「神の言葉はあなたに勝利を与える」 二月第四主日礼拝 宣教 2025年2月23日
ヨハネの手紙一 2章7〜14節 牧師 河野信一郎
おはようございます。早いもので、2月も最後の主日を迎えました。今朝は、様々な理由でお休みの方々もおられますが、礼拝堂に集められた皆さん、またオンラインで礼拝をささげておられる皆さんを歓迎し、恵みの神様に感謝いたします。先週はとても寒い週でしたが、教会の椿が咲き始めました。その他の植物も小さな蕾を付け始め、春が来ることを待ち焦がれているようですが、すべてが願わしいことばかりではありません。今週はスギ花粉が関東でも多く飛散するということですから、花粉症の方々は息苦しい生活になるでしょう。幸いな恵みと課題が日々迫りますが、神様にだけ信頼し、御言葉に聞いて歩んで参りましょう。
先週の歩みから頂いた感謝な幸いを少しシェアしたいと思います。16日の礼拝の中で東北にある3つの教会のためにお祈りと献金をお願いしましたが、すぐに応答してくださった方々がおられて大変励まされました。わたしたちの祈りが一つになり、少しでも多くの支援金を被災地に送ることができたら嬉しいですし、東北の地で福音宣教と教会形成の業に励んでおられる諸教会を励ます事になると信じています。どうぞ引き続きお祈りとご支援をお願いします。2週間後の3月9日の礼拝は、「3.11を覚える礼拝」としておささげします。
さて、もう一つ感謝なことがあります。それは今日、一人の姉妹が大久保教会の家族に加えられます。後ほど、転入会の証しを皆さんにも聞いていただきますが、14歳の時に大久保教会で初代牧師の保田井建先生からバプテスマを受けられ、結婚式の司式も保田井先生であったという姉妹が、半世紀ぶりに大久保教会の会員としてカンバックされます。神様の不思議なお導きに感動いたします。わたしも大久保教会の牧師として招聘されてアメリカから日本へ戻って来た時、ある方から「鮭が帰ってきた」と言われことがありますが、それをも凌ぐもっと凄いことを神様が今日成してくださいました。神様は、本当に素晴らしいお方です。皆さんもどうぞご一緒に大いに喜んでください。教会の家族が与えられて本当に感謝です。
さて、2月は神の「御言葉」というキーワードで神様からの語りかけに聞いてまいりましたが、今朝は「神の言葉はあなたに勝利を与える」というテーマで、第一ヨハネの手紙2章の7節から14節に聞いてゆきたいと願っています。ちなみに、来月5日から受難節・レントに入ります。受難節とは、イエス・キリストの十字架への道を覚えながら、祈りながら過ごす40日間です。十字架に至るまでにイエス様が辿られた道にフォーカスする期間です。
夕礼拝では、今夜からそのシリーズを始めますが、今夜はイザヤ書53章をテキストに、神様がわたしたちを救うために600年以上も前から救いの計画をされ、救い主を与えると約束してくださっていたこと、神様の愛について聞きます。その後はルカ福音書に聞く準備をしています。朝の礼拝では、聖書の様々な箇所からイエス様の十字架の意味を聞いてゆく予定です。主のお導きを祈り、3月5日から4月19日までの受難節をご一緒に過ごしましょう。
さて、今朝のメッセージの中心は14節の後半になりますが、メッセージのゴール、最終到着地点は、神の言葉、つまりイエス・キリストがわたしたちの人生に勝利を与えてくださるということを信じることです。イエス様を救い主と信じることがわたしたちの日常生活の中で、前進する力を受けることへとつがなるのです。しかし、果たして何からの勝利であるかということに皆さんは興味を持つのではないでしょうか。それはメッセージの最後に分かち合いたいと思いますが、その前に先週のメッセージを思い出していただきたいと思います。
先週は、詩編119編105節から、神の言葉は、わたしたちが「今日」という目の前の日を主に信頼して歩んでゆくために必要な「灯」であり、神の言葉は神様に向かって歩んでゆく「光」であるということを聞きました。つまり、神の言葉を聞いて、その言葉と共に日々歩んでゆくとは、闇の中に生きるのではなく、光の中をイエス様と共に歩んでゆくことです。その日々の積み重ねが神様のおられる御国へとわたしたちを前進させると聞きました。つまり、神の言葉は、わたしたちの生きる力であり、わたしたちが目指す目標を明確に示すものだというのです。わたしたちが何を成して生きるべきかを教えるのが聖書の御言葉です。
今朝の聖書箇所である第一ヨハネ2章には、光の中を歩むとは、具体的にどのようなことなのかが記されています。ヨハネは、光の中を歩むとは、自分は神によって創造され、愛され、生かされている存在であるという真実を知り、信じ、喜び、その神様の愛に対して感謝して生きることだと言います。そして、神の存在を信じ、神の愛を喜び、感謝して生きるとは、具体的にどういうことなのかをヨハネは懇切丁寧に教えてくれます。
神様を信じ、神様に感謝している証明として、いかに神様の言葉を守って生きているかによって示されるとヨハネは言っています。ここでは「神の掟」という言葉になっていますが、これはイエス・キリストの言葉という意味で、イエス様の言葉を守りながら生きることが神様の愛を喜び、感謝している証拠だと言っています。しかし、そもそも、なぜそのようなことを証明しなければいけないのかという素朴な疑問が出てくると思いますが、教会の中に間違った教え、イエス様の教えとは大きくかけ離れた人間の思想が入り込んできて、教会の中がギクシャクしてきていたということがあります。その事を踏まえておきたいと思います。
