宣教「平和を実現する人々」 「平和を覚える礼拝」 副牧師 石垣茂夫 2021/08/15
招詞:マタイによる福音書5章9節 聖書:エゼキエル書34章23節~26節(旧約p1353)
「はじめに」
本日は、「平和を覚える礼拝」です。皆さまはどのような思いで、この日を迎えておられるでしょうか。
「平和主日の宣教」。わたしにとりまして、この日の宣教は、少々荷が重いのです。
平和のために、自分はこれまで何をしてきたのだろうかと考えただけで、言葉が浮かんでこないのです。
今回私は、とても弱気になっていました。ひと月前のことですが、河野先生にこのように伝えてしまいました。「先生、ほかの教団で「平和主日の礼拝」は、第一か第二主日に守っていますよ」と。
それとなく、「河野先生お願いしますよ!」という意味でお伝えたのですが、先生は「大久保教会は8月15日・敗戦の日に一番近い主日に決めています」と、ビシッ!と言われました。予想はしていたのですが、受け付けていただけませんでした。
神学生時代には度々、苦手なことに出会ったなら、その時こそ向き合いなさいと言われていたことをこの時も思い起こしました。わたしは気を取り直して、この度も、敢えて向き合う決心を促されたという次第です。
今朝の宣教では最初に、主イエスが山上の説教で語られた言葉で「平和を実現する人々」と言われたのは、どのような人のことなのか、招詞の言葉から、ご一緒に考えてみましょう。
関連して、戦時下のキリスト教会に起きた争いや迫害、妬ねたみについて触れてみます。
最後に、エゼキエル書の中に現わされた、平和の主、イエス・キリストに結ばれたいと願っています。
「平和を実現する人々」
招詞で『5:9 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。(新共同訳聖書)』
5:9 “Happy are those who work for peace; God will call them his children!(TEV)
と読んでいただきました。御言葉のはじめに、「平和を実現する」という言葉がありますが、この言葉は、主イエスがその生涯で、ただ一度だけ使われた言葉です。
「平和」という言葉と、「実現する、つくり出す、打ち立てる」という言葉をあわせた、ただ一語で成る言葉です。(ειρηνοποιοι)
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」。この言葉を、その文字通り、素直に受け止めれば、「世の中で、実際に平和実現のため活動している人はなんと幸いなことだろう」、そのような意味に理解します。
たしかに、「平和を実現する」という課題に向かって、努力する人々の存在は尊敬に値しますし貴重な働きです。わたしは、はじめに、そのような人たちのことを思っていました。戦争を回避するために努力してきた人、例えば、国連事務総長のような方を想像しました。アフガニスタンで死去した中村哲さんのような人を思い浮かべました。あるいは、ノーベル平和賞を受けたような人たち、たとえば、オバマ大統領やICAN(アイキャン)で活動する人たちを思い浮かべました。
しかし一方で、主イエスが言われる「平和を実現する人々」とは、そのような、素晴らしい働きをする人たちのことなのだろうかと疑問に思いはじめたのです。そして、自分の持っている聖書をみな開いて、5章9節を読み比べてみましたが、どれも皆、同じ言葉でした。それでもなおわたしは、平和貢献をしている特別な人たちのことを言っているのではないと思ったのです。
「山上の説教」全体を読んでいて気づかされたことは、これを聞いているのは、主イエスの弟子たちや、それを取り囲むようにして座っていた群衆であり、彼らに向けて語られたという事です(5:1)。恐れず言うならば、特別なことが出来るわけでもない、わたしたち一般人に向けて語られているという事でした。
主イエスは、「今、わたしの言葉を聞いているあなたがたが、“平和を実現する人”になるのですよ」と言われたのではないでしょうか。
それでは私たちはどうすればよいのでしょうか。初めには気付かなかったのですが、その答えは、9節の後半「その人たちは神の子と呼ばれる」という言葉の中にあると思いました。
“あなた方一人一人が、あなた自身が、「神の子になる」のです” と言われたのではないかと思ったのです。
「神の子と呼ばれる」
それでは、「神の子になる」には、どのようにすればよいのでしょうか。
「神の子」という言葉で、私たちがすぐ思い浮かべるのはヨハネ第一の手紙です。
