「ラザロ、主の愛する友」 4月第二主日礼拝[棕櫚の日] 宣教要旨 2014年04月13日
ヨハネによる福音書12章9-19節(口語訳聖書 ) 副牧師 石垣茂夫
イースター(復活日)の一週前の礼拝を、[棕櫚の日礼拝]と呼んでいます。これはヨハネ福音書に、エルサレムに入城する主イエスを、「大ぜいの群衆が、しゅろの枝を手にとり、迎えに出て行った。」(12:13口語訳)と記述されていることによります。
主イエスのエルサレム入城は四つの福音書すべてに書かれていますが、ヨハネでは、迎える群衆には二つのタイプがあったことを伝えています。一つは四福音書に共通したことで、主イエスを、「政治的な王、軍事的な力を持ったメシヤ」と期待している人々です。
もう一つは、ヨハネに特有なことで、「奇跡を起こす人」として迎える人々がいたということです。
二つ目の「奇跡を起こす人」として迎えるようになったいきさつは、主イエスが墓から生き返らせたラザロを11章から登場させて物語っています。
遡って11章1節以下を読みますと、ラザロはエルサレムから3キロのベタニヤに住み、マルタとマリヤ姉妹の兄弟であったとあり、主イエスとは特別に親しい間柄であったことが分かります。そこには「イエスはラザロを愛した」と三度記され(11:3,5,36)、「わたしたちの友」(11:11)と一度呼んでいます。そのラザロは重い病に罹り、知らせは旅先の主イエスに伝えられました。主は「この病は、死で終わるものではない」(11:4)と宣言され、何事か思い立ったように、ベタニヤに向かいました。しかし主が到着したとき、ラザロは既に死んで墓に葬られ、四日も経っていました。人々が悲しむのを見た主は、神に祈り「ラザロよ、出て来なさい」と墓に向って呼ばわりました。すると、死んでいたラザロが生き返って墓から出てきたという出来事です。この出来事は、目撃した人々によって広く伝えられ、主イエスは「奇跡を起こす人」として、ラザロを巻き込んで大評判になっていったのです。
ヨハネ福音書は、そのように主イエスを熱狂して迎え出た人々は、「真のイエスが分かっていなかった」と伝えたいのではないでしょうか。確かに、ラザロに起きた出来事は多くの人々を驚かせ、誤った期待を与えたと思えます。ところが熱狂した彼らは数日の内に、「ホサナ、ホサナ」(我らを救いたまえ)の叫びから、「十字架につけよ!十字架につけよ!」と叫ぶ人々になったのです。
わたしたちは、生き返らされたラザロの出来事に何を見ればよいのでしょうか。
福音書の中で、ラザロはひと言も言葉を発していませんし、ラザロがこれこれのことをしていたという記述は皆無です。ただ、「主イエスはラザロを愛した」と、繰り返し語られているだけです。
この出来事の前に主は「この病は、死で終わるものではない」と宣言されていたことを思い起こしましょう。その通り、主はラザロを用いて十字架への道を切り開き、父なる神に栄光を帰して行かれました。今日の礼拝で、バプテスマに備えて、三人の友が「信仰告白」をされました。そのお一人お一人は、何事かを語り、何事かをなしたということではなく、ひたすら主イエスと共にいることに喜びを覚え、これからの生涯を、主イエスと共に歩ませて頂こうと、決心されたのです。ヨハネが伝えた、「主イエスが求めた信仰」とは、まさにそうした信仰ではないでしょうか。
ラザロを愛した主は、この三人の方を愛して下さり用いてくださいます。これを信じ、ご一緒に従ってまいりましょう。