信じる者を力づけ、真理へと前進させる神

「信じる者を力づけ、真理へと前進させる神」六月第三主日礼拝 宣教 2025年6月15日

 ヨハネによる福音書 14章16〜17、25〜26節     牧師 河野信一郎

 

おはようございます。教会にお帰りなさい。雨で足元の悪い中、よくお戻りくださいました。今朝も皆さんとご一緒に礼拝をおささげすることが出来て感謝です。オンラインで礼拝をささげてくださっている方々、ゲストの皆さんも、心から歓迎いたします。教会のアジサイもきれいに咲いていて、心が慰められ、励まされますので、ぜひご鑑賞ください。

 

さて、今年も先週の火曜日から梅雨入りしましたが、関東の梅雨はいつ明けるでしょうか。興味があったので、6月10日に関東が梅雨入りした年を調べてみましたら、最短の梅雨は2013年の27日間(7月6日)、最長は2003年の54日間(8月2日)でした。1980年代から調べますと、最も長い梅雨は1998年の62日間でした。その翌年の1999年、アメリカから帰った若造が大久保教会の牧師として招聘され、今年で早26年目、四半世紀以上になります。

 

最近も「すごく長いですね〜」とある方に驚かれましたが、一番驚いているのはわたしです。まだ「長すぎますね〜」と言われないだけでも幸いのようですが、この間、日本社会の右も左も何も知らない者が配慮のない判断ミスを数多く犯したり、取り組むべき課題を先送り、先延ばしにしてきました。多くの方々は痺れを切らして教会を去られました。いま教会に残ってくださっている方々は忍耐の連続であったと思い、大変申し訳なく思っています。

 

この26年間、教会の皆さんと共に様々なことにチャレンジして頑張ってきましたが、なかなか思い描くような良い実を多く結ぶことができていないように思います。教会に勢いが増すどころか、弱まる一方です。それは大久保教会に限ったことではないのですが、心の中で信仰と祈り、謙遜さと忠実さがわたしに、わたしたちに足りなかったからと思ってしまうのは何故でしょうか。外に出て行って福音を分かち合わなかったからでしょうか。そのような中、大久保教会は創立してから今年で60周年を迎えました。牧師としては、身を隠す穴があったら、そこに入りたい気持ちです。只々、主の憐れみを求めて祈る者です。しかし、そのように求めるのではなく、平安と喜びを祈り求めることが御心なのかとも思わされます。

 

これまでの大久保教会の歩みを60年間、ずっと守り導いてくださったのは、愛の神様であり、主イエス様の言葉であり、聖霊の励ましです。それ以外に何があるでしょうか。確かに、わたしたちもみんなで頑張って歩んできました。しかし、わたしたちを守り続け、支え続けてくださったのは神様、イエス様、ご聖霊なのです。この主なる神様に憐れみを祈り求めると、神様は様々な方法を用いてわたしたちを憐れみ、前進する力を与えてくださるのです。皆さんにもそのようなご経験はないでしょうか。主が常に共に歩んでくださるのです。

 

皆さんの中には、心も体も疲労感でいっぱい、重いと感じている方はおられるでしょうか。体も心も弱くなって昔のように機敏に動けなくなった、何事をするにも意欲が湧かないという方、大切な家族や友人や仲間を見送って喪失感の中に日々過ごされている方もおられるかもしれません。あるいは、生活も苦しく、自分のことだけで精一杯で、他人のことまで考えていられないという方もおられるかもしれません。あるいは、どこか違う景色を見てみたいとか、今とはまったく違う環境の中に身を置いてみたいと願っているとか、お金と時間がもっといっぱいあったらなぁと思っておられる方もおられるかもしれません。

 

どうでしょうか。自分は何のために生きているのか、学んでいるのか、働いているのか分からないという方はおられるでしょうか。どうして自分だけこんなに苦労しているのか分からないと人生の意味や目的や喜びを見失っておられるでしょうか。心がスランプに陥って、そこから中々這い上がれないで苦しんでいる人。人と自分を比べて焦る。家族のことや将来のことが心配になりすぎて長い夜を過ごすことがある。わたしも最近悩むことが多いのですが、それでも4分あれば眠れると言う特技を持っているので神様に感謝しています。

 

梅雨だけでもうっとおしいのに、メッセージが最初から暗い内容ですみません。しかし、神様の存在を知り、神様に愛されていることを知っている人でも、心がスランプに陥ることはあるのです。不安を覚えたり、恐れを感じたり、悩むこともあるわけです。しかし、わたしたちに重要なことは、主なる神様を、救い主イエス様を信じることです。知識として知るのではなく、心から信じること、ひたすら主を仰ぐことです。神様とイエス様を知ることは、信じた後に時間をかけて聖書を読み、祈り、黙想し、礼拝をおささげし、主との時間をゆっくり楽しめば良いのです。主により頼んでいく時に、神様が前進する力を与えてくださる。

