「キリストによって日々新たにされて生きる」一月第三主日礼拝 宣教 2026年1月18日
コロサイの信徒への手紙 2章20節〜3章11節 牧師 河野信一郎
おはようございます。ゲストの皆さん、ようこそ大久保教会へ。教会の皆さんは、お帰りなさい。今朝も皆さんとご一緒に礼拝をおささげすることができて感謝です。ただ、今週は非常に強い寒気が中国大陸からなだれ込み、日本全体に長期にわたって居座るとの予報です。寒さ対策をしっかりしてお過ごしいただきたいと思います。守られますように祈ります。
さて、今月は神様の語りかけをコロサイの信徒への手紙から聴いていますが、第一の日曜日では、新年を迎えたということもあり、神様の御心に従って歩むためにわたしたちに何が必要であるかを聴きました。すなわち、神様の御心をすべて完全に知っておられるイエス・キリストを信じ、イエス様の言葉に日々聞き従うことが唯一の道であることを聴きました。
そして先週の第二の日曜日では、何故イエス・キリストに聞き従う必要があるのかという理由を聴きました。すなわち、イエス様が教会の頭であり、すべての支配と権威の頭であり、わたしたちを最善の道へと導いてくださる主であるから、自己流ではなく、この主の言葉に聞き従う必要があるということを聴きました。前回はまったく用いませんでしたが、「羊飼い」の声に聞き従う羊のように歩むことが御心に従う最善の道であるということです。
今朝は、メッセージのタイトルからも分かりますように、わたしたちが主イエス様によって日々新たにされて生きることが神様の御心であることをコロサイの信徒への手紙の2章後半から3章にかけて聴いてゆきたいと思います。殆どのクリスチャンは、信仰を公に告白し、バプテスマを受けてイエス様に従い始めます。わたしは10歳の時に信仰を告白してバプテスマを受けました。49年も前です。Kさんは1ヶ月前のクリスマス礼拝の中でバプテスマを受けられましたが、今もその時の喜びと感動が彼女の心を満たしていることでしょう。
それでは、わたしはどうだろうか。わたしの心はバプテスマを受けてイエス様に従い始めた頃と同じ喜びと感動を抱きながら歩んでいるだろうか。いや、自分は神様からいただいた信仰を勝手にこねくり回して自己流にしてしまい、神様とイエス様に聞き従っているように見せかけているだけの信仰ではないだろうか。だから、何か気に食わないことがあるとファリサイ派の人のようにすぐに人を裁いてしまう。心は恐れや不安や不満ばかりになっている。果たして、そのような信仰を神様とイエス様はどのようにご覧になられているのだろうかと思わされるのです。皆さんは、どうでしょうか。皆さんは、イエス・キリストを通して神様から与えられた信仰をどのように喜び、感謝して日々を歩んでおられるでしょうか。
これは非常に大きな「もし」ではありますが、もし喜びや感動や感謝の思いが薄れてしまい、不満や不安や恐ればかりが心の中心にあるとしたら、わたしたちは、どのように喜びや感動を回復することができるでしょうか。だいぶ前こんなことがありました。今のキャッシュカードはI Cチップが内蔵されたカードが主流ですが、まだ磁気カードが主流であった時の話です。郵便局のATMでキャッシュカードが突然使えなくなり、お金を引き落とせなくなりました。困ったわたしはすぐに窓口へカードを持っていきましたら、窓口の方が「カードの磁気が不良になってしまったため使用できなくなっています。何か強い磁気のものに近づけたのかもしれませんね。」と笑顔で言われ、すぐにカードを何かの機械に通して磁気を回復してくれました。そうしましたら、すぐにカードが使えるようになり、無事お金を引き出すことができました。ほんの一瞬でカードが使えるようになったのです。驚きました。
バプテスマを受けてから年月が経過する中で、信仰に喜びや感動が薄れてしまったり、何らかの理由で消え去ってしまうことがあります。信仰が形骸化してしまうことがあります。何故でしょうか。神様の愛から引き離そうとする強い力、サタンに心が近づいたから、欲望を抱いたからかもしれません。神様ではなく、この世のものを愛したからかもしれません。
コロサイ3章5節に、「地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。」とあります。また、8節と9節には、「怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。互いに嘘をついてはなりません。」とあります。
わたしたちには、神様から与えられた信仰の喜びや感動を回復する術と力はありません。罪に陥るとまったくの無力です。しかし、神様にはその力があります。信仰が回復する唯一の道、それは罪を悔い改めて神様に立ち返ることです。何故ならば、わたしたちの信仰に回復、リバイバル、聖霊の満たしを与えてくださる方は神様しかおられないからです。わたしたちは自分の罪を、自分の弱さを悔い改めて神様に立ち返り、神様の憐れみに依り頼む必要があります。では、悔い改めて神様に立ち返る具体的な方法は何でしょうか。それは、キリスト・イエスと共に死んで、キリスト・イエスと共に甦るということです。
