタイによる福音書16章13~18節(p31)

聖書(2):マタイによる福音書18章19~20節(p35)

招詞:コリントの信徒への手紙Ⅰ15章58節(年間聖句)

 

はじめに

招詞では、コリントの信徒への第一の手紙から、

“15:58 わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。“

このように、み言葉が読まれました。

このみ言葉は、今年も河野先生が祈りのうちに示され、執事会の皆様で確認しました。この1年の歩みのため、相応しいみ言葉が与えらていますことを感謝します。

「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。」

日々、このみ言葉を口ずさみ、み言葉に励まされて歩んでまいりましょう。

 

わたしたちは、毎週、必ず「教会」に集まって、皆さんで礼拝することを大切にしてきましたが、この一年以上の期間、繰り返して「集まる」ことを制限され、悩みながら忍耐し、これまでにない対応を模索しながら過ごしてきました。教会はどうなっていくのか、教会が失われていくのではないかと、不安に心を揺さぶられることもありました。しかしそのような不安を抱きながらも、一方では新しい気づきが与えられ、これまで経験出来なかった手ごたえを感じながら、今日という日をわたしたちは迎えています。

今朝は、このような事態の中で教会は何を大切にし、どこに向かっていけばよいのか、わたしたちに与えられたみ言葉から導かれたいと願っています。

 

「教会」「エクレシア」

わたしたちが日常的に使っている「教会」という言葉ですが、原語のギリシャ語では「エクレシア」という言葉です。多くの皆様が「エクレシア」を知っておられます。「神によって集められた者たち」という意味である事も知っておられます。「教会」とは、こうした建物のことを言っているのではなく、建物がなくても、集められることで「教会」は存在するのです。ところが皮肉なことに、「教会」この「神によって集められた者たち」が、教会堂においても、また他の場所でも、「集まれない」という事態に置かれています。

今朝は聖書朗読でマタイ福音書から二個所を読んでいただきました。聖書の四つの福音書の中で、このマタイ福音書だけが、16章と18章で、主イエスご自身が「教会」「エクレシア」という言葉を使われ、「エクレシア」とは何か、「エクレシア」は何を中心に置くのかと、お語りになりました。

「教会」「エクレシア」。これは始めに申しましたように、建物ではないのです、そして組合のような、単なる人の組織でもないのです。教会とは、実に、ここに集められたお一人お一人の「イエスは主なり」という信仰告白をする群れとして、神に呼び集められてここにあるのです。そのことを今朝は確認し、不安な状況で生活し活動する小さなわたしたちが、一群(ひとむれ)となり力強く、歩んでいきたいと願っています。

 

「マタイ16章のみ言葉」

はじめに、マタイ16章のみ言葉を、聖書の順に従って読み進めてまいります。

16章13節以下は、弟子たちによる信仰告白の、最初の個所に当たります。

13節に「フィリポ・カイサリアに行ったとき」とあります。その場所はイスラエルの北端にあり、レバノンやシリアに接する、自然に囲まれた静かな場所です。主イエスは、そこに弟子たちだけを連れて行き、大変重要な問いかけをなさいました。

はじめに、「人々はわたしのことを何者だと言っているか」と尋ねられました。「人々はわたしのことを何者だと言っているか」。(16:13) 実は弟子たちもみな、主イエスに対して、このお方はどのようなお方だろうと思っていたのです。

「人々はわたしのことを何者だと言っているか」と問われたとき、弟子たちは、これまでを耳にしてきた、人々の声そのままに答えました。

“「洗礼者ヨハネだ」という人がいます。「預言者エリヤの再来だ」、「エレミヤだ」と言っています。「彼らと同じ預言者の一人だ」と言っています。” 

そのように弟子たち皆が思い思いに答えたのでした。(16:14)

そこで主イエスは、「それでは、あなた方はわたしを何者だと言うのか」(16:15)と問いかけました。この問いかけには、弟子たちは少し戸惑ったかもしれません。

 

その時、弟子の代表格シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」(16:16)と答えたのです。

すると主イエスは「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、私の天の父なのだ。」(16:17)と言われた。

主イエスはペトロのことを「シモン・バルヨナ」と呼びました。「バル」とは「息子」、「ヨナ」は父の「ヨハネ」のことです。主イエスは「ヨハネの息子(バルヨナ)シモンよ、あなたは幸いだ」と呼びかけたのです。