 

今朝の聖書箇所は、イエス様が捕えられ、十字架に架けられる前夜、弟子たちと最後の食事をしている最中にイエス様が弟子たちに語られた言葉の一部分です。イエス様が食事の後に突然弟子たちの足を洗われたり、弟子の中にイエス様を裏切る者がいると突然言われたり、いつもとは様子が違うことを察知し、不安や恐れを弟子たちは感じたはずです。彼らの信仰心も、弟子の中で誰が一番偉いかと競り合ったり、いつも自分のことしか考えず、一種のスランプに陥っていましたから、イエス様の言動に心は嵐のように騒いだことでしょう。

 

このヨハネ福音書14章は、1節にあるイエス様の「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」という言葉と、27節の「心を騒がせるな。おびえるな。」というイエス様の言葉で囲まれています。イエス様は闇雲に「心を騒がせるな!」とは命じずに、弟子たちが、イエス様を信じる者たちが、わたしたちがどのようなことが今後起こっても不安になったり、恐れたり、心を騒がせたりしない方法をしっかり教えてくださいます。それが、神様とイエス様を信じて、聖霊を心の中に受け入れるということです。

 

弟子たちの心が、わたしたちの心がいとも簡単に騒ぐのは何故なのか。それはイエス様を見失うからです。イエス様の言葉を忘れてしまうからです。主が共にいてくださることを忘れてしまい、自分の知恵と力、経験や勘に頼っているから不安になるのです。不安になるので、神様に対して自分の力だけで自己弁護しようとするようになります。そのようなわたしたちを知っておられるイエス様は、わたしたちが神を愛し、隣人を愛し、互いに愛し合うことができるように、イエス様に代わる助け主を与える約束をなさいます。

 

ヨハネ14章16節と17節に、「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからもあなたがたの内にいるからである。」とあります。

 

なんと愛と優しさに満ちた約束の言葉でしょうか。この主イエス様の言葉は真実です。イエス様は、わたしたちといつも共にいて、救いの確信と平安を与え続けるために、聖霊という「真理の霊」を約束し、ペンテコステの日に与えてくださいました。この聖霊は、イエス様を信じる者の心にしか宿らないと主は言われます。つまり、平安のうちに歩む唯一の方法はイエス様を救い主と信じ、聖霊を受けて生きることなのです。

 

26節でイエス様は、「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」と言っておられますが、「あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」とはどういう意味でしょうか。それは真理の霊、ご聖霊が、神様の御心が何であるか、創造主である神様と救い主イエス様がわたしたちにどのように生きて欲しいと願っておられるのか、どこに向かって歩み続けて欲しいと願っておられるのかを教え、励まし、導いてくださるということです。

 

主なる神様とイエス様がわたしたちに切に望んでおられるのは、わたしたちが神様の愛の中で永遠に生き続けること、そして神様に愛されていることを知らないまだ多くの人々がイエス様に出逢い、神様の愛と赦しを知り、神様に立ち帰って、神様の愛の中で永遠に生きてほしいということです。つまり、この地上を神様の愛とイエス様の平和で満たすことです。絶望の中に置かれている人々に出会って行って、イエス・キリストを分かち合ってゆき、神様にしか与えることのできない希望を人々に持って生きてもらうことです。この一連の作業はわたしたちの力だけではできません。神様の力、助けが必要です。

 

つまり、これは神様とわたしたちの共同作業なのです。神様を愛することも、隣人を愛することも、互いに愛し合うことも、イエス様の福音を世界中に出て行って分かち合うことも、わたしたちの力だけではできません。ですから、謙って、神様に助けを求め続けなければなりません。求めることも人任せにはできません。わたしたち一人ひとりが信仰と責任をもって神様の励まし、祝福を祈り求めてゆき、聖霊を受けて福音を宣べ伝えてゆく事と教会を形作ってゆく事をなしてゆかなければなりません。なぜか。それがイエス様を救い主と信じて従う決心をした時にイエス様と交わした約束であるからです。

 

神様とイエス様は、主を信じる者、主により頼む者を力づけ、神様の御心・真理へと、御国へと前進させるために聖霊を与えてくださいました。この聖霊が与えられていることを喜び、感謝しましょう。主をほめたたえましょう。そして、聖霊に満たされて、神には忠実に、人々には誠実に仕えて生きる者たちの信仰共同体、神の家族、キリストのからだなる教会として、今後も神様に建てられ続けてまいりましょう。互いを覚えて祈り合いましょう。