「主なる神に依り頼む人の幸い」 元旦礼拝 宣教 2026年1月1日
箴言 28章25〜26節他 牧師 河野信一郎
おはようございます。新年、明けましておめでとうございます。旧年中は、愛と祈りをもって教会と牧師家族をお支えくださり、ありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。2026年の最初の日の朝、神様によってこの礼拝堂へ集められ、皆さんと共に賛美と祈り、礼拝を主なる神様とイエス様におささげすることができて心から感謝です。
新しい年が開け、今朝から三日の間に大勢の方々が日本中の神社仏閣へ初詣をされるかと思います。ある方は、ご利益のある神社やお寺を三つも四つも巡られるそうです。神社の場合ですと、鳥居の前で軽く一礼をし、手水所の水で身と心を清め、拝殿前でまずお賽銭を納め、鈴を鳴らして深く二礼をし、手を合わせて二度柏手を打ち、目を閉じて静かにお参り・お祈りし、最後に深く一礼をします。そしておみくじを引いてお参りは終わりです。
教会では、前奏を聞いて礼拝への心を整え、礼拝への招きの言葉に励まされ、賛美を歌ってささげ、祈りをささげ、献金をおささげし、そして聖書が読まれて、牧師から聖書に記された神の言葉を聞く。そしてその言葉に応答する賛美をささげ、神様に栄光があるようにと頌栄をささげ、最後は牧師による祝福(派遣)の祈りを受けて礼拝は終わります。
神社仏閣を参拝する中での「神の言葉を聞く」という部分は、おみくじを引くということになるかと思います。おみくじというのは、神様・仏様からの新しい年に向けたメッセージ、または助言であるそうです。教会での礼拝は、神様にささげる賛美と祈りと献金、そして神様の言葉に聴くことから成立しますので、これからしばらくの時間、神様からの語りかけに耳を傾けて参りたいと思います。今朝は、聖書の中で「知恵文学」と呼ばれている4つの書物(他にヨブ記、コヘレトの言葉、詩編の一部)の中から「箴言」に聴いてゆきたいと願っています。この箴言は、短い戒めの言葉、人生への教訓、助言がたくさんが集められています。格言と言ったほうが良いでしょう。新しい年を今日から歩み出すわたしたちに対して、主なる神様はどのような助言をこの箴言からくださるでしょうか。
今朝の御言葉として、箴言28章25節と26節を選びはしましたが、箴言の他の所からもいくつか紹介できればと思っています。有名な箇所は、1章7節の「主(神)を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。」という言葉です。神様を恐れるのではなく、神様を神として認め、崇め、深い敬意を抱くということです。神様を畏れない人生、神様を抜きにした人生は必ず失敗します。その理由は簡単です。自己中の人には謙遜がないので、自己中の傲慢な人たちが互いにぶつかり合って、争いごと、苦悩が絶えないからです。
箴言には、神を畏れる人と畏れない人が対比されています。すなわち、神様を畏れて幸いを得る人と畏れないで幸いを得られない人の違いが明確に示されるのです。今朝のメッセージのタイトルを、「主なる神に依り頼む人の幸い」としましたが、「依り頼む」とは「信頼する」ということです。神様に信頼を置く人と置かない人には人生において大きな違いがあるということを今朝お話しできればと願っています。
箴言3章5節から7節を読みますと、「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ。」とあります。自分の知恵や経験や勘に頼るのではなく、心を尽くして神様に信頼する人が神様に祝福された人生を歩むことができるとの助言があります。大切なのは、主なる神様を日々覚えるということです。「自分自身を知恵あるものと見るな」とあり、自分を過大評価するなということでしょう。
箴言16章20節を読みますと、「何事にも目覚めている人は恵みを得る。主に依り頼むことが彼の幸い。」とありますが、「何事にも目覚めている人」とは、どういう人でしょうか。他の聖書訳では、「御言葉に心を留める者」(新改訳)であったり、「みことばによく通じた者」(新改訳2017)であったり、「主の言葉を悟った人」(聖書教会共同訳)、「慎んで、み言葉をおこなう者」(口語訳)と日本語に訳すだけでも違います。リビングバイブルでは「神様の言うことを聞く人」と訳されています。総合的に言いますと、神様の言葉をいつも聴いて、ただ聴くだけで終わるのではなく、その言葉どおりに生きる人は幸いを得る、神様に祝福されるということでしょう。一年365日、その日々の歩みの中で、神様の言葉に聴く人と聴かない人には、生活の質に大きな違いが出てくるという教訓であると言えるでしょう。
