恵みの中を走る信仰

「恵みの中を走る信仰」 七月第四主日礼拝 宣教要旨 2017年7月23日

  コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章1〜18節       牧師 河野信一郎

 私たちには、それぞれに完走すべき人生というマラソンがあります。そしてこの地上での人生を生き抜くためには、イエス・キリストを救い主と信じ、この主イエスを見上げて走ってゆくことが大切であるとヘブライ人への手紙は言っていますが、その重要なことと一緒に大切なことが他にもあると今回の聖書箇所は私たちに教えています。

 今回の箇所は、コリントの信徒への手紙Ⅱの4章全体ですが、この章を一気に読むだけでもマラソンのように大変なことでしょう。この4章には、人生というマラソンを走ってゆくために私たちが心に留めるべき大切なことが少なくても7つ記されています。

 最初の大切なことが1節に記されています。「わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのですから、落胆しません」とあります。これは、「わたしたちは、主イエスを通して神から憐れみを受けて生かされている」ということを心にいつも覚えて感謝して生きようという招きです。主の愛と憐れみを受けて生かされていることを感謝する時、わたしたちは辛く悲しいことがあっても落胆することはないのです。

 二つ目の大切なことは2節にあります。「かえって、卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身をすべての人の良心にゆだねます」とあります。残された人生を大切に生きてゆくために、神の御前で忠実に、人々には誠実に、自分には信実・正直に生きるということです。神は真実をもって私たちを愛してくださいますから、私たちも主イエスとご聖霊の助けを受けて神を心から愛し、隣人を愛し、教会の中で互いに愛し合ってゆくことが神の御心です。

 三つ目に大切なことは5節にあります。「わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです」とあります。つまり、自分のために生きるのではなく、主イエスの弟子・僕として、主のために仕えて生きるということが人生に意味と目的を与えられることとなり、大切に生きることになるのです。

 四つ目に大切なことは7節にあります。「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」とあります。私たちは、神によって造られた土の器であることを覚えて生きるということ。それはつまり、おごり高ぶって生きるのではなく、謙遜に生き、神の愛が注がれ、信仰の霊が与えられていることを喜んで生きる時に、豊かな人生を生きることができるということでしょう。

 五つ目は少し飛びますが15節にあります。「すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです」とあります。主イエスを通して神の愛が私たちに注がれているのは、私たちが主の愛をもって隣人を愛し、その愛を隣人が受けて、恵みに豊かにされてゆくためだと言っています。豊かな人生を送ってゆくために私たちに必要なことは、まず神の愛を私たちが受け、その愛で隣人を愛し、兄弟姉妹と互いに愛し合ってゆく中で愛を育んでゆくことだと導かれます。

 そのために必要なことが六つ目として16節にあります。「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」とあります。つまり、日々、主イエスによって、主の言葉と親しい交わりの中で「内なる人」が新しくされてゆく必要があって、それは日曜日毎ではなく、毎日のことなのです。聖書を毎日読むこと、日々お祈りをすること、神につながることで心を恵みで充電してゆくことが大切なのです。また、主の日毎に神の御前に共に集まり、共に礼拝をおささげし、親しい交わりを私たちがもってゆくことが大切なのです。

 7つ目に大切なことが17節から18節にかけて記されています。「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」とあります。目の前にあることも確かに大切にしなければなりませんが、もしそれがあなたの心を乱すような一時的な問題や課題であれば、もっと重要で永遠に続くことに目を向ける必要があります。見えるものではなく、見えない永遠の命、永遠の祝福に信仰の焦点を絞ってゆくことが大切なのです。私たちは、人生のゴールを目指すべきであって、目の前の石ころにだけ注意を払い続けることは得策ではありません。私たちに大切なのは、神から与えられているこの人生を完走すること、自分のためだけでなく、神のために、人のために仕えて生きてゆき、そしてゴールを切ることが大切なのです。この走りに主イエスが伴走者として一緒に走ってくださいます。この主イエスを信じ、見上げて共に恵みの中を走りましょう。