エジプトへ逃れるヨセフ一家

「エジプトへ逃れるヨセフ一家」 年末感謝礼拝 宣教 2025年12月28日

 マタイによる福音書 2章13〜15節     牧師 河野信一郎

 

おはようございます。去る日曜日の朝のクリスマス礼拝と水曜日の夜のイブ礼拝では、救い主イエス・キリストの御降誕を喜び祝いましたが、早いもので、今朝は2025年の最後の日曜日ですので、この一年の恵みに感謝する年末感謝礼拝としておささげしています。今朝も、皆さんとご一緒に賛美と礼拝をおささげすることができて主に感謝です。

 

メッセージに入ってゆく前に、アナウンスとお願いをしたいと思います。今週木曜日から新しい年が始まりますが、その元日の午前11時から元旦礼拝をおささげいたします。2026年の最初の日の朝を神様にまずおささげいたしましょう。そして次週の1月4日は新年礼拝としておささげします。礼拝後には主の晩餐式が執り行われます。どうぞご出席ください。

 

お願いというのは、恒例となりましたが、それぞれの2025年を表す漢字一文字を募集していますので、ご応募いただきたいというものです。すでに応募くださった方もおられますが、皆さんからも募集したいと思います。日本の今年の漢字は、米不足で高騰した「米」と人的被害をもたらした「熊」が競り合って、最終的に「熊」となりました。パンダの中国返還や市街地に次々と出没する熊による被害が深刻化したことが理由に挙げられます。一年を振り返る中で、皆さんの2025年を最も表す漢字があるとしたら、それは何でしょうか。

 

わたしには候補が二つありました。一つは、色々な意味で今年は広がりが与えられたので、「広」という漢字。もう一つは、神様からたくさんの憐れみを受ける年でしたので、「憐」という漢字です。どちらも外せない重要な漢字ですが、一つだけ選べということであれば、神様の憐れみに感謝して「憐」にすると思います。月報で紹介する際、皆さんのお名前はイニシャルで紹介しますので、プライバシー保護をします。お応募をお待ちしております。

 

さて、12月は、イエス様の御降誕の意味を知るために、マタイによる福音書の1章と2章に聴いてきましたが、イエス様の誕生物語の中で助演男優賞が贈られて良い人はヨセフです。彼は脇役に無言で徹した人でした。彼がもし自分の一年を振り返る中で漢字一文字を選ぶとしたら、どのような漢字を選ぶでしょうか。許嫁のマリアから聖霊によって突然妊娠したと聞かされた時から多くの苦悩があったでしょうから、「苦」という漢字でしょうか。あるいは夢の中で天使を通して語られる神様の言葉を何度も聞いたので、「夢」でもおかしくありません。神様が必ず守り導いてくださると約束を受けたので、それに信頼して「信」という漢字を選んだかも。皆さんがヨセフであるとしたら、どんな漢字を一文字選ぶでしょうか。

 

イスラエルの王としてお生まれになられた方を東方からずっと旅してきた博士たちが漢字を一つ選ぶとしたら、どのような漢字になるでしょうか。旅する中で様々な苦労があったかと思いますが、王をようやく探し当てた時に大きな喜びに満たされたでしょうから「喜」という漢字でしょうか。聖書に「彼らはひれ伏して幼子を拝んだ」とありますので、一生に一度の礼拝を記念して「拝」という漢字かもしれません。想像するだけで楽しいですね。彼らはイエス様を礼拝する中で、黄金、乳香、没薬などの贈り物を献げました。

 

先週は、贈り物の中で代表する三つの物、黄金、乳香、没薬の意味についてお話ししました。その理由は、この三つの贈り物が、イエス様に礼を尽くして拝むだけの価値が本当にあるということをはっきり表しているからです。黄金は、イエス様がわたしたちの王であることを告白しています。乳香は、イエス様を神様とわたしたちの中を執り成すお方であることを言い表し、告白しています。没薬は、イエス様がわたしたちの救いのために十字架に架けられて贖いの死を遂げる準備を表し、イエス様が贖い主であることを告白しています。

 

さて、2章12節を読みますと、「ところが、『ヘロデのところへ帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」とあります。ヘロデ王は幼子を見つけ出したら自分のもとへ戻ってきて報告せよと命じました。しかし、神様は、博士たちにヘロデのもとへ帰るなとお命じになり、彼らは神様の言葉に従って自分の国へ帰って行ったのです。わたしたちが人生の中で常に大切にしなければならないのは、神様の言葉であって、人の言葉ではありません。神様の言葉はいつも正しく真実で、人の言葉の裏側には醜い魂胆があるからです。人の言葉や自分の直感に頼るのではなく、神様の言葉に頼るのです。神様の言葉に忠実に聞き従う時に、神様のお守りと導きと恵みが必ず与えられます。

 

さて、今朝の本題である13節から15節に入ってゆく前に、ルカ福音書に記録されているイエス様の誕生物語とマタイ福音書に記録されているイエス様の誕生物語の違いをお話ししておきたいと思います。二つの誕生物語には、明らかな時間のズレがあるのです。