少し横道に逸れますが、箴言22章4節に、「主を畏れて身を低くすれば、富も名誉も命も従って来る。」とあります。神様を畏れて、神様の御前にいつも遜って生きる人は、人の前でも謙遜に生きられます。神様がその人の心を常に守り、平安を与え、人々に対する寛容さと謙遜に生きる知恵と力を与えてくださるからです。そのような人には、おのずと富も名誉も命も従ってくる。つまり、お金では買えない祝福を神様から与えられるということです。
箴言28章25節と26節に、「貪欲な者はいさかいを引き起こす。主に依り頼む人は潤される。自分の心に依り頼む者は愚か者だ。知恵によって歩む人は救われる。」とあります。自分のことしか考えない貪欲な人、傲慢な人は争い、喧嘩、揉め事ばかりを起こすのです。それによって人々は離れてゆき、孤独感に苛まれ、心はすたれ、ぼろぼろになってしまいます。神様は、そのような人になって欲しいとわたしたちに願ってはいません。主なる神様は、わたしたちに神様のみに依り頼む人を望んでおられます。神様に望みを置く人、信頼する人は、神様からたくさんの祝福、愛と憐れみを恵みとして日々受けますので、心がいつも潤っているのです。神様が心と日々の生活に潤いを与えてくださるのです。
箴言は「自分の心に依り頼む人は愚かだ」とはっきりと言います。この言葉の裏返しは、「自分の知恵や力や勘に頼ってはならない。神様を信じて、神様に頼りなさい。すべてをお任せしなさい」ということです。「知恵によって歩む人は救われる。」とありますが、知恵とは、わたしたちを大いに祝福し、富や力で得ることのできない幸い、神様にしか与えることのできない幸いを与えてくださる道筋を示す神様の言葉です。神様を畏れ、神様の言葉に聞き従う人は、神様の愛によって救われるという宣言がここにあるのです。28章20節には、神様の言葉に「忠実な人は多くの祝福を受ける。」とあります。この祝福を神様から受けて新しい年を歩みたいと願われないでしょうか。
箴言1章33節には、「わたしに聞き従う人は確かな住まいを得、災難を恐れることなく平穏に暮らす。」とあります。3章34節には、「主は不遜な者を嘲り、へりくだる人に恵みを賜る。」とあります。8章17節には、「わたしを愛する人をわたしも愛し、わたしを探し求める人はわたしを見いだす。」とあります。同じ33節には、神の「諭しに聞き従って知恵を得よ。なおざりにしてはならない。」とあります。10章23節には、「愚かな者は悪だくみを楽しみ、英知ある人は知恵を楽しむ。」とあります。
11章25節後半には、「他を潤す人は自分も潤う。」とあります。同じ11章28節には、「富に依存する者は倒れる。神に従う人は木の葉のように茂る。」とあります。12章15節、「無知な者は自分の道を正しいと見なす。知恵ある人は勧めに聞き従う。」とあります。13章20節、「知恵ある者と共に歩けば知恵を得、愚かな者と交われば災いに遭う。」とあります。14章1節、「知恵ある人は家庭を築く。無知な人は自分の手でそれを壊す。」とあります。29章8節、「不遜な者らが町に騒動を起こす。知恵ある人々は怒りを静める。」とあります。
箴言には、他にもたくさんの知恵の言葉がありますが、最後にもう一つだけ分かち合って終わりにしたいと思います。22章の19節と21節の言葉です。こうあります。「あなたが主に信頼する者となるように、今日、あなたに教えを与えよう。」、「真理とまことの言葉をあなたに知らせるために、まことの言葉をあなたの使者に持ち帰らせよう。」とあります。「あなたが主なる神を信頼する者となるように、今日、あなたに教えを与えよう。」の「教え」とは、神の言葉・イエス・キリストです。「真理とまことの言葉」もイエス・キリストです。
神様は、わたしたちが神様に依り頼みつつ日々を平安に歩めるように、救い主イエス・キリストをわたしたちに与えてくださいました。このイエス・キリストによって、わたしたちは主なる神様の存在と愛と憐れみを知ることができ、神様に信頼する知恵と力が与えられ、心安らかに日々をイエス様と共に歩むことができるのです。この上ない祝福、恵みが神様から与えられているのです。この恵みを与えてくださる神様を畏れ、御言葉に聞き従って歩んで参りましょう。祝福をお祈りします。
