今年の恵みを振り返ろう

「今年の恵みを振り返ろう」 年末感謝礼拝 宣教 2021年12月26日

 ガラテヤの信徒への手紙 3章26節     牧師 河野信一郎

おはようございます。2021年の最後の日曜日を迎えました。この主の日の朝に礼拝堂に、またオンラインで集えることは、本当に幸いなことであると神様に感謝しております。

昨年は、クリスマス礼拝と年末感謝礼拝、今朝と同じように対面式とオンラインでおささげできましたが、翌週の元旦礼拝と新年礼拝から緊急事態宣言の発令でまったく集えなくなり、とても寂しい新年を迎えたことを思い出します。帰省も旅行もどこにも行けない、そういうお正月は生まれて初めての経験でした。最近はオミクロン変異株の市中感染が確認され、また不安が徐々に忍び寄って来ていますので、皆さんもさぞかしお辛い時期を過ごされていると思います。神様のお守りと励ましとが皆さんと共にありますようにお祈りいたします。

さて、今朝は、礼拝に出席されている皆さんにお願いが一つあります。日本では毎年「今年の漢字」というのが暮れに発表され、今年は東京オリンピックとパラリンピックで日本勢が予想を上回る数の金メダルを獲ったということで、「金」という漢字が選ばれました。皆さんにお願いしたいのは、皆さんの「今年の漢字」をぜひ教えていただきたいということです。礼拝堂におられる方々の席にはカードが置いてあると思いますが、礼拝が終わって退出される際に、一文字をかいて、もし可能であれば、理由かエピソードを短く添えていただき、献金箱の中に入れていただければ嬉しいです。どうぞお願いいたします。

先週水曜日の祈祷会に出席された方々にも開始前にお願いし、分かち合いの時にそれぞれからお聞きしたのですが、今年を振り返る中で、その年を象徴する漢字をそれぞれがお持ちでした。皆さんにもおありだと思います。「そんなこと突然言われても!」という方は、次回の来会時にお持ちいただければ感謝です。わたしの「今年の漢字」は、後ほどお知らせします。

さて、今朝は朝と夕に二回も礼拝をおささげできることを神様に感謝しておりますが、年末感謝礼拝ということで、「今年の恵みを振り返ろう」という主題を宣教題に据えました。皆さんの中には、2020年に引き続き、この2021年の恵みはほんの少しだけ、後はぜんぶ不安とストレスの連続だったという方もおられるかもしれません。そのお気持ち、わたしもよく分かります。そのような感情を理解できない人は、本当に少なくないと思います。

大久保教会の2021年の歩みも同様にアップダウンの激しい一年でありました。この礼拝堂に集って対面式で礼拝をおささげできたのは、52週中、今日を含めて19回だけでした。あとの33回はオンラインのみとなりました。1年通して、オンラインのみが約66%、対面式で礼拝できたのは34%ほどです。祈祷会が開けたのも19回プラス、オンラインで3・4回のみで、教会学校は0回です。地域への伝道、以前のような教会での交わりは、まったくと言って良いほどありませんでした。特に伝道について、外にどんどん出かけて行ってイエス様を伝える、神様の愛を分かち合うことができていないということについて、厳しい言葉というか、鋭い指摘や問いかけを受けたりして、やり場のない思いにさせられたこと、ずいぶん落ち込むこと、体調を崩すことも幾度となくあり、正直言って苦しい思いにさせられしました。

しかし、神様は本当に良いお方、真実なるお方。いつも必要を満たしてくださるお方です。1年52回の朝の主日礼拝プラス24回の夕礼拝プラス元旦礼拝とイブ礼拝の計78回の礼拝を一回も休むことなく、オンラインで配信することができました。100%です。時折、音声や画像が乱れたり、不具合で開始時間に礼拝を開始できなかったり、途中でシステムが落ちたり、宣教部分を再収録したことも何度かありましたが、礼拝をオンラインで配信し、毎週それぞれの場所と時間の中でおささげできるように主が絶えず助け導いてくださいました。