イエス様の言葉、神の掟は、三つに集約することができます。一つ目は、心と思いと力を尽くして神様を愛するということ。二つ目は、自分を愛するように隣人を愛するということ。そして三つ目は、イエス様がわたしたちを愛してくださったように、わたしたちも互いに愛し合うということです。教会も人間の集まりです。弱さを持った人々の集合体です。様々な違いがお互いにあっても、その違いを認め合い、お互いを尊重し合い、祈り合い、支え合い、仕え合って共に生きること、それが隣人を愛する事であり、神様を愛する事なのです。
2章9節をご覧ください。「『光の中にいる』と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。」とヨハネは言っています。世を照らす光であるイエス様を信じ、イエス様と共に生きる人が教会の兄弟姉妹を愛さないで憎むならば、その人は今もなお「闇の中にいます」、闇にいるならば、神様を知っている、信じているという証明にはなりませんとヨハネは言います。確かに、互いに愛し合うということは簡単なことではありません。ですから、イエス様の助けとわたしたちの心に神様の霊が内住していただくことが重要なのです。
さて、それでは12節から14節に聴いて行きましょう。ここにも大切なことがたくさん記されています。まずこの箇所を読んでゆきますと、「子たちよ、父たちよ、若者たちよ」という呼びかけがされています。これはクリスチャンを神の家族、教会の家族と呼ぶ時の呼びかけで、「母たちよ」とか、「姉妹たちよ」でも良いわけです。そのような人たちに対して、ヨハネは12節で、「わたしが(この手紙を)あなたがたに書いているのは、 イエスの名によって あなたがたの罪が赦されているからである」と言っています。
ここで大切なのは、イエス・キリストの十字架の贖罪により自分の罪は赦されたと信じる者のみが、「神を知っている、信じている者」であるという事です。何故ならば、罪赦されて清められた者しか聖なる神と交わることができないからです。言葉を変えてゆうならば、イエス様によって光の中に置かれなければ、闇の中にいるままでは神様を見ることも、交わることもできないのです。しかし、その光がわたしたちのほうへ近づいてくださり、わたしたちを照らし、わたしたちを神様のもとへ招くのです。
今朝はヨハネによる福音書からも聞きたいと思いますが、お手元に聖書があれば、ヨハネ福音書1章29節を開いてください。新約聖書の164ページです。難しい方は前のスクリーンをご覧ください。バプテスマのヨハネ、この人はこの手紙の筆者ではありませんが、イエス様のことを「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言っています。わたしたち一人一人の罪を赦すために、イエス様は十字架の道を歩んでくださいました。この救い主イエス・キリストを信じる時、本当の意味で、光の中を歩み、神様を知る旅が始まるのです。
ヨハネの手紙2章13節に、「あなたがたが、初めから存在なさる方を知っているからである」とありますが、ヨハネ福音書の1章18節をご覧ください。163ページです。ヨハネは、「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が、つまりイエス・キリストが神を示したのである」と言っています。イエス様を通してわたしたちは神様の存在を知り、信じ、神様の愛を受け取ることができるようになるのです。
だいぶ飛びますが、ヨハネ福音書の14章6節を開いてみてください。196ページです。「イエスは言われた。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことができない』」とあります。同じ14章9節では、「わたしを見た者は、父を見たのだ」とイエス様は言っています。イエス様を通してでなければ、神様と出逢い、交わり、親しくなることはできないのです。
ヨハネの手紙2章13節に戻ります。この後半に「あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである」とあります。神様の憐れみ、イエス様の愛の力、復活の力によって、わたしたちは今日という日を生かされています。イエス・キリストの十字架の死と復活を信じる信仰によって、わたしたちは罪に打ち勝っている、死に勝利しているから喜びなさい。それが神を知っていること、信じている証だとヨハネは言って励ますのです。
14節後半には、「あなたがたが強く、神の言葉があなたがたの内にいつもあり、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである」とありますが、これはイエス様を通して、神様が勝利を与えてくださるという約束の言葉です。ヨハネ福音書16章33節の後半、201ページに、イエス様の言葉があります。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」というイエス様の言葉です。
この時点では、イエス様はまだ十字架の道を歩まれている最中です。しかし、「私は既に世に勝っている」と宣言されます。神様がイエス様に勝利を与えることを確信しているから、そのように断言できるのです。わたしたちも、神様と救い主イエス・キリストを信じて愛を受け取る時、この世の不安、恐れ、病気、死を恐れる必要がなくなります。イエス様の伴いと神様のお守りと永遠に祝福するという約束が与えられているからです。この約束の言葉を受け取り、この地上での勝利ではなく、永遠に続く勝利を信じて歩みましょう。