「あなたを用いたい神」 二月第一主日礼拝 宣教要旨 2014年2月2日
テモテへの第二の手紙1章7〜10節 牧師 河野信一郎
神は、わたしたちを主のご用のために造られました。罪にあったわたしたちを用いるためにキリストの十字架の贖いの死をもってわたしたちを罪と死の縄目から解き放って救ってくださり、神と教会と隣人に仕えるために召し出し、また豊かに用いるためにそれぞれに特有な能力、喜んで出来る特技・得意なことを与えてくださっています。それらは自分の幸せのためだけに用いるのではなく、他の人々の徳を高めるため、教会を立て上げるため、主のご栄光のために与えられている「賜物・祝福」です。この賜物を信仰をもって神に献げるならば、神はその賜物を更に祝福してくださり、豊かに用いてくださいます。わたしたちに大切なのは、主から与えられている賜物を神と教会と人々のためにささげたい、用いられたいと願う心なのです。
ある人は、内向的、恥ずかしがり屋、自分に自信がない、自尊心の低い人もいます。神経質というか、物事に慎重な人もいます。しかし、神はそのような人をも用いたいと願っておられます。ですから、そのようなわたしたちを救い、造り変えるために神は御子イエスをこの世にお与えくださり、わたしたちを励まして用いるためにご聖霊を与えてくださったのです。
使徒パウロの愛弟子テモテは誠実な若者でしたが、内向的で臆病という性格上の弱さがあったようです。何かに躓いて自信喪失気味であったのかもしれません。そのような彼を励ますためにパウロは何度も手紙を出しましたが、そのうちの二つの手紙が聖書に加えられました。それは今日を生きるわたしたちがテモテのように力づけられ、主に忠実に従い生きるためです。
素晴らしいポテンシャルと賜物を持っているけれども弱さも同時にあるテモテに対して、パウロは手紙の中で次のように伝えます。
「我が子テモテよ、わたしはあなたを愛している。神とキリストの恵みと憐れみと平安とがあなたにあるように。わたしは夜も昼もあなたのことを絶えず覚えて祈っている。あなたはわたしの人生の喜びだ。さあ今一度立ち上がって主イエスに仕えて欲しい。神から与えられた賜物を主のためにもう一度用いて欲しい。神はあなたを用いたいと願っておられる。だからあなたに救いを与え、聖霊を与えてくださった。神がくださったのは臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊である。だから、あなたはわたしたちの主の証しをすることや、わたしが主の囚人であることを、決して恥ずかしく思ってはならない。むしろ、神の力に支えられて、福音のために、わたしと苦しみを共にして欲しい」と言って励ますのです。
主なる神は、この励ましの言葉をもってわたしたちに「主と教会と人々のために立ち上がって仕えて欲しい、あなたを用いたい」とおっしゃっておられるのです。ですから、力ある聖霊が与えられています。
立ち上がることができない理由として、何のために立ち上がるのかが判らないということがあります。また自分には無理との思い込みがあるのです。何の目的のために立ち上がり、仕えるのか。聖書は「福音のため」と言います。神の愛を必要としている人々のため、いつも一人で不安や病を抱えて生きる人、周りから蔑ろにされている人、愛と絆・家族が必要な人、生きる意味と目的を必要としている人、人生に喜びと平安と希望が必要な人々に仕えてゆくためです。
その人々に仕えるために主イエスが共にいてくださり、聖霊が力を与えてくれます。その力とは、福音を分かつ力、愛する力、そして自分を自制し、ささげる力、一歩前に踏み出す力です。この霊を主から受けて「わたしと苦しみを共にして欲しい」とパウロは訴えます。
「苦しみを共にして欲しい」とは、福音のために生きることはすべてが楽しいわけではない、困難なこと、苦労もあるということです。けれども、それを承知で信仰をもって更に一歩前へ踏み出して欲しいと願うのです。これはパウロだけの願いでなく、神の御心なのです。
最近発表されたSTAPという万能細胞を作る方法は、一つの細胞に刺激・ストレスを少し与えるだけで活動が始まり、変化してゆくそうです。わたしたちは細胞よりも優れた存在です。仕えることを通して刺激を受け、ストレスを受けることでクリスチャンとして成長させられ、主のために用いられるのです。
9節と10節を最後にお読みください。わたしたちが主イエスによって救われ、召されているのは、すべて神のご計画に基づいています。すべては神の恵みなのです。この恵みに応答してゆく方法が、人々に仕え、教会で主に仕えてゆくことなのです。この恵みに感謝して、さらに一歩前に踏み出し、心から仕えてゆきましょう。主の御心が成るために。