神様は、皆さんのような礼拝と教会を大切にされる方々を教会に集めてくださり、教会を支えてくださいました。いつも笑顔で励ましてくれる人、教会のために常に祈ってくれる人、知恵を絞ってくださる人、献金をもって教会の活動と前進を支えてくださる人々、メールやお電話やお手紙で宣教のフィードバックや近況を教えてくださる方々、決して表には出ないけれども裏方に徹して支えてくださった方々、女性会と兄弟会の役員の皆さん、また教会員だけでなく、この教会に集ってくださり、いつも教会を大切に思ってくださる方々を神様は、用意してくださり、この大久保教会の歩みを守り導いてくださいました。本当に感謝です。

I副牧師は12回の宣教を担ってくださり、聖書の学びを毎月準備し、率先して受付係りをくださり、教会と主任牧師を支えてくださいました。執事の皆さんはオンラインで定例執事会、必要に応じて臨時執事会を開いて、いつも冷静に、知恵を尽くして教会の歩みが前進するために最善な方法を見つけ、先頭に立って働いてくださいました。心から感謝です。

礼拝は、それぞれの働きを担ってくださる奉仕者によって支えられています。受付係り、礼拝堂での案内係り、お花を生けてくださる方、オンラインの配信作業や音響の調整を担ってくださる方々、パワーポイントを毎週準備してくださる方、プロジェクターを操作してくださる方々、礼拝中に一階のホールで子どもたちのケアをしてくださる方々、礼拝後に礼拝堂などの消毒作業を率先してなしてくださる方々、そういう役割を担ってくださり、感謝です。

そして何より、礼拝の中で、わたしたちの賛美に素敵で力強い演奏をもって伴奏してくださる奏楽者の方々の働きなくして、わたしたち大久保教会の礼拝は成立しませんで、この一年間たくさんの愛をささげてくださった多くの方々に対して、感謝しても仕切れないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。特に、この数ヶ月間は、奏楽と配信と音響を担ってくださる方々が必要に応じて起こされてゆきました。皆さんの働きに本当にありがとうございます。

また、今年だけでなく、この2年間、礼拝を根本から支えてくださったB宣教師ご夫妻と牧師家族に感謝しています。大げさに聞こえるかもしれませんが、100%真実です。この6名の献身的な働きや犠牲がなかったら、大久保教会から毎週礼拝を配信すること、ステイホームで礼拝を心待ちにされている方々と共に礼拝をささげることは、ほぼ不可能でした。

しかし、人の業ではなく、不可能を可能にしてくださるのは、愛と慈しみに富まれる神様であり、主イエス・キリストであり、ご聖霊です。このお方の愛と励ましと助けと備えなくして礼拝をおささげすることはできません。すべての必要を満たしてくださる主に感謝です。

さて、わたしの「今年の漢字」は、「言」という漢字です。2020年はもうガムシャラでした。なんとか礼拝を配信して、教会の皆さんをイエス様につなげ続けるということしか頭にありませんでした。しかし、2021年、ちゃんとした牧会もできない中、繰り返される緊急事態宣言で心が弱りかける中、神様の言葉を発信することだけを神様に求めました。教会から委ねられた「聖書からみ言葉を語る」という働きだけは続けたいと願い続けました。神様は憐れんでくださって、毎週水曜日に教会メルマガを配信すること、礼拝で宣教すること、祈祷会が開かれた時は奨励をすることを許してくださいました。大久保教会だけでなく、日本や世界中に離散している兄弟姉妹たちとみ言葉の分かち合いをするチャンスが与えられました。

先日19日の主日、もう日付が翌日に変更しておりましたが、20ヶ月ぶりに、わたしのアメリカの母教会のクリスマス礼拝で、ライブで宣教をさせていただきました。プライバシーのこともあるので礼拝堂に集われている方々だけにしかお見せすることはできませんが、礼拝後にとった記念写真を見ていただきたいと思います。みんなで写真を撮ると聞こえず、認識していなかったので、わたしだけ変な顔をしていますが、礼拝に出席された皆さん、マスク越しに笑顔で感謝です。