続けて「あなたはペトロ。この岩の上にわたしの教会を建てる。」(16:18)と言われました。

「あなたはペトロ。この岩の上にわたしの教会を建てる。」。この言葉が重要な意味を持つことになります。

16世紀の宗教改革以降は、多くの人が直接、聖書を読むようになり、実は、「あなたはペトロ」と言われた時の「ペトロ」は「岩」という言葉でもあることを知りました。

現在、この言葉の理解としては、「ペトロよ。あなたに続く人々、わたしをキリストと告白する人々を起こし、その一人一人が岩の土台となって教会を造るのだ」と主イエスは言われ、そのように理解されています。ペトロ一人に言った言葉ではなく、岩のようなしっかりとした信仰を、弟子たちはじめ一人一人が持ち、その上に教会を建てると言われたのです。

この日ペトロは、信仰によって「イエスをキリスト」と告白した最初の人物になりました。これは素晴らしいことです。しかし「あなたはペトロ、(岩)なのだ。この岩の上にわたしの教会を建てる。」この言葉の捉え方の違いが、キリスト教会の在り方を支配し、現代に及ぶ大きな影響を残すことになりました。

 

【写真1】バチカン市国(VATICAN CITY)

ローマには、バチカン市国という独立した地域があります。そこはペトロが埋葬された地とされ、その中心にペトロの威光を象徴する巨大なサン・ピエトロ大聖堂があります。聖堂の正面奥には巨大なペトロの椅子があり、上を見ると大きなドーム天井(St.Peter’s Bashilica)【写真2】には「あなたはペトロ。この岩の上にわたしの教会を建てる。」と、大きな文字が刻まれています。

これは、時のローマ政府が4世紀にキリスト教を国教と定めてたとき、初代の「聖ペトロ大聖堂」が建てられ、使徒ペトロをキリスト教徒の最高の地位に立つ人物としました。歴代のローマ法王は、ペトロの後継者として、次々と選ばれ、ペトロの永遠性を示して今日に至っています。

さて、わたしたちの主イエスは、果たしてヴァチカンのような壮大な目に見える勝利を現す姿を求めておられたのでしょうか。

 

16世紀以降、ヨーロッパ各地で起きた宗教改革の時代、プロテスタントと呼ばれた人々運動は、人々の信仰理解を大きく変えていきました。

「教会」とは、ただ一人の人間の「岩のごとき信仰」を信頼し、これに従うのではなく、教会に集う一人一人、自らが聖書を読み、自覚を持った信仰者としてキリストを告白し、小さくても一人一人が岩となって土台を形成する、そのような教会を目指していくようになりました。

この運動は正統派勢力にプロテスト(抵抗)する勢力となり、正統派勢力との長い戦いとなり、多くの信仰者の命が犠牲となりました。そして、法皇や国家権力と戦い、その統治から独立した教会を勝ち取ってきたのです。

しかしそうした独立した堅固な岩の教会であっても、幾たびも国の支配のもとに組み込まれ挫折を繰り返しています。日本の教会も例外ではありません。国家に認められたい一心で服従し、戦争協力を行いました。礼拝の初めには、頌栄でなく、国家を斉唱し、天皇が住む宮城に向かって深く頭を下げる宮城遥拝が求められ、週報に記載されていました。岩の上と思っていたが、やはり、砂の上に建てられた教会に過ぎなかったのではないかと、疑い迷う経験を多くの信徒が経験してきました。

終わりに、今朝はドイツの教会で起きたことを紹介したいと思います。

 

【写真3】「デートリッヒ・ボンフェッファーとアドルフ・ヒトラー」

ドイツの神学者であったデートリッヒ・ボンフェッファーの説教(1925~1944)の中から、私が「教会」について教えられたことをお伝えしたいと思います。

はじめに、デートリッヒ・ボンフェッファー(Dietrich Bonhoeffer1906~1945)とアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler1889~1945)との関係につきまして、ご存じの方も多いのですが短く紹介します。

ボンフェッファーは1906年ドイツの裕福な家庭の末っ子として生まれ、若くして「牧師研修所」の指導者になります。20代になった頃、ドイツは徐々にナチスの勢力が強まり30歳になりました時。多くの教会が、ナチの言いなりになる教会に変わってしまいました。ヒトラーは、頭脳的で経済的力を持って活躍するユダヤ人を憎むようになり、非ユダヤ系の白人・アーリア人(Aryan)こそ、世界で最も優秀な民族にならなくてはいけないと民衆を扇動してユダヤ人を迫害し、遂には彼らを抹殺しようと考え、その理由や根拠を探し始めます。

