「わたしたちの平和は」 八月第四主日礼拝 宣教要旨 2014年8月24日
エペソ人への手紙2章14〜18節 牧師 河野信一郎
世界のいたる所で紛争、命の略奪がくり返されています。戦いが長引くほどに両国・両者間の壁が高くなり、溝が深まり、距離は広まり遠くなります。イスラエルでは、パレスチナ自治区ヨルダン西岸地区とイスラエルを遮断する総延長703kmの「分離壁」が2002年から建設され、2012年までにはすでに440kmが建設され、57kmが建設中です。残り206kmは未着工ですが、完成するまで続けるでしょう。イスラエルは、自爆テロなどの防止のためと説明していますが、パレスチナ人を差別・隔離し、人口増加を抑制し、彼等の生活に深刻な影響を与えています。
また、同様な壁・溝が世界のいたる所で作られ続け、弱者である子ども、女性、高齢者、少数派、少数民族の人たちがいつも犠牲になっています。この壁・溝は目には見ませんし、一人や二人の力では解決することができない巨大な課題です。日本にも、この目に見えない壁と溝が作られ、差別社会が現実にあります。職場やコミュニティー、家庭の中でも夫婦や親子関係の中でも残念ながらあります。偏った愛や偏見が存在します。表面化したものや、隠されている陰湿なものがいたる所にあります。そういう中で、私たちは救い主イエスの御名によって神に祈るように導かれます。キリストを通して世界、日本、心の平和を祈らなければなりません。
何故なら、使徒パウロはエペソ書2章14節において、「キリスト・イエスはわたしたちの平和である」と宣言し、「この救い主を信ぜよ」とわたしたちをキリストを救い主と信じる信仰へと導くのです。使徒パウロは、イエス・キリストが真の平和であり、切望している平和はキリストから始まると信じています。このキリストなしに真の平和は築けないと言っています。
それでは、このキリストは「平和」のために何をして下さったのでしょうか? その答えが14節から16節に明記されています。「二つのものを一つにし」とは、ユダヤ人と異邦人を一つにされたということで、両者の「敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄した」のです。「ご自分の肉によって」というのは、16節にある「十字架によって、十字架にかけて滅ぼした」、つまりご自身の十字架での贖いの死によってユダヤ人と異邦人を一つのからだとされたということです。敵に対して、国は法律を定め、壁を高くし、溝を深め、距離感を広く持ちます。しかし、敵意、律法、差別を取り除くために主イエスはご自身の肉・血潮、つまり命をもって滅ぼしてくださいました。
主イエスは、「憎み合う」という思いからわたしたちを解き放ってくださり、「人を愛する、愛し合う」、「受容し合う」平和の土壌をつくり出してくださり、その中へと招き入れてくださいます。この「平和」であるキリスト・イエスに日々聴き従ってゆくことが、わたしたちに求められていることであり、主に聞き従う者を「平和をつくり出す者」として用いられます。
キリスト・イエスは、ご自身の血潮・死をもって二つの平和を与えてくださいます。一つは、人間同士の和解と平和です。イエス・キリストを救い主と信じる者たちの心の距離をなくしてくださいました。もう一つは、神とわたしたちの和解と平和です。贖いの死をもってわたしたちを神に近づけ、神の愛と赦しを受ける者としてくださいました。その良き知らせ・福音がユダヤ人にも異邦人にも伝えられ、地の果てまで宣べ伝えられてゆくことが主の御心・願いです。
キリストの福音を信じ、主に聴き従い、福音を全世界に伝えてゆくために神から聖霊が与えられていると18節にあります。この聖霊がわたしたちの心を日々造り変えて、キリストの平和を祈る者、福音を伝える者、平和をつくり出す者として生きる力を豊かに注いでくださいます。