ヨハネ第一の手紙2章の終わりから3章の初めにかけて、長老ヨハネは、「神の子」とは、御子キリストの愛を受け入れ、キリストの内に留まる人、その人は、今、既に神の子なのだと言っています。「神の子になる」ことは、わたしたちの努力ではなく、神の決心が先にあったということをヨハネは言っています。
更に「神の子」の姿を伝えるパウロの幾つかの言葉を思い起こします。
その中で、パウロの「神の子」ついての考えが最も強く語られているのは、ガラテヤ書5章の「霊の実を結ぶ人」という事です。
「霊の実を結ぶこと」、その対極にあるのは「肉の業」です。「肉の業」とは「争い、怒り、利己心、妬みなどだ」であり、人間の罪の姿です。この罪によって、わたしたちの平和は奪われているとパウロは言っています。戦争は人間の心から始まります。「ある方は、人間がいなければ戦争はない」とまで言われました。それを今声高に言っても解決にはなりませんが、人間の「肉の業」、たしかに戦争はここから始まります。しかし、人間であるわたしたちが、自分でこれを取り去ることはできないのです。
パウロはガラテヤ書5章22節以下で次のように言っています(p350)。
5:22 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
5:24 キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。
5:25 わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。
パウロによれば、「平和を実現する人々」とは、キリストの十字架の愛を受け入れてキリストのものとされた人です。その人は、キリストの霊に導かれて、その霊の結ぶ実にふさわしい愛、喜び、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制に生きる人となって、神の国を受け継ぐ人々となるのです。
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」と、わたしたちのために十字架にかかってくださった主イエスが語っておられます。神との平和を確立してくださった主イエスは、聖霊をもって私たちの歩みを導き、平和を実現させてくださいます。
「ホーリネス教会への弾圧」
皆様は、戦時下における「ホーリネス教会への弾圧」についてお聞きになったことがあるでしょうか。
第二次世界大戦の終わりころ、国家による「ホーリネス教会への弾圧」という事件がありました。
私が子供のころに通い始めた浅草の教会は、1935年(昭和10年)にホーリネス教会の伝道所として設立されました。当時のキリスト教会は、神道や仏教などとは比較にならないほど小さな存在でしたが、それでも国は、すべての宗教に対して、「天皇を神として礼拝するように」と強制しはじめ、宗教活動全体を統制し、また、その活動を利用して国論を一体化しようと目論んでいきました。
すべてのキリスト教会に対して、礼拝に先立って、宮城の方向に向かい、神である天皇に対して深く頭を下げるという「国民儀礼」を命令しました。日本のキリスト教の各教派・教団の多くはこれを受け入れました。
受け入れた理由は、国家がキリスト教を、神道や仏教と同列に扱ってくれたことを喜んだためでした。それでも国は、教会が「国民儀礼」を忠実に守っているかどうかを疑い、監視するため、礼拝の度に警察官二人を各教会に配置していきました。
従来から、ホーリネス教会は、そもそも、「国を治める天皇と、信仰の神を比較することはできない」と反論していました。そのような時代の中でも、他教派に比べてひときわ熱心に伝道する教派であったことで、危険な教会として取り締まりの標的となっていました。礼拝で「国民儀礼」を始めようとしたた頃、1942年6月26日早朝に、ホーリネス教会に対して、国家は全国一斉に、教会閉鎖や施設没収を命じ、すべての牧師が留置所に収監されてしまいました。
ホーリネス系の教会全体では、300人ほどの牧師が一斉に検挙されて拘留され、断続的に取り調べを受けて行きました。敗戦の決まる日まで、最長三年の留置が続き、この間に、何人かの牧師が拷問や病弱によって獄死するという弾圧を受けました。
