幼子イエスに出会った博士たちは

「幼子イエスに出会った博士たちは」  クリスマス礼拝 宣教要旨 2013年12月22日

         マタイによる福音書2章9〜12節  牧師 河野信一郎

 今回の聖書箇所には、遠い東方から救い主イエス・キリストの誕生を祝いにベツレヘムへ来た博士たちのことが記されています。現代では地球の裏側には半日もあれば飛んでゆける時代ですが、2000年前はそうではありませんでしたから、博士たちはベツレヘムに到着するまでどれくらいの日数と費用をかけ、またどれほどの犠牲を払ったのでしょうか。

 彼らを東方から導いてきた星がベツレヘムの上にとどまった時、彼らの心に大きな喜びが湧き上がったのは、「旅の目的がもうすぐ達成する。願いが叶えられる」と感じて安心し、興奮したからでありましょう。その彼らが幼子イエスに出会うや否や御前にひれ伏し、宝の箱を開けてたくさんの贈り物をささげます。そして夢でヘロデのところへ帰るなとの御告げを受けたので、彼らは来た道ではなく、他の道を通って自国へ帰って行ったと聖書に記されています。

 博士たちは、幼子イエスに出会い、御前にひれ伏し、御子に贈り物をささげるためだけに多くの時間とお金と犠牲を払って旅をしてきたのです。彼らの目的は、エルサレム観光ではなく、幼子イエスを礼拝する事のみであったのです。そして目的を果したら、彼らはすぐに帰るのです。幼子イエスに出会って、礼拝したら、今まで来た道ではなく、新しい道が開かれるのです。

 けれども、この幼子イエスは、果たしてわたしたちが礼拝をおささげするほどの価値のある人なのでしょうか。答えは、「はい、そうです」。御子イエスは、わたしたちの礼拝、献げものを受けるに最も相応しいお方なのです。博士たちはユダヤ人ではなく、わたしたちと同じ異邦人でありましたが、異邦人の彼らがそのように信じて告白するのです。そして、その信仰が、幼子イエスに献げられた彼らの贈り物に表れているのです。博士たちは、宝の箱をあけて色々な贈り物を贈ったのですが、福音書の記者マタイはその中で3つの贈り物を特記します。

 一つ目は、黄金です。金は今日では誰でも身に付けられる装飾品ですが、当時は王族しか身に付けられない高価な物でした。博士たちは、幼子イエスに黄金を贈って、「あなたはわたしたちの王です。あなたが王としてわたしたちの命を守り、導き、豊かに祝福を与えてくださると信じます」と告白するのです。イエス・キリストは、わたしたちの王さまなのです。

 二つ目の贈り物は、乳香です。この乳香は、神殿での礼拝時に用いられるものですが、これに火を点けると芳しい香りのする煙が上ってゆきます。この煙が天にいらっしゃる神とわたしたちを繋げるもの、執り成すものと考えられ、麗しい香りは神にささげられる良きものと考えられていました。博士たちは、幼子に乳香を贈って、「あなたはわたしたちと神の間に立って執り成しをしてくださるお方、平和を与えるお方です」と信じて告白したのです。このイエスを信じる信仰によって、わたしたちは神につながり、神から祝福を豊かに受けられるのです。

 三つ目の贈り物は、没薬です。これも香料ですが、鎮痛剤、また死人を埋葬するときの塗り薬として用いられました。しかし、何故このようなものが幼子に贈られたのでしょうか。この没薬は新約聖書にあと2回出てきます(マルコ15:23、ヨハネ19:39)が、イエス・キリストの十字架に直結しています。博士たちは、この幼子が自分たちの罪を贖うために十字架で死んでくださるとは想像もしなかったでしょうし、高価なものだから贈ったのでしょう。しかし、この没薬には「あなたはわたしたちの救い主です」というマタイの信仰告白が記されています。

 イエス・キリストは、わたしたちの王、神に執り成す者、死をもってわたしたちの罪を贖い、永遠の命を与える救い主としてお生まれになられた。クリスマスはその恵みを喜び祝うのです。