「互いに励まし合おう」 十一月第二主日礼拝宣教要旨 2013年11月10日
使徒行伝4章36〜37節、11章19〜26節 河野信一郎
悩み多き時代に生かされているわたしたちには、誰かしらからの励ましがいつも必要です。励ましがなければ、自力だけで立ち続けることは不可能です。わたしたちは、教会で互いに励まし合い、祈り合い、支え合い、仕え合うために主イエスに召されています。また、キリストの福音を宣べ伝えるため、共に豊かな実を結ぶためにキリスト者として召されています。しかし、キリストと教会につながり続けるためにはわたしたちが互いに励まし合う必要があります。
さて、初代教会に人を励ますことが非常に上手な人がいました。バルナバというレビ人です。初代教会を建て上げてゆくためには使徒ペテロやパウロといった強いキャラクターのリーダーが必要でありましたが、バルナバのような兄弟姉妹たちを励まし、後方支援を心がける人が存在したからこそ福音は各地へと伝えられていったのです。バルナバという名の意味は「慰めの子」とありますが、「励ましの子」と訳すほうが良いでしょう。このバルナバの性質を知ると、人を励ますことのできる人とはどういう人かが判りますので、今回は使徒行伝から学びます。
まず4章37節を見ますと、彼は「自分の所有する畑を売り、その代金をもってきて、使徒たちの足下に置いた」とあります。生活に困窮している兄弟姉妹たちをサポートするために自分の所有するものを売って、その代金を教会に献げました。つまり、人を励ますことのできる人の第一の性質は「寛大」であるということです。しかし、励ます人は金銭面で寛大という訳ではありません。金銭よりもっと大切なもの、それは時間です。人を慰め、励ます時、わたしたちは自分の時間を相手にささげるのです。ですから、人を励ます人は時間にも寛大な人です。大切なものを分け与えてゆくことを喜ぶ人が、人を励ますことができると思います。
人を励ますことのできる人の第二の性質は「偏見をもたない」ということです。バルナバはクリスチャンを迫害したサウルが主イエスに出会って回心した後、真っ先に彼を支援し、エルサレム教会の使徒たちに彼を紹介し、共に伝道旅行をしてゆきます。8・9章参照ください。
またアンテオケ教会で異邦人伝道が始まり、多くの異邦人がキリストに従う者となった時、エルサレム教会から最初に派遣されたのはバルナバでした。またアンテオケ教会で神の恵みが注がれ、多くの実を結んでいることを彼は喜び、そして異邦人キリスト者たちが揺るがない心を持ち続けるようにと励ましました。バルナバには偏見というものが一切なかったからです。
人を励ますことのできる人の第三の性質は「諦めない」ということです。良い例が13章と15章にあります。バルナバがパウロと第一回目の伝道旅行に行く時、ヨハネ・マルコという青年を助手として連れていったのですが、この若者は旅の途中で働きを放棄してエルサレムへ帰ってしまいます。理由は判りません。さて数年後に第二回目の伝道旅行をパウロが計画した時、彼はバルナバを誘ったのですが、バルナバはヨハネ・マルコを再度連れてゆきたいと提案しますが、パウロは強く反対し、結局彼らは別々の道を行くことになります。バルナバは、ヨハネ・マルコにセカンドチャンスを与えたかったのです。このバルナバの信頼と励ましがこの若者を大いに成長させました。ヨハネ・マルコは後にペテロの同労者となり、このペテロからたくさんのことを聞き取り、マルコによる福音書を記す者となりました。またパウロの良き同労者に後になったとパウロ書簡にも度々その名が出てきます。バルナバの励ましがありました。
人を励ます人、それは寛大で、偏見がなく、人を決して諦めない人です。主イエスはわたしたちを救い、そして励ますために地上に来られました。この性質は主イエスから与えられます。