私が40歳になった1980年頃のことですが、教会の詳細な「五十年史」を五人役員が10年刻みに分担して執筆を始めました。そのとき気付いたのは、1942年から1945年の間、週報等の教会資料が全くなかったことでした。これは、その時代に教会が閉鎖され、牧師は近くの警察署に留置されたため、教会の活動が完全に閉ざされていた期間でした。大変困りましたが、当時の様子を知る方々からの聞き取りによってその四年間の空白を埋めました。
牧師一家には、七人のお子さんがおられましたが、男のお子さん二人を栄養不良で失いました。主だった信徒の家庭は、警察によって家宅捜索され、聖書やキリスト教関係の書物を没収され、怖い思いをしたと言っておられました。
この、国家のホーリネス教会への仕打ちに対して、他のキリスト教各派は、国に対して抗議するどころか、「ホーリネス教会はキリスト教会の恥」として、助けの手を延ばすことがなかったのです。
自分の教派の安全を優先して、見て見ぬふりをしました。そればかりか、むしろ積極的に「戦争協力」を惜しみませんでした。キリスト教会内部はそのような有様だったのです。
8月15日・解散状態から立ち上がろうとした教会は、幸いにも、建物が火災を免れていて、早くも50日後、その年10月第一主日より礼拝が再開されました。信仰の自由を取り戻し、伝道の再開、礼拝する喜び、神を賛美できる喜びが最初の週報に記されていました。伝道開始から10年の内、その半分は辛く暗い時代でしたが、神は見捨てておられないとの喜びが伝わる記録が残されていて、それ以降は喜びの歴史を書くことが出来ました。
「エゼキエルの中のキリスト」
聖書朗読ではエゼキエル書34章のうち、短い説を読んでいただきました。ある個人訳聖書のこの箇所には「平和の国」というタイトルが付けられていました。
エゼキエルの時代の「牧者」である王は、王としての基本的な任務を行わず、自分の利益だけを求めていたことで民衆は欠乏し苦しみを味わっていました。神はこの有様を見てお心を痛めておられました。
神はエルサレムから遠く離れたバビロンのエゼキエルを訪れ、幻の内にエルサレムに連れ出し、荒廃した町と堕落した神殿礼拝の実態を見せて、この礼拝の乱れと生活の荒廃から人々を救うと、神のご意思を伝えました。
お読みいただいたエゼキエル書34章全体では、憐れみに富む神は、これからは王に変わって、ご自分が「牧者」となり、「群れを養い、憩わせる」(34:15)とエゼキエルに告げ、迷い出た羊を探し出し、良い牧草地で養い回復させると約束なさいました。この預言は、第一には、バビロン捕囚からの解放として実現しました。第二には、良い羊飼いである主イエス・キリストとして実現していきました。
聖書朗読の個所、23節「わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。」
主は「一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである」と約束されました。それは真まことの牧者ダビデの末すえ、イエス・キリストをこの世に送るという約束でした。エゼキエル書の中にもキリストは預言されているのです。
イスラエルの王を始め民衆も、繰り返して神様を悲しませ、そのために国が亡びることになりましたが、それでも神は、彼らを「わたしの群れ」(34:17)と呼び、「わたしは彼らと平和の契約を結ぶ」(34:25)と約束し、彼らが「平和の国」として回復できるように導いて行くと約束なさいました。
ダビデの子孫としてお生まれになった主イエスは、わたしたちの魂を養う真まことの牧者となり、「羊が命を受けるため」(ヨハネ10:10)十字架に至るまで、命をかけてくださいました。
預言者を通して、当時の人々に語られた神の言葉は、今日の私たちにどのような言葉として聞こえるのでしょうか。
このあと、応答賛美として新生讃美歌104番「雨を降り注ぎ」を賛美します。私は讃美歌を探している時に、新生讃美歌の索引を見ていて、エゼキエル書34章と104番が結び付けられているのに気づきました。
34:26には「 わたしは、彼らとわたしの丘の周囲に祝福を与え、季節に従って雨を降らせる。それは祝福の雨となる。」との言葉があります。
4節にて 『雨を降り注ぎ 一人一人に くすしき汝なが業を 見させたまえや』と歌います。
この歌詞を読みながら、使徒言行録で「聖霊が一人一人に注がれた」と教えられていたことを思い起こします。
山上の説教で主イエスは「平和を実現するのは、他でもない、あなた方一人一人なのですよ」語られたのではないでしょうか。わたしたち一人一人が「平和を実現する神の子」とされるように、聖霊を一人一人に注いでいただき、神の使者としてそれぞれの持ち場に遣わされてまいりましょう。
【祈り】