今年は、教会の年間聖句にありますように、どのようなことがあっても神様から与えられた信仰にしっかり立つということ、コロナパンデミックの中でも、それでも神様から委ねられた教会の業ができるように、み言葉によって教会を励ますことに集中してきました。今年のハイライトは、アフタコロナを見据えて、ネヘミヤ記を通して教会の再興をみんなでどのようにしてゆくか、何が神様の御心であるかを聴くことでした。お聞きになられた皆さんはどうか分かりませんが、わたしは本当に幸せでした。たくさんの愛と励ましをネヘミヤ記から、またその準備の時からたくさん与えられ、希望が与えられました。

再開された祈祷会では詩編とイザヤ書とミカ書を通して、神様からこの地上に派遣されたイエス・キリストはどのようなお方であられたのかを聴くことができて感謝でした。そして今年のクリスマスは、救い主として誕生されたイエス様のこの地上に来られた目的を聖書から分かち合わせていただきました。先週のクリスマス礼拝では、イエス様は神様とわたしたちをつなげるためにお生まれくださったということを分かち合い、24日のイブ礼拝では、わたしたちを神の子とする資格・恵みを与えるためにお生まれくださったということをお伝えしました。教会ホームページに掲載しましたので、ぜひお読みいただければと思います。

神様のお導きの中、19日のクリスマス礼拝には2名の新しい来会者が、24日のイブ礼拝にはさらに2名の新来者が与えられました。礼拝堂に集われる人数は昔のように多くはなく、危機感を持っていますが、オンラインで礼拝をおささげくださる方々、ご家族と一緒に礼拝を守られる方々がおられる確かさを伝え聞いており、本当に嬉しく、神様に感謝しています。

来月9日から教会学校の成人科が再開される予定です。1月から3月まで、ご一緒にマルコによる福音書を聴いてゆくことになっていて、準備するわたしもとてもワクワクしています。どうぞご参加ください。皆さんにも、聖書から信仰の糧を日々受けつつ、イエス様と共に歩んでいただきたいと願っています。共に聖書に聴き、祈り、分かち合いができれば幸いです。

先ほども申しましたように、救い主イエス・キリストは、わたしたちを神様につなげるためにこの世に降ってきてくださいました。義であり、聖なる神様に罪びとであるわたしたちをつなげるために、イエス様はわたしたちの罪をすべて完全に贖うために十字架に架かってその命を捨ててくださいました。このイエス様の愛によってすべての人の罪は、わたしの罪、あなたの罪、わたしたちの罪は完全に覆い尽くされました。そのイエス様を神様は死から引き上げられました。その素晴らしいよき知らせが福音書として与えられていますが、福音書を記したヨハネは、イエス・キリストを救い主・メシアと信じることによって、信じる者は神の子とされる恵みが与えられると記します。ヨハネ福音書1章12節に「言(イエス様)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」とあります。

使徒パウロも、ヨハネと同じことをガラテヤの信徒への手紙の3章26節で言っています。「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」とあります。私たちは、イエス様を救い主と信じる者は、罪の奴隷ではなく、つまり不安や恐れや憎しみや妬みや悲しみなどの感情に支配されて生きる存在ではなく、神様の愛とケアの中で、恵みのうちに、光の中を、平安と希望をいただいて生かされている存在であるということです。

この恵みはイエス・キリストを通して与えられ、イエス様を救い主と信じることから始まります。闇の中に留まり続けるか、それともイエス様から差し伸べられている手、十字架の傷の跡のある御手を握って光の中を、恵みの中を歩むか、それを決めるのはわたしたち一人ひとりであり、わたしたちの心です。それぞれが今年の歩みを振り返る中で、イエス様の足跡が、伴いとお守りと優しさがあったことを確認し、心からの感謝を主におささげしましょう。