「信仰と“霊”と知恵が一つになる時に」五月第四主日礼拝 宣教 2024年5月26日
使徒言行録 6章1〜7節 牧師 河野信一郎
おはようございます。ゲストの皆さん、ようこそ大久保教会へ。歓迎いたします。教会の皆さん、お帰りなさい。皆さんのお顔を拝見できて嬉しいです。早いもので、5月も最後の日曜日となりました。今朝も皆さんとご一緒に賛美と礼拝をおささげすることができて感謝です。毎日、暑かったり、寒かったり、冷たい雨が降ったりと、体調を崩しやすい時期です。今朝も、病気や発熱のためにお休みの子どもたちが多いですが、子どもたちが一日も早く元気になるように、神様の憐れみと癒しを願い求め、祈り続けましょう。
今朝は、アメリカから来日中のHMさんが特別賛美をしてくださって感謝です。とても楽しみにしていました。大久保教会でチェロを演奏して、主を賛美くださるのはもう3回目ですね。いつも感動しています。昨年は、お兄さんのJさんと一緒にビオラとチェロで賛美してくださいました。今でも鮮明に覚えています。いつも横浜から新宿まで来てくださり、素晴らしい演奏を聴かせてくださり、ありがとうございます。Mさんの音楽の賜物がさらに磨きがかかり、主に栄光をきす音楽家として用いられますように祝福をお祈りいたします。
さて、今朝は、アフター・ペンテコステということで、使徒言行録6章から神様の語りかけに聴いてゆきたいと思います。神様のみ許へ戻されたイエス様の代わりに神様からこの地上に遣わされたのは聖霊という神です。この霊の神・聖霊がイエス様の弟子たちの上に降ったことを記念し、喜び祝うのがペンテコステです。先週のメッセージでは、聖霊が弟子たちの上に降った日に、聖霊を通して神様から4つの恵みが与えられたことを分かち合いました。
第一の恵みは、使徒言行録1章8節に記されていました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」と主イエス様が約束された通り、弟子たちはこの日に聖霊を通して新しい力を神様から受けました。第二の恵みは、2章4節に記されていました。「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」のです。イエス様の弟子たちは、聖霊の語らせるままに、外国から帰還したユダヤ人たちの分かる言葉で「神の偉大な業を」、福音を大胆に語り始めたのです。聴いていた人々は、弟子たちは酒に酔っていると驚き怪しむのですが、聖霊に満たされたペトロが奮い立って、人生初めての説教を語り始めるのです。説教をする勇気も、語るべき言葉も聖霊が与えたのです。
イエス様に従う弟子たちがペンテコステの日に受けた3番目の恵み、それはペトロの説教を聞いた群衆のうち3000人が聖霊によって悔い改めて、バプテスマを受けて弟子たちの仲間、新しい信仰のコミュニティーに加えられ、キリスト教会が誕生という大きな祝福です。第四の恵み、それは聖霊に満たされた弟子たちが「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたし(イエス・キリスト)の証人」となって出かけて行ったということです。地の果てまで、イエス様の福音を携えて、十字架と復活の救いの御業を証しすること、それがイエス様の命と引き換えに罪赦され、恵みのうちに救われたわたしたちのなすべき働きであり、果たすべき責任です。
天に上げられる直前に、主イエス様は次のように弟子たちにお命じになられました。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」と。同時に「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とも約束してくださいました。このご命令と約束は今も続いています。「あなたがたと共にいる」という約束は、聖霊が共にいてくださることによって守られ続けています。主は、わたしたちに対して、常に真実なお方です。その真実なる神様に対して、わたしたちも常に忠実に生きるべきです。
先週のメッセージの結びで、「聖霊は、わたしたちといつも共にいて、勇気を与え、守り導き、語るべき言葉を与えてくださると約束されますが、約束されたわたしたちには、聖霊を信じる信仰、主イエス様の言葉に服従する従順さが必要です」と皆さんにチャレンジをしました。わたしたちにこの信仰と従順さがあるでしょうか。もしかしたら、信じているように見せかけているだけ、従順に従っているように見せかけているだけかもしれません。
そのような信仰、従順さを神様は喜ばれるでしょうか。神様は、すべてをご存知です。わたしたちの信仰は、純真でしょうか。わたしたちは神様に忠実でしょうか。信仰はただのパフォーマンスになっていないでしょうか。使徒言行録5章38〜39節に、「(キリスト者たち)の計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない」とあります。わたしたちには肉の弱さがあります。しかし、神様は永遠に真実なお方です。この真実な神がわたしたちを憐れみ、主イエスの言葉と聖霊の力によって、わたしたちを助け、励まし、御心に従って歩めるように導いてくださるのです。