ヒトラーは、自分はクリスチャンだと言っていました。ある日、地方で伝統的に行われている「キリスト受難劇」を見に行った時、その演劇で一つのヒントを得ます。それは、ユダヤ人である「救い主イエス」を死に追いやったのは、ほかならぬユダヤ人たちだという事でした。ユダヤ人こそ「救い主を殺すような」罪深いやからだと決めつけ、これをユダヤ人迫害の根拠の一つにしてしまいます。そして教会にも親衛隊を送り込み様々に介入して要求をし始めます。教会には新約聖書のみでよい、旧約聖書は必要ないとして廃棄させます。そして、ナチズムをたたえる説教を要求しました。

この事態に危険を感じたボンフェッファーは、「告白教会」と呼ぶグループを作り、ユダヤ人弾圧を激しく非難し、困窮するユダヤ人を保護しました。そのうえで、本来の教会の信仰を守る立場を訴え続けます。しかし、そのように抵抗できる教会は、極端に減少していきました。1933年7月23日、ナチは「福音主義教会」の選挙を強行し、教会に対する主導権を持つことになります。その1933年とは、ヒトラーが首相に指名された年でもありました。

ボンヘッファーは屈辱的な選挙の日1933年7月23日、教会選挙総会のその日の礼拝説教で、マタイ16章13節以下、今朝の聖書箇所を読んで説教しています。「ペトロの教会」「ペトロの教会」と繰り返し語る、印象的な説教です。

“「ペトロの教会」。それは、岩の上にたてられた教会である。「あなたはメシア、生ける神の子です」という、ペトロの告白がいつも新たに告白され、ただこの告白を、歌いつつ、祈りつつ、宣教し、行動する以外に何もしない教会、人の言葉ではなく、神の言葉を語る教会であるならば、確かに「岩の上にたつ教会」である。” このように、波風のない時代の教会を表現します。

続けて、“しかしその「ペトロの教会」が、もし、何らかの、思いあがった理由で、そこから離れ、ほんのひと時のことだからと目をつぶってしまうなら、たちまち強風にあおられて倒れる「砂の上にたてられた教会」となってしまう。” これは、ナチに迎合したことで、多くの人が集まるようになったものの、キリスト告白を忘れた教会のことを言っているのです。

ここから、少し調子を変えます。

“「ペトロの教会」。それはこのペトロの弱さを持つ教会である。肝心のときに、主イエスを知らないと言ってしまうのが「ペテロの教会」。自分に与えられた主イエスの委託から目をそらしてしまう教会。この世に迎合し、自分の身を守り、十字架の主イエスを恥じる教会にもなるのである。” 

更にこのように言葉を続けます。

“「ペトロの教会」。それは誇りをもって語れるようなものではない。かつてはキリストを告白し、キリストを信じる弟子たちであったが、キリストの十字架の夜、主を知らないと言ってしまう教会になってしまった。”

“主イエスを捨てた弟子たちは、それでも物陰に隠れ、主イエスをじっと見つめ続け、最後には涙を流して悔いていた。「ペトロの教会」は、不忠実な、信仰の薄い、権力に恐れにおびえる弱い教会であるが、悔いて泣くことのできる教会であった。”

これは、教会を批判しているのですが、それでもボンフェッファーは、愛する教会に向けて希望を持って語り続けます。

“何物にも動じないような大きな建物や、栄光に満ちた光景はわたしたちにはない。しかし、この世におけるこの栄光よりも、測りがたく大きい栄光がわたしたちには確実に約束されている。群れが大きかろうが、小さかろうが、卑しかろうが立派であろうが、弱かろうが強かろうが、それは問題ではない。

悔い改めて、涙を流しながらでも、「イエス・キリストは主である」と、繰り返しキリストを告白する教会であるならばならば、その群れに永遠の勝利が留まる。“

これは、ボンフェッファーの説教のごく一部です。

福音書には次のような言葉があります。

『恐れるな小さい群れよ。御国をくださることは、あなた方の父の御心なのである(ルカ12:32)。』

『二人または三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである(マタイ18:20)』

教会について、このように主イエスは言葉をかけてくださっています。

わたしたち一人一人が、「イエスは主なり」との、小さくとも、岩の信仰を持ち、主イエスをキリストと告白し続けていく教会であるようにと、主イエスは励ましておられます。祈りつつ、導かれてまいりましょう。

【祈り】