使徒パウロは、2章20節と3章1節で非常に興味深いことを言っています。新共同訳聖書では正確に訳し切れていませんが、20節で「もしあなたがたがキリストと共に死んでいるなら」と言い、1節では「もしキリストと共に復活させられたのであれば」という言い方をしています。ここに「キリストと共に死に、キリストと共に復活する」とあります。
20節から23節をリフレイズしますと、「もしあなたがキリストと共に死んでいるならば、この世に対して死に、この世の支配から解放されているはずです。自由なはずです。でも、何故まだこの世のものに属しているかのように生き、この世の支配に縛られて不自由に生きているのですか。何故この世の哲学や伝統やしきたり、禁欲主義にとらわれ、イエス様以外の天使を礼拝しているのですか。何故一瞬でなくなる物や無意味で無価値なものを追い求めてあくせく生きているのですか。それらは人間の欲望を満たすだけでしょ!」となります。
「キリストと共に死ぬ」というのは、神様を完全に無視して、自分のためだけに生きて来たこれまでの間違いを悔い改めるということです。この世のものと決別し、優先順位を神様第一に改めるということです。そして「キリストと共に復活させられる」というのは、キリストを通して新しい命を与えられて、これまで自分中心であった人生を軌道修正する力が与えられて、神様に向かって生きること、神様の御心に従って生きるということです。「神様のために生きる」と聞いて、「それこそがわたしを縛り上げることではないか」とカチンとくる方もおられるかもしれません。
しかし、もう一度1節の言葉をしっかり読む必要があります。「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから」とあります。「あなたは復活した」のではなくて、「復活させられた」存在だとあります。自分の力で、努力で、信仰で「復活した」のではなくて、「復活させられた」、つまり神様の愛と憐れみによって新しい命が与えられているということです。新しい命を受けるだけの資格や功績や相応しさがわたしたちにあったからではなく、神様からの一方的な愛と憐れみ、恵みによるとパウロはここで宣言し、「あなたがたはキリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい」と励ますのです。
それでは、「上にあるもの」とは何でありましょうか。それは「天に属するもの」と訳せます。地上にあるものはすべて有限なもので、年月が過ぎれば消えてしまうものです。しかし天にあるもの、神の御許にあるものはすべて良いもの、永遠のものです。わたしたちがこの地上で手にするものは天に持ってゆくことはできませんから、この地上のものに心引かれるのではなく、神の御許にある永遠のもの、永遠の命を求めなさいと言われています。
そうすると、どういうことが起こるでしょうか。3節に、「あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されている」とありますが、罪によってわたしたちに隠されていたわたしたちの本当の存在意義、存在理由、人生の目的を主イエス・キリストによって初めて知ることができ、新しい生き甲斐が与えられ、喜びと感謝が回復し、神様に喜ばれる礼拝をおささげし、謙遜を身に帯び、主と隣人のために生きることができるように変えられるのです。そのように聖霊がしてくださるのです。ですから、日々の生活の中で何か思い悩むことが起これば、すぐに祈ってイエス様に助けを求めるのです。主が憐れみ、助けてくださいます。
先ほど読みました5節から11節には、キリストと共に死に、キリストと共に新しい命に与っている者たちが捨てるべきものが記されています。これらのものは、神様に敵対するものであり、わたしたちの心を弱らせるもの、信仰を奪い去るサタンの力です。神様の御心がこの地上で行われ、神様の約束が成就されることを阻止する闇の力だとパウロは言うのです。
9節の後半から10節に、「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達する」とあります。キリスト・イエスを信じる前の古い性質をすべて捨て去り、キリスト・イエスにつなげられ、キリストを通して与えられる新たな性質をいただいて生きなさいということです。古いものを持ったままでは新しいものを受け取ることはできません。古い服を着たままで、新しい服を着ることはできません。古いものを手放さなければ、神様の祝福を受け取ることはできません。何故でしょうか。わたしたちに差し出されている祝福は、この上ない聖なるものであるからです。
この神様の聖なる愛を受け取る時、わたしたちの心は喜びと感動と感謝に満たされ、神様とイエス様を愛し、隣人を愛し、自分をも愛することができます。聖霊が助けてくださいます。神様には忠実に、隣人には誠実に、自分には信実に生きることができるようになります。そのために、キリスト・イエスによって、日々新たにされてゆきましょう。