神様に信頼する力も、祈る力も、恵みを人々と分かち合う言葉と力も、キリストの証人となる力も、すべてご計画と祝福をもってわたしたちに与えてくださるのは、父なる神、御子イエス・キリスト、そして聖霊の三位一体の神です。すべての祝福の源は、この神様です。恵みに生かされているわたしたちに必要なのは、愛と真の神様に信頼して生きる信仰のみです。この信仰に、聖霊が伴い、一つになると、霊的な成長が与えられ、恵みを分かち合う勇気と言葉と機会が主の導きの中で与えられてゆきます。すべては神様の御業なのです。
さて、ペンテコステの日に誕生した初代キリスト教会は、クリスチャン一人ひとりの信仰と聖霊が一つに融合し、共にイエス・キリストの十字架と復活を大胆に証しする中で、日々成長し続けます。イエス様の福音が町中・地域に伝わる速さと教会の成長の勢いがあまりにも凄いので、大祭司たちの妬みを買い、迫害が始まるほどです。また、教会は罪赦されている者たちの集まりですが、弱さを持った人間の集まりですから、幾つもの問題が内側からも噴出してきます。しかし、それでも神様の祝福のほうが遥かに大きかったのです。
その一つの実例を今朝ご一緒に聴いてゆきたいと思いますが、使徒言行録6章の1節から7節に記されている出来事です。1節に、「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである」とあります。弟子の数が増えてきたことは実に素晴らしいことです。しかし、勢いづいている教会内に一つの苦情が寄せられます。それは教会内に不平等があるとの指摘です。外国で生まれ育ってイスラエルに戻ってきたギリシャ語を話す人たち(ヘレニスト)とイスラエルでずっと生きてきたヘブル語を話す人たち(ヘブライスト)の間に不協和音が響きます。
「それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたから」とあります。この「日々の分配」とは、生活に困窮している人たちへの援助のことです。今日で言う「年金」や「生活保護」です。その支給額が、ヘレニストのやもめとヘブライストのやもめで差がある、不平等さがあるとの声が上がります。キリスト教会の中で決してあってはならないことです。しかし、そのような人的ミスは、責任を負うべきでなかった使徒たちが負っていたために生じたヒューマンエラーでした。組織という人の集まりは、信頼関係が重要です。しかし、その信頼関係を壊す原因は、「お金」という力であることがしばしばです。現代の教会では、費用がかかる会堂建築の際に、献金や意見の対立などで分裂したりします。
使徒たちはとてもセンシティブな課題に敏速に対応します。2節から4節を読みましょう。「2そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。3それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。4わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。』」と教会に提案をします。
この提案に対して、5節と6節に、「一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、他にフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた」とあります。この結果、教会の内側と外側でどのようなことが起こったでしょうか。7節をご覧ください、「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」とあります。
教会が「信仰と聖霊に満ちている」人たちを選んで、祈りと信頼をもって大切な働きを委託していくと、神様に祝福され、教会の働きがより活発化し、教会が霊的にも、人数的にも成長してゆくのです。これは今日を生かされているわたしたちクリスチャン、それぞれの地に建てられている諸教会にとって素晴らしい実例であり、大きな励ましです。これは個人レベルでも、教会のレベルでも同じです。わたしたちの信仰と聖霊が一つになる時、わたしたちは神様に祝福され、御霊の実を結びます。教会も神様に祝福されて多くの実を結ぶのです。
聖霊に満たされていた使徒たちは、教会内の課題と直近の問題である不平等さにいち早く対応し、問題を解決します。この敏速な対応は、信仰と聖霊が一つとなり、知恵が与えられた結果です。つまり、信仰と聖霊と知恵が一つになる時に、わたしたちが日々の中で抱える様々な問題は解決が与えられ、平安が与えられ、新しい力が内側から湧き上がってきます。
これは、教会の歩みの中で、わたしたちの信仰生活の中でも言えることです。わたしたちの信仰と聖霊が一つになる時に、神様から豊かな知恵と力が与えられ、問題に対する平安が与えられ、祝福が与えられます。しかし、自分たちの考えだけで生きようとすると、神様からの知恵と力がありませんから、恐れと不安の中で混乱してしまい、希望を抱く力・生きる力が削がれます。主に信頼して聖霊と一つとなって生きるか、それとも自分だけで生きるか、最終的な選び取りをするのは、わたしたち一人ひとりです。しかし、わたしたちは独りではありません。すぐそばに、聖霊と呼ぶ神がいつも共にいて、そっと支え続けてくださっているのです。主なる神様は、愛と配慮に満ちた真実なる神です。この神様に信頼しましょう。