「主イエスの友」 六月第二主日礼拝 宣教要旨 2016年6月12日
ヨハネによる福音書 15章13〜15節 牧師 河野信一郎
今年もぶどうの季節が近づいています。この時期のぶどう園では、それぞれの房に大粒で甘い実をバランスよく付けさせるために、結び始めた小さい実を間引きしているそうです。美味しいぶどうを提供するために、農家の方々は各房に丹精を込めてくれています。教会も、主イエスの福音を伝えるために、愛と真剣な祈りと丁寧な準備、そして心一つに仕えるスピリッツが必要だとぶどう園の働きから教えられます。
教会の働きも、誰かに任せておけば良いという心持ちではなく、自分に何ができるだろう、小さいことでも何かしたい、仕えたいというスピリットを各自が持つ時に必ず用いられます。教会の働きは多岐にわたり、大小に関わらずにすべて大切です。一人一人が信仰をもって自分の特技や長所、賜物をささげて行く時に教会はしっかりと建て上げられてゆきます。
わたしたちに大切なのは、「何のためにするのか」という教会の使命・目的を明確にすることです。ヨハネによる福音書15章1節から17節まで読んでゆきますと、わたしたちは「神の栄光を現すために、つまり神に喜んでいただくために実を結びなさい」と主イエスに命じられています。
また第一テサロニケ5章16節から18節では、「いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝せよ。これが主イエスにあって神があなたがたに求めておられることです」と使徒パウロの言葉を通して神の望みが示されています。「あなたがた」とありますように、この言葉は主イエスを救い主と信ずる全ての者・教会に宛てられた言葉です。
キリストの教会に連なるわたしたちがいつも共に喜び、祈り、感謝をささげてゆく。もし感謝したり喜べない人がいたら、その人に寄り添い、共に悩み、涙する。もし祈れない人がいたら、その人に寄り添い、共に祈る時を過ごす。喜んでいる人がいたら一緒に喜ぶ、神に感謝をささげる。それが主イエスにあるわたしたちが互いに愛し合うことであり、神が望んでいる実です。
主イエスは、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」と命じられました。この掟を守るためには、まず主イエスにわたしたち各自がつながり続けなければ、自分の力だけでは守れません。主イエスがわたしたちをどのように愛してくださったかは6月5日の宣教でお話しましたから、そちらを参照してください。口先だけでなく、互いに受け入れ合い、許し合い、祈り合い、仕え合うことが愛することです。
主イエスは、「自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」とおっしゃいました。それほどまでに純粋な愛をもって愛し合うことの大切さを主イエスは教えておられるのです。そしてこの愛を十字架上で、その死をもってわたしたちに与えてくださいました。わたしたちを救うために、主イエスは御自分の命を捨ててくださった。神もわたしたちの罪を赦し、救い、永遠の命を与えるために御子イエスを捨ててくださった。この愛によってわたしたちは愛され、生かされているのです。
主イエスは14節で「わたしの命じることを行なうならば、あなたがたはわたしの友である」とおっしゃいます。また15節では「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。わたしはあなたがたを友と呼ぶ」とおっしゃっています。この「僕」というギリシャ語は「奴隷」とも訳せる語です。これを聞いて、「おいおい、それでは今まで弟子たちのことを僕・奴隷だと思っていたの?」とツッコミを入れたくなるでしょう。答えは「ハイ」です。
わたしたちは主イエスに出会うまでは「罪の奴隷」だったのです。ある人は「悪魔の奴隷」と言います。しかしそのわたしたちが主イエス・キリストが十字架上で流された血潮によってキリストの僕として買い取られたのです。主イエスを信じるまでは滅び行くもののために生きる罪の奴隷でしたが、主イエスを救い主と信じ、救われ、新しくされることによって神と主イエスのために生きる僕とされたのです。
主のために生きるとは、主のために主が喜ばれる実を結んで生きるということです。その実とは、神と主イエスを愛する実、隣人を愛する実、そして兄弟姉妹が互いに愛し合う実です。
他にも神に期待されている実はあります。それは、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制であるとガラテヤ5章22・23節にあります。主につながり、主により頼んでその実を結ぼうと生きる時、その実を神が豊かにしてくださるのです。
神の期待どおりに生きることは無理だとわたしたちはすぐに考えますが、最初から諦めないで、まず主イエスを信じてつながることから大切にしてゆきましょう。
「もはやわたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである」とあり、続けて「父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせた」とあります。僕は主人に言われた通りにすることが求められ、何故それをするのか、何のためにするのかを知ることがありません。しかし、わたしたち主の僕・弟子は主なる神と御子イエスが何をしているか、何をしたいか、何のためにしているか、わたしたちは何をすべきかをすべて主イエスから伝え聞いています。
神は、わたしたち全ての人を愛しておられます。罪の奴隷として闇の中を生きている人を救うために御子イエスをこの世にお遣わしになられ、救いの道を開いてくださいました。
主イエスは、わたしたちすべての人を愛してくださっています。わたしたちを罪と死から解放し、自由を、希望を、そして永遠の命を与えるために御自身の命を捨てて、わたしたちを愛し通してくださいました。
主の僕、主イエス・キリストの弟子たちであるわたしたちは、その神と主イエスの愛を地の果てまで出て行って伝えるために、一人でも多くの人をイエスに、神につなげるために生かされています。ですから、この使命に忠実に生きる人を主イエスは「友」と呼ばれます。主の友とは、主と苦楽を共にし、神の愛を伝える主イエスの同労者です。
まず、すべてを主イエスに委ねて、主につながり続け、主に一緒に歩んでいただきましょう。そうしたら、神の祝福のうちに生かされ、自然(神の恵みによって)に実を結ぶことができるようにされてゆきます。主イエスを信じれば良いのです。