 

ルカ福音書2章11節を読みますと、天使は羊飼いたちに「今日ダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」と宣言し、12節では、「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている『乳飲み子』を見つけるだろう」と見つけるしるしを与えます。羊飼いたちは急いでベツレヘムへ行き、「飼い葉桶に寝かせてある『乳飲み子』を探し当て」ます。しかし、マタイ福音書2章11節を読みますと、博士らがベツレヘムに着いた時、彼らは「家も入ってみると、『幼子』は母マリアと共におられた」とあります。

 

ルカでは「飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子」で、マタイでは、母親と一緒に「家にいる幼子」になっています。乳飲み子は生まれたばかりの子であり、幼子は1歳から2歳の子です。明らかに時間のズレがあります。つまり、博士たちがイエス様にたどり着いて礼拝をおささげしたのは、羊飼いたちの礼拝から2年ぐらいの歳月が過ぎていたと考えられます。ですから、博士たちが無断で帰国してしまったことを知ったヘロデ王は怒り狂い、学者たちに調べさせておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の子たちを一人残らず殺してしまったと2章16節に記されています。

 

不思議でならないのは、総督キリニウスが命じた人口調査はとっくのとうに終わっているのに、なぜヨセフとマリア、そしてイエス様は2年間もベツレヘムに滞在したのかということです。ガリラヤ地方にある故郷ナザレになぜ戻らなかったのか。聖書には理由が記されていませんので、そこまで重要ではないということでしょう。しかし、戻らなかった背後には複雑な理由があったのではないかと推測します。すでに出産間近なマリアをベツレヘムへ一緒に連れて来たことにも理由があったのでしょう。正式に結婚する前にマリアは妊娠したのですから、それが聖霊によるものであっても、家族や周囲から厳しい反応があったのかもしれません。ヨセフ一家は、ベツレヘムに数年留まって、そこで静かに生活するのです。

 

この家族を支えたのは、他でもないヨセフです。彼は大工仕事をして家族を養ったのでしょう。彼は、神様から預かった神の子イエスとその母であり妻であるマリアを守り続けることに徹するのです。心を尽くして神様から託された家族を愛し、家族のために黙々と働くのです。それは神様への忠実さの表れでもあります。わたしたちも表舞台で活躍するような派手さはなくても、裏方に徹し、背後で忠実に神様に仕えること、人々にも誠実に生きて、黙々と仕えることを神様はご覧になって喜ばれるのではないでしょうか。社会・世界は、表舞台で活躍する人たちによって動いているのではなく、人の目にはつかないところで働く裏方の方々の働きと尽力によって動いているのです。それを知って喜んでおられるのは神様です。

 

それではマタイ福音書2章13節から15節を読みましょう。「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。』 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」とあります。

 

まず、「主の天使が夢でヨセフに現れて言った」とあります。天使は神の言葉を語る、つまり神様がヨセフに語り、これから彼がなすべきことを明確に告げ、その理由も伝えます。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」と。

 

神様は、ヨセフにエジプトへすぐに逃げ、次の指示が出されるまでそこにずっと留まり続けなさいと命じます。北に約100キロ離れた故郷ナザレではなく、真逆の南に200から300キロ離れたエジプトへ、住んだこともない外国へ逃れてそこで生活しなさいと命じるのです。当時のエジプトにはすでにユダヤ人コミュニティーがいくつも確立されていたそうですが、生活の基盤がないところに移り住むのにはけっこう大きな勇気と決断が必要です。

 

しかし、14節と15節には、「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた」と記されています。ヨセフはなぜそのように直ちに行動に移し、神様の言葉にとどまることができたのでしょうか。それは他でもない、ヨセフには「神は我々と共におられる」という神様の約束の言葉と神様から託された御子の命を守るというはっきりとした大きな使命があったからです。神様の御用のために生きられるという喜びがあったのではないかと思います。

 

エジプトに逃亡する資金も、神様が博士たちを通して黄金を与えてくださいました。神様の言葉に聞き従えば、神様はすべての必要を必ず満たしてくださるとヨセフは信じ、主の約束に信頼して前進したのです。

 

新しい年2026年が今週木曜日から始まります。どのような年になるでしょうか。わたしたちが、神様は今年もいつもわたしと共に歩んで導いてくださり、必要をすべて満たしてくださった、だから新しい年も絶対に大丈夫!と神様に信頼し続けるならば、2026年もいろいろなことがあったとしても、神様と救い主イエス様とご聖霊が必ず守り導き、すべての必要を満たしてくださるはずです。

 

何故そう言い切れるのか。それはイエス・キリストという神様の愛と憐れみ、恵みがすでに与えられているからです。わたしたちに必要なのは、神様の約束の言葉であるイエス・キリストに聴き、信頼し、従い続けるという神様への信仰と希望を持ち続け、心と思いと精神と力を尽くして神様を愛すること、それが隣人を愛し、仕えることへの原動力となるのです。新しい年も愛と憐れみの主の言葉に聞き続け、主に従い続け、共に歩んでまいりましょう。