「信仰はキリストの言葉を聞く事から」 七月第一主日礼拝 宣教要旨 2016年7月3日
教会組織51周年感謝礼拝・2016年神学校週間最終日にて
ローマの信徒への手紙 10章14〜17節 牧師 河野信一郎
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」と使徒パウロは明言しています。信仰の核心をつく、何と力強い言葉でしょうか。この言葉に、わたしたちがいつも謙遜に生きてゆくことの大切さが示されています。まず、わたしたちの信仰は、神からの語りかけ、神の言葉があって初めてスタートするということです。わたしたちの信仰の出発点は、神であり、主イエスであり、信仰というのは神の語りかけに対する応答であるということが言えると思います。この主からの言葉がなければわたしたちの信仰は始まらなかったし、これかも続いてゆかないのです。
ヨハネによる福音書は、「初めに言があった」という宣言で始まり、福音は神からイエス・キリストを通して開始されたことが明言されています。救いの御手は、この言葉によって
わたしたちに差し伸べられ、今もすべての人に差し伸べられています。キリスト教の信仰は、自分の力で、自分が信じて得られるものではなく、主からの語りかけ、愛の言葉に聞くことによって与えられる「恵み」であることを覚えたいと思います。
ですから、もし今、信仰を求めて自力で苦闘している方がおられるならば、自分の力と知恵を尽くして何とかしようとは考えずに、ただ立ち止まって、心をイエスに向け、聖書(福音書)を読み、どんな言葉でも大丈夫です、まず祈ってみてください。心を主イエスの語りかけに向けてみて下さい。忙しい中にあっても、主イエスの言葉、神の言葉に聞く時を持ちましょう。心が謀殺されている時だからこそ、主イエスの優しい言葉に聞く必要があります。
リビングバイブルはこの節を「信仰は、このキリスト様の良い知らせに耳を傾けることから始まるのです」と訳しています。では、この「良い知らせ」とは何でしょうか。それは、あなたは神に愛されている、あなたは決して独りではない、あなたの過去の過ちはすべてキリストの贖いによって赦される、苦しい時や希望と失いかけたら十字架の主を見上げなさい、「わたしのもとに来なさい」という主イエスが招いてくださっている、ということです。この救いへの招きの言葉に応答して、主イエスを信じる時に信仰が与えられます。「主イエスを信じる者は、誰も失望することがない」とローマ書10章11節に明言されています。
わたしたちだけでなく、すべての人に対する神の御心は、すべての人々が希望をもって生き、それぞれが豊かに実を結ぶ人生を送ることです。しかし、わたしたちは神に対して罪を犯し、神との関係から自らを切り離して、自力で生きてきましたので、疲れ果て、希望を失い、人生に空しさを感じて生きることになりました。そのような状態をご覧になった神は御子をメシヤ・救い主としてこの世にお遣わしくださいました。ヨエル書3章5節には「主の御名を呼ぶ者は皆、救われる」と約束が明記されていますが、奇しくもこのヨエル書の約束がローマ書10章13節で引用され、「主の御名を呼び求める者は。ユダヤ人に限らず、ギリシャ人、日本人、韓国人、中国人、インドネシア人、スウェーデン人、アメリカ人、何人であっても、差別も偏見もなく平等に救われる」と宣言され、救いへと招かれています。神はすべての人を分け隔てなく愛しておられる! 何という「恵み」でしょうか!
しかし、使徒パウロはここで「本当にこの世は平等か、平和か、希望で満ちているか」と問題提起します。「主の御名を呼び求めようにも主が誰なのか知らない人が、信じていない人が、伝えられていない人があなたの周りにはまだたくさんいるでしょう」と14〜15節で問いかけているのです。この問いかけは、51年目の歩みを始める大久保教会、わたしたちに与えられている主からのチャレンジです。また、神学校週間の最終日を共に過ごしているわたしたちに何をすべきかがここに記されていると感じます。
この日本に、世界中に、神の愛、イエス・キリストの福音を必要としている人がたくさん生きているということ。神学校で学び、宣教のために整えられている神学生のために祈り、そして支える必要があるということ。イエス・キリストの言葉を宣べ伝える人がもっと必要であり、その一人にわたしたちが召されて使命が与えられていることを覚えたいと思います。
確かにすべての人が福音を聞き入れる訳ではありません。ある人は拒絶し、わたしたちから離れていくでしょう。しかし、「良い知らせ、神の愛、イエス・キリストを伝える者の足はなんと美しいことか」とイザヤ書52章7節の言葉が引用されていますから、主の弟子として主イエスの言葉に聞き従って、仕える者として生かされてゆきましょう。まず、「信仰は聞くことにより、しかもキリストの言葉に聞くことによって始まるのです」という言葉を心に蓄えましょう。そして、主イエス・キリストの御名によって神に祈りましょう。